942話 苦渋の底
同時刻。
身を潜めた建物の影では、怒りに目を血走らせたシズクが剣を手に飛び出そうとするのを、カガリとムネヨシが二人がかりで抑え付けていた。
「っ……!! ッ~~~~!!!!」
「シズクッ! 気持ちは痛いほどわかるけどダメだよッ!」
「落ち着かぬかッ! 今のお前が飛び出していった所でただの犬死にだッ!!」
それでも尚、シズクはリュウコ達が立ち去った後も暫くの間、二人の拘束を振りほどこうとあがき続け、ようやく落ち着きを取り戻した頃には十数分もの時間が経過していた。
尤も、シズク自身の気持ちが落ち着いたというよりは、怒りに任せて暴れる事すら出来なくなる程に体力を消耗しただけなのだが。
「ハッ……ハッ……ハァッ……!!」
「フゥ~……全く、見事な成長ぶりを見せたかと思った矢先、手間をかけさせよって」
「ッ……ムネヨシ様。この度のご無礼、姉に代わって深く謝罪致します」
「良い。シズクの怒りが深き忠義故であることは、私も良く知っておる」
「勿体無いお言葉……。ありがとうございます」
ぐったりと横たえた身体からうっすらと湯気を立ちのぼらせながら荒い息を繰り返すシズクの隣で、ムネヨシとカガリもまた乱れた息を整えながら言葉を交わす。
シズクを止めた二人としても、その怒りは身に染みて良く理解できてはいる。特にシズクと同じ立場であるカガリとしては、一足先に我慢の限界を迎えたシズクが飛び出さなければ、自分が飛び出していたかもしれないと思うほどに。
「しかし、今の言葉が本当であるのなら、こうしてはおれん」
「はい。一刻も早く皆の元へ、救援に戻らなくては」
「ウム……だが……」
口火を切ったムネヨシは、静かに頷いたカガリの言葉を首肯するが、苦虫を噛み潰したかのような渋い顔で周囲へと視線を走らせた。
そこには、逃げ損なって斬り伏せられたらしい融和派の兵士たちの亡骸や、逃げ出していった兵士たちが打ち捨てていった多数の武器が転がっている。
「我等はたったの三人。たとえあの中に息のある者が居たとしても、到底戦う事はできまい」
「っ……!! でしたら、奴等を迂回して……っ……」
「……そうだ。我々は連中の包囲を破って中へと突貫したのだ。迂回した所で、我等の戦力で押し通る事のできる道はあるまい」
カガリは捻り出した自らの案の矛盾に気付き、紡いだ言葉を途中で留めるが、ムネヨシはカガリの飲み込んだ言葉を引き継いで口にした。
こちらの戦力は傷付いたシズクを含めたとしてもたったの三名なのだ。包囲を破った時のように、背後からの奇襲であれば幾ばくかは戦えなくもないだろうが、この場所は包囲の内側。何処へ向かおうとも、敵の意識はこちら側を向いているだろう。
「万事休す……かッ……!!」
「……っ!!」
ぎしり。と。
打つ手の無い現状に歯噛みしたムネヨシが言葉を絞り出すと、カガリもまた肩を落として歯を食いしばる。
部隊は潰走。そして先程声高に語っていた連中の話が真実であるならば、融和派はセンゴクの手に落ちる事になるだろう。
「何故だッ!!! センゴクよッ……!! 互いに道は違えど、目指す理想は同じであると……信じておったのにッ!!」
「ムネヨシ様……」
「ギルファーの未来の為……怒りと憎しみの連鎖を断つ為ッ!! 融和の道を歩くと誓ったのではなかったのかッ……!!」
ムネヨシは言葉となって溢れ出した思いをぶつけるように、握り締めた拳を足元の瓦礫へと叩きつける。
確かに、幾度となく意見を違え、時には真っ向からぶつけ合う事もあった。
そんな時は決まって、センゴクは自らの信ずる不干渉を論じ、私は手を差し伸べ、歩み寄って縁を紡ぐべきであると論じていた。
だがいつだって、最後には互いの意見を尊重し、共に融和への道を歩んできた戦友だった。
「そう……思っていたのは私だけだったという事か……」
胸から溢れた激情を吐き出し切ると、ムネヨシは握り締めた拳を力無く解いた。
全てはこの現状が物語っている。苦しくとも歯を食いしばり、一丸となって立ち向かうべき危機を前に、センゴクは自分達を売り渡したのだ。
過激派の軍門に下り、自分達だけでも生き延びるために。
「ふぐッ……くゥッ……」
「…………ムネヨシ様」
「シズ……ク……?」
手綱を握っていたはずの感情が暴れ出し、ムネヨシの頬を一筋の涙が伝う。
できる事など何もない。シズク達の手前、みっともないという思いも心の片隅にはあったが、現実という名の絶望がムネヨシの心をゆっくりと蝕んでいた。
しかし――。
「どうか……お顔をお上げください。私に一つだけ……秘策が御座います」
ガラリと瓦礫が転がり落ちる音と共に、小さく丸まったムネヨシの背に、シズクの静かな声が投げかけられたのだった。




