940話 戦場の異変
「行くぞォォォォォッッッ!!」
「第二射を牽制するぞッ!! ……ッてェッ!!!」
「邪魔などさせるなッ!! 薙ぎ倒せェッ!!」
ムネヨシの指揮に呼応した兵士たちが、手傷を負ったシズクとそれを介抱するカガリを追い越して猛りを上げる。
その留まる事を知らない猛々しさはまるで恐怖を知らない狂戦士のようで、意図せず最前線から離れる形となったシズクは、そんな鬼気迫る彼等の異常な様子に恐れを覚えた。
「お姉ちゃんッ!! しっかり!! すぐに止血をッ!!」
「……お願い。っ……ッァあ゛ッ!!」
一方で、カガリはシズクの身体を路地の隅へと寄せて壁へともたれさせると、応急手当を施しながら顔面を蒼白にして必死でシズクの名を叫んだ。
手早く包帯をシズクの肩へと巻きつけ、渾身の力を込めてきつく縛り上げる。
無論。相応の苦痛がシズクを襲っている事など想像に難くなかったが、カガリはギリギリと歯を食いしばって心を殺し、だくだくと溢れ出る血を止めるべく、全力で力を籠め続けた。
「ゥッ……!! フゥッ……フゥッ……!! グッ……ククッ……!!」
「ッ……!!! ッ~~~~ッッ!!! ッッッッ……!!!!!」
シズクが受けた傷は、確かに急所を外れている。
だが、肩口にぽっかりと開いた穴が、シズクの受けた攻撃の威力の高さを物語っていた。
この血を止めなければ死んでしまう。
ガチガチと歯の根を鳴らしながら、冷静さを失ったカガリは必死で包帯を引き続けた。
カガリにとって姉であるシズクの存在は、道を違う事はあれど、自らが生まれた瞬間から共に在ったもので。そんなシズクの間近に明確な死が迫ってはじめて、背筋が凍り付くような恐怖がカガリに襲い掛かっていた。
「――落ち着かんか馬鹿者ッ!! やり過ぎだッ!!」
「っ……!!?」
そんな絶望の時間が、無限とも思える程に過ぎた時。
突如として横合いから響いた落雷のような怒声と共に、カガリの身体が付き飛ばされる。
同時に、軽い音と共に閃いた斬撃が、倒れ込むカガリが固く握り締めたまま離さない包帯を両断し、地獄のような痛みに声なき絶叫をあげていたシズクを解放する。
「っ……ムネ……ヨシ……様……?」
「ウム。じっとしておれ。フゥム……よし。いささか乱暴ではあったが、血は止まっているな」
「お姉……お姉ちゃんはッ!?」
己が身を護って傷付いたシズクの身を案じて戻ってきたのだろう、ムネヨシは真剣な表情でシズクの肩に巻かれた包帯を検めると、小さく頷いて息を吐いた。
その後ろでは、ムネヨシに突き飛ばされたはずのカガリが、千切れた包帯を手に握り締めたまま、ムネヨシをなぎ倒さんばかりの勢いで駆け寄ってくる。
「大丈夫。大丈夫ですから……落ち着いて?」
そんなカガリに、シズクは柔らかな笑みを浮かべて応ずると、無事な右腕で優しくカガリの頭を撫でながらムネヨシへと視線を向けて口を開いた。
「ムネヨシ様。何故ここに? 私など捨て置き、指揮をッ――」
「――馬鹿を言うな。この場において、お前の無事を確認する以上に大切な事などあるまい。それに戦の指揮ならば他の者でもできる」
「ッ……!! ムネヨシ様ッ……!!!」
「…………」
だが、焦りと非難の籠ったシズクの問いは、安堵に胸を撫で下ろしたかのように大きく息を吐いたムネヨシの言葉によって遮られ、その言葉に感極まったシズクは目尻に感激の涙を浮かべていた。
尤も、ムネヨシとしては、テミスと特別親しい者という意味合いも籠った言葉であったため、感涙にむせび泣くシズクに困ったような苦笑いを浮かべながらも、何も言う事はできなかった。
しかし、戦場に似合わぬ穏やかな空気が流れたのも束の間。
「ハハハハハッッ!! 何だい何だいッ!! 威勢が良いのは最初だけかいッ!?」
「ヒッ……ヒィィィィッッ!!」
ギャリィッ!! と。
激しく鉄を打ち付ける音と共に、威勢の良い女の声が響き渡る。
同時に、完全に戦意を喪失した兵士たちが、シズク達の横を脱兎の如く駆け抜けていく。
先程まで、武勇に奮い立っていた筈の兵士たちの顔は恐怖に歪み、剣戟の音が響く度に我先にと武器を捨て、血に濡れて逃げ出していった。
「ッ……!? こ、これは……一体ッ……!?」
「――っ!! ムネヨシ様。こちらへ。カガリも、急いでッ!」
「シズク……? 何を……」
「いいから! 早くッ!!」
瞬間。
聞き覚えのあるその声にシズクはビクリと背筋を震わせた。
あり得ない。ここはムネヨシ様たちが厳選を重ねた包囲の弱点。そんな場所に、あれ程の強者が居るはずが無いのだ。
だが、シズクは沸き上がる内心の葛藤を全て無視すると、未だに霞む視界の中で素早く周囲に視線を巡らせた後、自らが背を預けていた建物の影へ、半ば押し込むようにしてムネヨシ達を誘導する。
そして最後に、悲鳴を上げて逃げ惑う兵士を尻目に、シズクは飛び込むようにしてムネヨシ達の元へと転がり込んだのだった。




