938話 開戦の強襲
同時刻。ギルファー・スラム外縁部。
遠くから雄叫びが響き渡る中、配置に就いた兵士たちは皆、覇気の無い顔に不満を浮かべて、ただこんこんと雪を吐き出し続ける曇天を見上げていた。
「……ったく、どこの連中だよ。景気の良い声上げやがって」
「さぁね。何処のどいつだろうと、アタシ等には関係ないさね。割の良い狩場はぜぇんぶ上の連中で独り占めさ」
「ケッ……クソったれ。お上連中は俺たちを石材か何かだと勘違いしてねぇか?」
「おい止せ……。あまり不用意にそういう事ばかりを言うものではないぞ。あの噂、知らねぇのか?」
兵達はスラムへと続く通りの思い思いの場所で焚き火を起こし、暖を取りながら寛いだ様子で言葉を交わす。
その様子はとても、戦いを伴う作戦に従事している最中の兵士のものだとは思えぬ程に弛緩し切っている。
だが、それもその筈。
彼等の配置された場所はスラムの中でも外れも外れ。ギルファーの町の中心部にほど近く、戦場で言うのならば最後方とでも称されるような場所なのだ。
故に彼等は、ここまで逃げ延びてくるスラムの住人など居るはずも無く、万に一つここへやって来たところで、誇り高き獣人族である自分達とまともな戦いになるはずも無いと高をくくり、半ば拗ねたような心境で暇を持て余していた。
「噂ァ……?」
「あぁ、今回の連続失踪事件。黒幕はお上じゃねぇかって噂さ」
「何ィ……? ハッ……馬鹿も休み休み言えよ。ンなコトして何の得があるってんだ」
「……なるほど。確かに、ただの噂って聞き流すには惜しいかもしれないね」
だからこそ、焚き火に集った兵士たちの雑談に花が咲いたのだろう。
ある者は深刻な顔で、ある者は笑い飛ばしながらも、誰もが不意に投じられた話題を歓迎し、暇を潰している。
「んだよ、一人で納得しやがって。実際、こんな大規模な作戦になってンだ。みぃんな身の程を弁えねぇスラムのゴミ共にはカンカンなんだ」
「だから、それが目的じゃないかって話さね。スラムに巣食うゴミ共の一掃。その理由を作るついでに、自分達の勢力の邪魔になりそうな奴も始末できるって寸法さ」
「っ……!! ってこたぁ……」
「恐ろしいモンだね。獣人族を貶めた連中っていう共通の敵を前にしながらも、互いを潰し合って噛み付き合ってる」
「オイオイ……オイオイオイッ……!? 冗談じゃねぇぞ……俺りゃァ確かに、妹を攫って行きやがった人間共は憎い。けど、同胞とやり合うなんて御免だぜッ!!」
「んな事、アタシに言われても知らないわよ。戦いたくないのなら――ッ!? 何の音だいッ?」
普段ならば、聞く価値も無いと笑い飛ばす戯れ言であっても、何もする事の無いこの場所では至上の娯楽と化す。
笑い、叫び、呆れ、ただ無為に費やされるはずだった時間に、せめてもの華を添えていたのだ。
だがそれ故に、彼等は気付けなかったのだろう。
自分たちの元へ着実に近づいてくる、幾人もの兵士たちがガチャガチャと石畳を踏み鳴らす地響きのような足音を。
「全員ッ!! 構えなッ!!! 何か来るよッ!」
「っ……!!!」
異常に気付いた兵士が声をあげ、傍らに転がしていた槍を取り上げて身構える。
しかし、それに呼応した兵士は三割にも満たず、そもそも戦意など元から無い兵達は、暖かな焚き火の側でノロノロと立ち上がっただけだった。
「っ……!!? 何だってんだ……? まさか、冒険者の連中? だとしたらとんでもない数だッ!! 裏をかいてこっちに来たのかッ……!?」
次第に響いていた足音は大雨の如き轟音となり、石造りの町に反響して響き渡る。
その明らかな異常に、気の抜けていた兵士たちすらも顔色を変え、各々スラムに続く道へと向けて武器を構えた時だった。
「ッ……!! 前方に敵を確認ッッッ!!!」
「総員突撃ィッ!! 踏み潰せェッ!!!」
「な……にィッ……!?」
雷鳴の如き声が響き渡ると共に、スラムを包囲する兵士たちの背後から鎧を纏った一団が、手に手に武器を振りかざしながら姿を現す。
無論。スラムの包囲を仕事としていた兵士たちの陣形はスラムへ向けて組まれており、最も脆弱である最後方に配置された兵士たちは、瞬く間に猛り狂う一団の餌食となって呑み込まれていく。
「なっ……!? 何だってんだ畜生ッ!? なんで後ろから……グァッ!!?」
至る所に焚かれていた焚き火は濁流のような勢いで突き進む一団によって踏み消され、辛うじて態勢を立て直して応戦を試みた兵士達も、数合と斬り結ぶ事さえ敵わず斃れていった。
「なんだいアンタ等ッ!!」
「ッ……!!! 邪魔ッ……ですッ!!」
「総員ッ!! このまま進めェッ!!」
一瞬にして戦場となった通りの最前列では、声を張り上げて指揮を取るムネヨシの傍らを護るように、シズク達がその刀を振るっていたのだった。




