932話 格式という名の錆
「何事だ!? 騒々しいッ!!」
「フン……下らん……」
頭目たちは、挨拶代わりだとでも言わんばかりに会議室へと飛び込んできた兵士を怒鳴り付ける。
確かにこの場は本来ならば、一兵卒が足を踏み入れるべきではない場所だ。融和派の、ひいてはギルファーの行く末を左右する議論を交わす場でもあるのだから、ここには他に漏らす事のできない情報も存在しているが故に、秘匿する必要はあるだろう。
だが、あくまでもそれは平時に限ったもの。明確な敵が動きを見せている現在に至っては、緊急の報告の内容を一秒でも早く検める事こそ、まず真っ先にやるべき事の筈だ。
「ハァッ……ハァ……ッ!! ……非才の身ながら、会議の場に割り込んだ無礼、非礼、伏して謝罪申し上げます! しかしながら、どうしてもお伝えせねばならないご報告がございますッ……!!」
「ホゥ……? 故にこの密議の場へ割り込んだと? それで?」
「火急の事態、緊急にして重要なご報告であります! 万に一つ、偽りなる時はこの身この命を以て償う事、獣人族の誇りにかけて誓いますッ!!」
しかし、飛び込んできた兵士は、まるで頭目に怒鳴り付けられる事がわかっていたかのようにその場に傅くと、芝居がかった口調で口上を述べ始める。
それに応じるように、頭目たちは一瞬だけ視線を交わして頷き合うと、一人が兵士の前へと進み出て、あろう事か勿体を付けるように小芝居を始めたのだ。
「…………。なぁ、あの下らん小芝居はなんだ? お前達も何故、そんな顔で連中を見ている?」
「なっ……!? こ、小芝居だなどと……!! まさか……あの勇姿と気高さがわからないのですか!?」
「あぁ……そうか。そうだったな……。命よりも、国の命運よりも誇りが大事……。ここはそういう国だった。なんでもない忘れてくれ」
そのあまりに馬鹿げたやり取りに、呆気に取られて声も出ないテミスは、堪らず傍らのシズク達に問いかける。
しかし、彼女たちの表情はまるで英雄的行為でも拝むかのように輝いていて。
そんなシズク達を見たテミスは、心底うんざりとした感情を深いため息に変えて吐き出し、呆れ果てて視線を戻す。
すると丁度、大仰な身振りと手ぶりを以て繰り広げられる小芝居が終幕を迎えたらしく、恭しく首を垂れた兵士が、部屋中へ響き渡る大声で報告を始めた。
「謹んで報告いたしますッ!! つい先ほど、過激派の各拠点を監視していた者達より伝令アリッ! 各地より武装した兵達が、スラムの方向へと向かった模様ッ!!」
「な……にィッ……!? か、数はッ!?」
「詳しい数は不明ですがかなりの大軍かとッ!!」
「馬鹿なッ……!! スラムと言えど町の中だぞッ!? いったい何を始める気だというのだッ……!?」
告げられた報告に、頭目たちは色を失って驚愕し、唸り声をあげる。
だが、テミスはそんな彼等に冷ややかな目を向けており、その傍らでシズク達は緊張した面持ちを浮かべていた。
「至急!! 対策を打たねば……!! もういい! 下がれッ!!」
「ッ……。……ハッ! 失礼致します!」
一方で、兵士に応じていた頭目は、まるで何かを待機するかのように、首を垂れたまま動かない兵士に怒鳴り声を上げる。
すると兵士は、一瞬だけ僅かにその身を強張らせた後、跳ね上がるように立ち上がってその身を翻した。
「――待て」
「なっ……!?」
「っ……! っ……!? 人間……だと……!?」
しかし、一歩が踏み出されるよりも早く。
立ち去ろうとする兵士に向かって進み出たテミスの静かな声がその背を呼び止める。
その声に、兵士は半ば反射的に足を留め、肩越しに振り返ってテミスの姿を捉えると、驚きに息を呑んで言葉を零した。
「私の事などどうでも良い。それよりも、各拠点とやらから出兵した兵共が、何処からどの方角へ向かったのか。立ち去る前にその情報を置いて行け」
「ッ……!! っ……。し……しかしっ……!!」
不敵な笑みと共にそう告げたテミスの言葉に、驚きと不信の色に染まっていた兵士の顔が一気に輝いた。
だが、兵士はすぐに苦虫を噛み潰したかのように息を詰まらせると、その視線をチラリと頭目たちへと向ける。
「ハァ……ったく……。構わんな? ムネヨシ」
「ウム。急ぎ説明をせよ」
「っ~~!! は……はいッ!!」
その意味を理解したテミスが、ため息と共にムネヨシへ問いかけると、ムネヨシは最奥の席に座したまま、コクリと頷きながら凄味の利いた声で許可を出した。
すると、兵士はムネヨシの命令に上ずった声色で答えると、机に駆け寄って詳細な報告を始めたのだった。




