928話 現実は痛みと共に
「御機嫌よう諸君。何やら楽しそうにお話をしているようじゃないか」
「なっ……!!」
融和派の頭目たちが議論を繰り広げる会議室。
そこはまさに融和派の心臓。この場で定められた方針が、ギルファーの未来を左右するのだ。
そんな部屋に足を踏み入れた瞬間、テミスはその顔に皮肉気な笑みを湛え、頭目たちへ向けて声高に語り掛けた。
「逃がすだの、止めるだの……関わらないだの。クク……どれも冗談のように面白い意見ばかりじゃないか」
「ちょっと!! 頭目の方々相手になんて事をッ……!!」
「貴様ァ……ッ!! この場を何だと心得るかッ!!」
朗々と告げられたテミスの皮肉に、煮え滾っていた会議室の空気がほんの一瞬だけ凍り付く。
しかし、頭目たちはすぐに気炎を取り戻すと、怒りに表情を歪めてテミスへと罵倒を叩きつけた。
「余所者の……しかも人間風情がッ!!」
「思えばこの人間が訪れてから碌な事が無いッ!! 何をしているか! さっさとつまみ出せッ!」
「…………」
だが、テミスは轟々と叩きつけられる非難などものともせず、その視線はただ一点へと向けられていた。
そこに居たのは、この部屋の中でただ一人、テミスを非難する事無く静かに口を閉ざしているムネヨシだった。
「オイ! 聞いているのか!! 我等は忙しい! お前のような厄介な者にかかずらっている暇は無いのだ!」
そして早々に業を煮やしたのか、テミスたちの近くに居た頭目の一人が怒声を上げると、ドスドスと足音を立てながらテミスへと詰め寄っていく。
外見だけで見ればテミスは人間の中でも華奢な部類に入るため、間近にまで近付いた獣人の頭目は、そのまま無造作にテミスの胸倉を掴んで宙へと持ち上げた。
「ハッ……何が助力だ。こんな小さなナリで笑わせるなッ! 余所者はさっさと――」
軽々とテミスを持ち上げた頭目はテミスを見ながら鼻で嗤うと、部屋の外へと投げ飛ばすべく大きく振りかぶる。
しかし、吐き捨てるように紡がれた言葉は途中で途絶え、テミスは振りかぶったその手の中から、部屋の真ん中に設えられた大きな机の上にヒラリと着地した。
「シーッ……。静かに。人の話は黙って聞くものだ。元来議論とはそういうモノだろう?」
「な……ぁ……っ……!?」
机の上に着地したテミスは、そのままムクリと顔を上げると、不敵な微笑みを浮かべた唇に指をあてて言葉を紡ぐ。
その一方で、テミスを投げようとした頭目は未だ腕を振りかぶった体勢のまま動かず、驚愕の表情を浮かべている。
「なに……そう不安そうな顔をするな。少しの間痺れているだけさ。……それよりも、どうだ? 一つ面白い話を聞いてみないか?」
「面白い……話……だと……?」
「そう。いたく単純な未来予想。君達の語る理想が行き着くであろう果ての予測さ」
コツ、コツ……と。
固い音を立てて机の上を歩き回りながら、テミスは頭目たちへ向けて声高に語りつつ、時折足元の書類を拾い上げて目を通しては投げ棄てている。
そんなテミスにただ一人、それまで黙していたムネヨシが静かな声で応ずると、テミスはニンマリと意地の悪い笑みを浮かべて口を開く。
「まずは、過激派の連中を止める案。この場で言うだけならば簡単だが、その具体案は? 連中の悋気を収める程の手札でもあるのか?」
「グッ……!!」
「ハッ……ならば答えは簡単。過激派の連中が止まる事は無く、下手をすれば止めたお前達も庇い立てをしたと見なされ、まとめて地獄行きだ」
「ッ……!!!」
そう語りながら、机の上にしゃがみ込んだテミスは一束の書類を掴み上げると、言葉と共に床へ向けて投げ捨てた。
しかし、具体案が無いのも事実なのか、頭目たちの中から反論が上がる事は無かった。
「次に、スラムの連中を密かに逃がす案。例えお前達がこの情報を伝えたとて、果たして連中は信じるかな? 今までお前達は、それに足る信頼関係を築いてきたのか?」
「それはッ……」
「それに、仮にスラムの連中がお前達を信頼して逃げ出したとして、何処へ逃がすつもりだ? それすら想定していないのならば、連中にとっては追放と変わらんだろうな」
「ッ……!!」
「な、ならばやはりッ……!!」
嘲るような口調でテミスが語り終えると、一斉に黙り込んで俯く頭目たちを尻目に、一人の男が目を輝かせて力強い叫びを上げる。
「不干渉ッ! つまり我々は関わるべきではないッ!! そう言いたいのだなッ!?」
「……馬鹿が。最悪だ」
「なっ……!?」
だが、テミスは男を見下げ果てたように見下しながら、吐き捨てるように男へ告げた。
「事態を知りながら関わらない……それは見棄てると言うんだ。見棄てられた者の目から見れば、お前達も過激派の同類だよ。万が一生き残りが居れば、報復は免れんだろうな」
議論の中で、大勢として挙げられていた意見を尽く切って捨てると、テミスは小さく鼻を鳴らして机から飛び降りる。
そして、そのまま黙って壁際まで歩いて行くと、ニヤリと薄い笑みを浮かべ、役目は果たしたと言わんばかりにその背を壁へと預けたのだった。




