926話 無垢なる叫び
獣人族連続失踪事件。
当初は数名の過激派に属する獣人族の兵達から始まったこの事件は、両陣営が本格的に調査を始めてからも収まりを見せず、広がり続ける一連の被害を総称してこう呼ばれるようになっていた。
しかし、殆どの人員が姿を消している過激派と、大なり小なりの怪我は負うものの、誰一人として死傷者を出していない融和派の間では、事件に対する致命的なまでの温度差が生まれているのは言うまでも無く、両陣営は犯人探しをする傍らで互いをも探り合い、ここ数日のギルファーは不穏な空気が漂っている。
「フム……。今日はやけに兵共の数が少ないな……そろそろか?」
そんな情勢の中。
テミスは一人、サクリサクリと軽い音を立てながら、ギルファーの貧困街の片隅をゆっくりと歩いていた。
無論。これはただの散歩などではない。
特にここ数日は、気が立った兵士たちによる度を越した無茶苦茶な尋問が多く、テミスはそんな現場に居合わせるため、スラム中を歩き回ってパトロールをしているのだ。
尤も、理不尽極まる理由で行き過ぎた暴力を振るう者には、その場で相応の制裁が加えられているため、テミスの存在自体が日を追うごとに獣人たちの被害が拡大している理由でもあるのだが。
「ム……?」
周囲の気配に気を配り、怒号を聞き逃さぬように耳を澄ませてテミスが路地を曲がると、その眼前にまるで待ち構えていたかのように、外套に身を包んだ小柄な人影が立ち塞がった。
突然の事態にテミスが足を止め、羽織った外套の下で鯉口を切る。
しかし、次の瞬間。テミスは眼前の一人だけではなく、自らの左右や背後にも微かな気配を感じ、密かに口角を吊り上げる。
ようやく、上の連中を引き摺り出した。
そう考えたテミスは気を引き締めると、僅かに姿勢を落として緩やかな動きで構えを取った時だった。
「ようやく見つけました! テミスさん。私です」
「……。あぁ……シズクか」
眼前の人影が聞き覚えのある声と共にフードを脱ぐと、眉根を寄せ、唇を真一文字に結んだシズクが姿を現した。
だが、その両手はテミスの期待を裏切るかのように外套の外に晒され、彼女に戦いの意思が無い事を声高に物語っている。
「何の用だ?」
「責任。取ってください」
「は……? 何を言って――っ!?」
「――調べましたッ! 貴女に言われた事、ちゃんと考えて」
シズクは、小さなため息を零しながら、自らを冷たくあしらうテミスに詰め寄ると、そのまま外套を掴んで声を荒げた。
その瞳には、テミスであっても気圧される程の確かな怒りが宿っていて。
テミスは驚いたように目を見開いて、シズクへ返す言葉を失ってしまう。
「貴女の言う通りでした。けれど、私たちはそんなに信用できませんか!? 確かにテミスさんから見れば甘いかもしれません。鼻で嗤うようなお遊びにしか見えないかもしれません! でも……本気なんですよッ!! だからッ!! 私たちの事、貴女にも教えようとしたッ!!」
「ッ……!!!」
「……落ち着いてシズク。順番、滅茶苦茶になってるから。……姉がすみません。けれどずっと、こう言ってました。信じて……教えて欲しかった……と」
テミスの外套を掴んだシズクは、感情のままにテミスの身体を揺さぶりながらまくし立てていると、周囲を取り囲んでいた人影の一人がゆっくりと近付き、穏やかな声と共に外套のフードを外す。
そこに居たのは、テミスがこの町に来た日、真っ先に斬りかかってきた獣人の少女、カガリだった。
「何を甘い事を……と思うかもしれません。事実、私も最初はシズクの……姉の言葉に耳を貸しませんでした。でも、シズクの根気に負けて手を貸して……思い知ったんです。私の見ていた世界の狭さを」
「……だから何だ? 血縁でもない他人、ましてや国も考え方も異なるお前達の為に、私にそこまでしろと?」
「私達に手を貸して……私達を助けてくれるんじゃなかったんですか? なら、解らせてくださいよ!! ちゃんと教えてくださいよッ! じゃないと……どうやって助けてって言って良いか、解らないじゃないですか!」
カガリに抑えられながらも、シズクは固く握り締めたテミスの外套を決して離す事は無かった。それどころか、ボロボロと涙を零してテミスを睨み付けながら、悲痛な叫びを叩きつけてくる。
「ちゃんと追い付きましたッ! ギルファーの平和の……未来の為なら、貴女に従っても良かったッ!! だから私達と一緒にムネヨシ様を……他の皆を……説得して欲しかったのにッ!!」
「……何があった?」
感情のままに叫び続けると、シズクは遂にカガリの制止を振り切ってテミスの胸に顔を押し付けて嗚咽を漏らし始めた。
そんな、子供のように感情を爆発させて泣きじゃくるシズク様子に、テミスは僅かに困惑の表情を露わにして、カガリへと問いかける。
「過激派の者達が、スラムの掃討作戦を決定しました」
「なッ……!?」
そして、物憂げな表情と共に返って来たその答えに、テミスは目を見開いて絶句したのだった。




