925話 蠢く探し人
一方その頃。
ギルファー外縁部に広がる貧困街の一角では、凍て付く澄んだ空気の中、凄まじい罵声と怒声が響き渡っていた。
反響する怒号を辿った先では、身綺麗に統一された衣装の外套を着込んだ者達が四人、一人の少年を取り囲んで怒鳴り付けている。
――否。
取り囲まれた少年は既に体の至る所から血を流しており、未だ幼いその頬は痛々しく腫れあがっていた。
「もう一度聞く。我々と同じ服装の者達を見なかったか?」
「っ……!! ハァ……ハァッ……だから、知らねぇ――うァ゛ッ!!」
少年を取り囲む者達の中から一人、歩みでた男が静かな声で問いかけるが、少年は傷付いた身体を庇いながらも、気丈に男を睨み上げて答えを返す。
瞬間。
ぶおん、と。空を切る鈍い音が響くと、凄まじい衝撃と共に、血飛沫をまき散らしながら少年の小さな体が宙を舞った。
「ガッ……ァ……ぐッ……」
「ギルファーに巣食う劣等種族が……。どうやら、質問への答え方も知らんらしい」
「なんッ……デ……!! 俺ッ……ごゥッ!? ガッ……ゴハッ……」
「フン……」
しかし、たったの一撃で男が手を休める訳も無く。男は、先程少年を殴り飛ばした刀を収めたままの鞘から血の滴を垂らしながら、コツコツと足音を響かせて足早に距離を詰める。
そして、無感情な瞳で見下ろしたまま無造作に、痛みに呻く少年の腹を蹴り上げた。
無論。抗う術の無い少年はその蹴りをまともに受け、ズドムッ!! と。肉を叩く嫌な音とを響かせて壁へと叩きつけられる。
「面倒な餓鬼だ。我等は大義を為すべく多忙な身……いつまでも下賤な意地に付き合っている暇は無い。次へ行く。……始末しろ」
「ハッ……!!」
男は全身を壁に叩きつけられた少年が、ズルズルと地面の上へと崩れ落ちる事すら見ずに背を向けると、吐き捨てるように周囲の者達へと命令を下した。
その命に呼応して、男と共に少年を取り囲んでいた三人の兵達は一斉に刀を抜き放ち、深く被った外套の陰でニンマリと笑みを浮かべながら、ゆっくりとした足取りで少年へと近付いていく。
そして、兵士たちが地面にうずくまる少年の傍らへと辿り着いた時だった。
「クク……今日も今日とて弱い者虐めに精が出るな?」
「――っ!!」
「……っ!!?」
愉し気に喉を鳴らして笑う声が、前触れも無く兵士たちの鼓膜を震わせた。
しかし、兵士たちが即座に外套のフードを払い、互いの背を守るようにして構えを取るも、何処からともなく響く声の主の姿を捉える事は出来なかった。
「……何者だ?」
「答える義理は無い。ところでお前達は、強さこそが至上らしいな?」
「っ……!!」
響く声の主を探りながら、三人の兵士の指揮官らしき男が刀を抜いて問いかけるが、不敵な声がその問いには答えない。
その代わりとばかりに、外套を目深に被った一つの小柄な人影が姿を現すと、ゆらゆらと揺れる幽鬼のような足取りで、兵士たちの方へと近付き始めた。
「構えッ……!!」
刹那。
自分達へと近付く人影が纏う濃密な殺気に気が付いたのか、鋭く放たれた号令と共に、抜刀した兵士たちが刀を構えて人影の前へと並び立つ。
しかし、小柄な人影はゆったりとしたその足取りを止める事は無く、着実に兵士達と距離を縮めていた。
「止まれッ! 貴様ァ……誰に向かってそのような殺気を放っているかわかっているのかッ!?」
「……ホゥ? なるほど。ようやく当たり引いたか? ただ弱者を嬲る事しか能の無い雑魚では無さそうだ」
「な……にィッ……!!?」
スラリ……。と。
小柄な人影は、武器を構えた兵士達を前にして笑みを漏らすと、外套の中から一振りの刀が姿を現した。
しかし、兵士たちの構える刀が陽の光を反射して銀色に輝いているのに対して、小柄な人影の抜き放った刀はまるで、夜の闇を凝縮して固めたかのように黒く輝いている。
そして。
「っ……!! かかれッ! 奴だッ! 奴こそが今回の騒動の元……凶……」
その異様な姿に、指揮官の男はピクリと身を跳ねさせると、僅かに口角を吊り上げて叫びを上げた。
この時、男の高鳴る胸の中を満たしていたのは、自らの輝かしき未来への希望だった。
獣人が世界へと羽ばたかんとする動乱の中、それを妨害するかの如く現れた謎の辻斬り。
そんな大罪人を退治したとなれば褒章は必至。こんな一介の小隊長等ではなく、中隊長や大隊長……いや、今回の騒動の大きさを考えれば、更なる昇進もあるかもしれない。
だが、そんな幸福感を打ち砕くように、男の胸を鈍い感覚が貫いた。
「コフッ……。…………。えっ……?」
「……やれやれ。気のせいか」
途端にぐらりと揺れる視界。
急速に霞んでいく中、背後から酷くつまらなさそうな声が響くのを聞きながら、最期に男が見たのは、何故か自らの胸から生え出ずる漆黒の刀身が、まるで抜き取られていくかのように短くなっていく光景なのだった。




