924話 迷いを振り払って
シズクの前からテミスが去ってから数日。
賑わう街並みを擁するギルファーの活気が衰える事は無く、獣人族の人々は変わらず享楽の時を過ごしている。
だがその享楽の裏側では、慌ただしく事が動き始めていた。
「っ……」
しかし、ピリピリと張り詰めた空気が立ち込めている融和派の拠点の片隅で、シズクは一人拳を固く握り締めて苦悩していた。
あの日、結局テミスを見付ける事ができなかったシズクは拠点へと戻ったものの、上司であるムネヨシに真実を伝えなかったのだ。
それが、正しかったのかは分からない。けれど事実、シズクの胸の中には、去り際にテミスの残した言葉が、延々と残り続けている。
――お遊び。
テミスはその目で私たちを見て、こう評した。
無論。この場に集った私たちの心の内に、そのような思いを抱いている者は居ない。誰もがギルファーの明日を憂い、本気で平和のために立ち上がったのだ。
恐らく、テミスはこれまでに私なんかでは想像もつかない程に困難な試練に立ち向かってきたのだろう。
だからこそ、今の私たちの『本気』を見てお遊びだと嘲笑ったのだ。
私たちは遊んでなんていない……そんな怒りはある。仮にも自国の危機に立ち上がったのだ。その誇りすらも嘲笑われた憤りもある。
だがそれでも、テミスに指摘された一点については、未だ反論の言葉は見付かっていない。
「敵……」
ボソリ。と。
シズクはまるで胸の内に鋭い棘が刺さり続けているかのように、心に焼き付いた言葉を呟いた。
確かに、融和派は過激派と真っ向から対立しており、時には刃も交えるような小競り合いに発展した事もある。
けれど、その心根は同じであると。たとえ対立していようと、共に愛するギルファーの為、憂国の志と共に立ち上がった勇士だと信じていた。
だからこそ、シズクは例え父母兄弟と袂を分かつことになったとしても、かつて幼き日の自分を救った人間の心を信じて、融和派に属する決意をしたのだ。
「お父様……お父様にとっても、私は敵なのですか? お姉様……私が貴女の前に立ったなら……」
袂を違えた今では、簡単には会う事すら出来ない家族の顔を思い浮かべて、シズクは震える声で言葉を漏らす。
猫宮の家は、古くからギルファーに仕える大家だった。お城の近くに大きな屋敷を構える事を許され、厳格な父の元、優秀で聡明な多くの兄弟と共に育てられたのだ。
しかし、何度シズクが言葉を尽くそうとも、他種族を嫌う父や兄弟たちの凝り固まった考えを溶かす事はできず、遂には耐えかねて家を飛び出した。
だが、シズクを追ってきてくれたのは末妹のカガリだけで。
そんなカガリも、他種族と協調し合って生きていくという私やムネヨシ様の思いは理解できないらしく、今は別の頭目を主と仰ぎながら、シズクの部下として働いている。
「私は……どうすれば……」
もう、残された時間が少ない事はわかっている。しかし、何をすればいいかわからないのに、刻一刻と時間は過ぎ、事態はどんどんと悪化していく。
全ての発端は、アイカという融和派に属する一人の獣人が、深手を負って拠点へと逃げ帰って来た事だった。
曰く。彼女は過激派から要請を受けた頭目の命により、行方不明となった獣人の捜索にあたっていたのだという。
彼等の姿が最後に確認され、以降その足取りが途絶えたのは貧困街に程近い一軒の酒場。
そこで、行方の知れない獣人たちがスラムへ向かったらしいという情報を掴んだアイカは、更なる彼等の足取りを求め、そのままスラムへと立ち行ったのだという。
その調査の最中。スラムに住んでいると思わしき者達から話を聞こうとしていると、突如として現れた怪しい人影に襲われ、交戦するに至ったらしい。
だが、問題は調査に当たっていたのがアイカだという事。
彼女の属する一派は融和派に属する者達の中でも、若干過激派に近いのだ。だからこそ、彼女の言葉を鵜呑みにする訳にもいかず、胸の中に渦巻く葛藤は増すばかりなのだ。
「ハァ……。っ……!! よしっ!!」
長い逡巡の後。
シズクは心を定めて、力強く顔を上げた。
いつまでも考え込んでいては埒が明かない。解らないのならば、自分で調べれば良いのだ。
かつて、この足でファントへと赴いた時のように。何かが変わるかもしれない。
そんな決意を胸に、シズクは独自の調査に乗り出すべく、ムネヨシの元へと向かったのだった。




