921話 失望と離別
ギルファーへ来て一つ、私は思い違いを正した事がある。
それは、どうやらこのシズクはこう見えて、ある程度の立場を持つ者である……という事だ。
無論。魔王軍で言う所の軍団長のような指揮に携わるレベルでは無いものの、その側近や補佐……つまりは、我々で言う所の副官クラスの立場に居るように思える。
だからこそテミスは、冒険者ギルドへ依頼をしているのが融和派の者であるのならば、シズクが何かしら知っているはずだ……と考えて問いかけたのだが。
「えっ……?」
返ってきたシズクの反応は、驚きに目を見開いて不思議そうに首を傾げるばかりで。
その時点でテミスは、心の内で密かに盛大なため息を吐いて落胆していた。
「今更、何を言っているんですか? 町の警護や魔獣の討伐は私たち兵士の役目です。町の警護は衛兵隊が、魔獣の討伐は専門の討伐隊が担当しています」
「……つまり、その衛兵隊や討伐隊はお前達融和派の管理下にある……と?」
「まさか。口惜しいですが、どちらも過激派の者達の管轄下です。そもそも、私達にそれ程までの兵力があるなら、決死で他国の情勢を探ったりなんかしませんよ」
「…………」
しかし、続けられたシズクの言葉は予想をさらに上回る程に酷いもので。その口ぶりからは一片の危機感すら感じ取る事ができない。
そんな、あまりの能天気ぶりにテミスは思わず閉口すると、シズクを見つめる視線に憐れみすら込めてため息を吐いた。
だが、シズクは黙り込んだテミスの視線に気付くことなく、得意気に胸を反らして注釈を付け加える。
「まぁ、融和派にも多少の戦力は揃っておりますが。普段は過激派の浅薄な先走りや、武力に訴えての襲撃に備えています」
「っ~~~~。……なるほど? つまり、お前はこう言いたい訳だ。戦力に余裕の無い融和派は国の運営に回す兵力は無いが、頭数の多い過激派ならばやってくれる筈だ……と」
何という事だ。融和派の連中というのは、揃いも揃って馬鹿ばかりなのか。
胸の中でそう悪態を零した後。自慢気に語られるシズクの言い分を聞いたテミスは、まるで酷い頭痛でも覚えたかのように片手で顔を覆うと、うんざりとした口調で言葉を返した。
けれど、誇らし気に告げたシズクは目に見えて落胆するテミスの反応が気に入らなかったらしく、不満気に唇を尖らせてテミスを見据えると、腰に手を当てて呆れたように口を開く。
「はぁ……『やってくれるはず』ではなく『やって然るべし』なのです。いいですか? 今は過激派と融和派に分かれているとはいえ、我々は同じギルファーの民なのです。なれば、国が揺らいでいる今だからこそ、ギルファーに暮らす民に報いる為にも、もともと担っていた仕事を投げ出すなんてあり得ません」
まるで、親が子供に対して当り前の常識でも説いているかのように、シズクはきっぱりとした口調で懇切丁寧にテミスへと説明して見せた。
それを聞いたテミスの渋い表情に、どんどんと憐れみが混じり……絶望が満ち溢れていくのにも気が付かず。
「………………。ならば、お前がさっき言った多少の戦力は? そいつらはもともと何を担っていたんだ?」
もう駄目だ。何故、自分達が備えている事を相手方が備えておらず、あまつさえ戦力を日々の安寧に割いている……なんていう妄言を盲信できるのだ。
そう胸の中で嘆いた後、テミスは今にも萎え果てて崩れ落ちそうになる脚に全力で力を籠めながら、疲れ果てた声色でシズクへと問いを重ねる。
ともすればそれは、今にも泣きだしそうな程に弱り果てた声で。
流石のシズクもようやくテミスの異変に気づいたらしく、得意気な笑みを浮かべていたその表情に不安が影を落とす。
「はぁ……主に近衛や諜報であった者達など、過激派の間違った思想に気付き、憂国に心を震わせた者達が様々な所から集っていますが……」
「そうか……安心したよ。お前の言う同志とやらが、ただ有事に備えて待機と訓練だけを重ねてきた無能でなくてな……」
「っ……!! 先程から何が言いたいのですか? 聞いていればまるで我等を侮辱するような――っ!?」
頭を抱えた掌の中からゆらりと額を持ち上げたテミスが、皮肉気に頬を歪めてそう告げると、シズクは堪りかねたかのように語気を荒げ、テミスへ詰め寄らんと腰を上げた。
しかし、それよりもはるかに早く動いたテミスはシズクの胸倉を掴むと、立ち上がりかけた脚を払ってそのまま床へと組み伏せる。
そして、殺気すら帯びた目で驚きに見開かれたシズクの瞳を覗き込みながら、堰を切ったように問い詰め始めた。
「――わからないのなら言ってやるよ。馬鹿かお前達は。何故融和派だけがやるべき事を放棄して、安穏と過激派に備える事が許されるんだ? 数が少ないから? 獣人族の誇りがあるから? ……甘えるな。お前はどれだけ私をうんざりさせたら気が済むんだ」
「っ……!!」
「理解しろ。お前達が相対する過激派は同志でも何でも無い。ただの敵だ。お前は敵に自国の治安を預けるのか? 魔獣から護ってもらうのか?」
「それは……!!」
互いの息遣いすら聞こえて程の距離で、テミスはシズクを床へ押し倒したまま、半ば祈るような思いで淡々と言葉を紡ぎ続ける。
しかし、叩きつけるように浴びせられる言葉に、シズクは小さく息を呑んだものの、答えを返す事は無かった。
「……下らん。前言撤回だ。国取りごっこのお遊びに付き合ってやる義理は無い。好きなだけ遊んでいろ。私は私で勝手にやらせて貰う。なに……お前達の遊びの邪魔はしないさ」
「ぁ……」
だが、その答えを待ってやるほどの優しさをテミスが持ち合わせているはずも無く。
僅かの沈黙の後、テミスは音も無く床の上に押し倒したシズクの身体の上から身を離すと、冷ややかな声でそう告げたのだった。




