920話 たった一人の大暗躍
「っ……!! 良かった……起きてるっ! テミスさん! 大変なんです!!」
「何だっていうんだ……朝っぱらから騒々しい」
叫び声と共に、シズクは扉を打ち破らんばかりの勢いで部屋の中に転がり込んでくると、布団の上に寝転がっていたテミスの肩を捕まえて、焦りのままに喚き立てた。
しかし、テミスは一見乱暴にも思えるシズクの行動に一切の抵抗をする事は無く、酷く気怠そうな表情を浮かべ、ただ為されるがままに揺さぶられている。
「もうすっかり日も昇っていますッ!! ……ってそんな事はどうでも良いんでよテミスさんッ!! 大丈夫ですか!? 目、覚めてますかッ!?」
「んああぁぁぁ~~……? ……ッ!? 待て、止せ、揺するな、服が脱げる、わかった、話聞くからッ!」
「ハッ……!? す、すみません……ッ!!」
布団の上に寝そべっていたテミスが、未だ微睡みの中にあると勘違いしたのか、シズクはそのままテミスの身体をガクガクと勢いよく揺らし始める。
しかも、余程焦っていたのかその威力はかなりのもので、テミスが寝間着として身に着けていた分厚い浴衣のような服が、大きくはだけてしまっていた。
無論。そのような状態で部屋に飛び込んできたシズクが戸を閉める余裕などあるはずも無く、テミスは間一髪の所でシズクの魔手から逃れて掛け布団の中へと潜り込み、彼女の叫びに何事かと集まってきた者達に肌を晒す惨事を逃れた。
「ッ~~~!! 大馬鹿がッ!! ひとまずお前は扉を閉めて少し待てッ!!」
「は……はいッ……!!」
直後。シズクは掛布団の中から響いたテミスの怒声にビクリと飛び上がると、即座に戸口へと引き返して、野次馬に何度も頭を下げながら部屋の戸を閉める。
その間に、テミスは掛布団の中で乱れた衣服を整えると、枕元に用意してあった長羽織りを身に着け、憮然とした表情で布団の中からゆっくりと這い出していく。
ほんの一瞬だけ、この沸き上がる怒りと怠惰が入り混じった気持ちに従い、このまま再び寝入ってやろうかとも思ったが、テミスは新たな被害を生み出しかねないその誘惑を、鋼の意志を以て断ち切ったのだ。
「それで? 何があった?」
「ッ……!! そう! 大変な事件です!! どうやら、過激派の者達が数名、昨夜から行方が分からなくなっているらしいのです!!」
「……。……? だからどうした? 何も大騒ぎする事でもあるまい。お前達融和派にとっては大変喜ばしい事では無いか」
「違くてですねッ!! 奴等、それが私たちの仕業なんじゃないかって言いがかりを付けてきているんです!!」
「フム……おかしな連中だな? 自分達は日々奴隷を調達するため、誘拐に勤しんでいるというのに、自分達が拐かされるとは微塵も思っていないらしい」
そして、そのまま布団の上に腰を掛けて問いかけると、シズクはテミスの正面……丁度枕もとのあたりに腰をおろし、酷く慌てた様子でまくし立てる。
だが、その内容は冷静に考えればおかしなもので、彼女の言う通り事実無根の言いがかりであれば、慌てる必要など皆無なはずだ。
「別に、お前達が攫った訳でも、監禁している訳でも無いのだろう? ならば捨て置くなり、逆にそれを利用して追い込んでやれば良いものを」
「勿論です!! ムネヨシ様たち頭目の皆さまも、それは毅然とした対応をされていました!! ですが……その……ですね……」
「……ハッ。解った。察したぞ。連中、どうせまた私を疑っているのだろう?」
「ッ……いえッ!! 疑っている訳では……無い……のですが……」
「ですが?」
「一応!! 念のため……ですね。昨夜、何処へ行っていたのかを問い質……確認して来いと言われまして……」
「クク……何だそれは。しっかりと疑っているではないか」
テミスはシズクの話を聞くと、小さく喉を鳴らして笑みを零した。
つまるところ、連中は私の存在が酷く目障りなのだろう。そこへ転がり込んだこの騒動だ。あわよくば私に責任を擦り付けて始末しようという魂胆が透けて見える。加えて、ムネヨシとしても、つい先日であったばかりの私を信じる道理も無いという訳だ。
「まぁいい。昨夜の事は戻った折にお前に話した通りだ。適当にぶらついてから酒場に立ち寄っただけ。すまんが適当に歩き回っていたから場所は解らんぞ?」
「はぁ……そう……ですよね……」
「…………」
だが、涼しい顔でテミスがそう答えると、シズクは明らかに落胆した表情を浮かべて肩を落とした。
どうやら、昨夜の時点でオヴィム達の存在を報せれば面倒事になると察して、彼等から得た情報を伏せたのは正解だったらしい。
しかし、ここで妙な疑いをかけられて囚われても非常に面倒だ。ならば、調べこそまだ足りていないが、今仕掛けるしかあるまい。
「……シズク。私も、お前に一つ訊きたい事があったんだ」
「っ……? は、はい。何でしょう?」
「少しばかり、この町を見て回って思ったのだがな……。衛兵や兵士が警邏しているのを一度も見かけなかった。魔獣の討伐や罪人の捕縛などはどうしているんだ?」
そう考えたテミスは、鋭い視線をシズクへと向けると、静かな口調で問いを口にしたのだった。




