916話 信頼と疑念
オヴィムの大きな背を追い、幾つもの入り組んだ路地を曲がって辿り着いた先は一軒の酒場だった。
既に正確な位置などは解らないが、恐らくは町はずれに位置しているであろう酒場はお世辞にも綺麗とは言えず、ひなびた空気を醸し出している。
だが、オヴィム曰くこの酒場は宿屋も営んでいるらしく、テミスはマーサの宿屋と似た形態に何処か親近感のようなものを覚えていた。
「……で? 勿論、説明して貰えるのだろうな? 何から何まで」
オヴィムが店員らしき女と二三言葉を交わした後、壁際の席へと通されたテミスは、椅子に腰をかけるなり外套すら脱がずに問いかける。
元より、気分転換がてらに町の様子を見て回るだけのつもりだったのだ。あまり長いこと姿をくらましていては、シズク達も不安がるだろう。
「そう急くな……全て話して聞かせるとも。だからまずは、その外套を脱いで腰を落ち着けんか」
「しかし……」
「心配せずとも、長い話にはならん。それに周囲を良く見ろ……ここならば問題無い。むしろ、そんな恰好のままの方が悪目立ちするぞ?」
「む……」
そんなテミスに、オヴィムは何の躊躇もなく外套を脱ぐと、傍らに用意されていた掛け紐に吊るして店内を顎で示す。
その視線を追って、テミスが店内へと視線を向けると、不審そうな面持ちでテミスを眺めていた他の客たちが一斉に目を逸らした。
加えてよくよく見てみれば、店内で食事をしたり酒を飲んでいる者達の種族は多種多様で、ここが獣人至上主義思考が蔓延するギルファーであることを忘れてしまう程に、人間も居れば魔族や獣人族も入り混じっている。
「フフ……ファントには無いから感覚が掴みづらいかもしれんが、この辺り一帯は貧困街でな。この町でのはぐれ者やつまはじきにされた者達が集まって居るのだ」
「……それにしては、随分と景気が良いな?」
「ここは、他の国や町での貧民街とは少し違いますから。お金が無い人やならず者達が集まる区画……ではなく、今のギルファーを仕切る人たちにとって不都合な人たちの暮らす区画の総称と言うべきでしょう」
「ホゥ……?」
オヴィムの言葉を受け、自らも外套を脱ぎながらテミスが問いかけると、一足先に外套をオヴィムへと預けたアルスリードが、得意気な笑みでテミスの問いに答えた。
その答えは子供らしく、言葉選びこそ飾る事の無い直線的なものであったが、テミスにはその分本質を捕らえているようにも思える。
つまるところ、この区画に集まる者達は今の獣人至上主義のギルファーに不満を抱いている訳で。
いっその事、数で劣る融和派の拠点をこの辺りへ移してしまえば、もっと手勢が増えるのではと思うほどだ。
「アルス様、もう少し言葉を選ばれた方がよろしいかと。そして、あ~……テミスよ、話すのは構わないのだが、まずは一つ質問させてほしい」
「ン……?」
「お主がこの町に居るのは……あ~……なんと言うか、儂が文を送ったせいなのか?」
「あぁ……。いや、それはそうだ……とも言えるし違う……とも言えるな」
外套を脱いだ面々がテーブルに着くと、早速とばかりにオヴィムが口火を切った。
だが、その表情は非常に気遣わし気で。テミスはその理由を僅かに考えた後、すぐに思い至って答えを返す。
要するに、オヴィムは自らが送った手紙のせいで、テミスをこんな時勢のギルファーへ来させてしまったのではないかと案じているのだろう。
しかし、あの手紙が無ければ今頃、ファントはかなりの混乱に叩き込まれていただろうし、相応の被害が出たであろうことは明白だ。
「完全に別口……という訳ではないが、少しばかり悪戯をされてね。身元を探ってみればその連中、なんとこの国の者だというではないか」
「っ……!! よもや連中……既に手を出していたとは……」
「クク……その点ではオヴィム、お前の寄越した手紙は大殊勲だぞ? なにせアレが無ければ、私は今頃この国へ攻め込んでいたやもしれん」
「ムゥッ……ッ……それは……何より……であった……」
「あ……あはは……」
更にテミスが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべてそう言葉を付け加えると、それが決して比喩でも冗談でも無い事を知っている二人は乾いた笑みを浮かべる。
例えば、この国の者がやらかした『悪戯』とやらで、テミスの親しい者が取り返しの付かない犠牲にでもなっていたら……。二人は、テミスがこの美しくも可愛らしい顔を、修羅か悪鬼とでも見紛うが如き怒りに歪めながら兵を率い、最前線で剣を振るう姿が易々と想像できた。
「兎も角、私も何の用も無しに来た訳では無い……という事さ。だから、訊きたいんだよオヴィム。お前達はアルスリードの見分を広げる為に各地を旅しているのではなかったのか? 何故、未だにこの地に留まっている? 先程は成り行きで手を貸したが、お前達は私の……敵か? 味方か?」
「っ……!!」
そんな、何処か緩んだ雰囲気を漂わせた二人を圧倒するかのように、不敵に浮かべていた微笑みを深めると、テミスは殺気とも思える迫力を纏って静かな声でそう問いかけたのだった。




