911話 無害の証明
「……という次第です」
「っ……なんと……」
シズクが長い報告を語り終えると、ムネヨシは息を詰まらせてから大きなため息を吐いた後、まるで頭痛でも堪えるかのように、ゆっくりと持ち上げた掌で額を覆った。
その傍らには、話の間に音もなく茶の給仕を終えた女士官の姿もあり、話の途中から聞いていた彼女の表情も驚きに満ちていた。
……と、いうのも。
シズクは自らがファントへ辿り着いてから、今日にギルファーへと帰還するまでの事柄を、詳細にかつ包み隠さず語った為だろう。
無論そこには、シズク自身がテミスへと斬りかかったあの一件や、テミスも知らない彼女がファントで過ごした日々も含まれており、テミスが補足する事は殆ど無かった。
故に、テミスはシズクの目線で語られるファントでの出来事に興味深く耳を傾けながら、出された茶に舌鼓を打っていたのだ。
「なんと……いう事だ……」
だが再び、ムネヨシは重苦しい口調で言葉を繰り返すと、疲労感をにじませた表情でテミスへと視線を向ける。
その内心が如何なるものかなどテミスには知る由も無いが、常識に準えてある程度推察する事ならばできた。
恐らく、その心を二分している感情は、疑心と安堵だろう。
普通ならば、自国に攻め込んできた敵性国家が内戦中であるとなれば、その混乱に乗じて全力で攻め返して支配するのが正常だと考えるはずだ。
だが、私はギルファーへ攻め込むどころか、劣勢に立たされている融和派に手を貸すと申し出ているのだ。
なればこそ、真意を知らぬムネヨシからしてみれば、テミスという存在は決して受け入れる事のできない者であると同時に、今の劣状を逆転する切り札にも見えるはずだ。
「っ……!! テミス殿」
長い沈黙の後。
ムネヨシは意を決したかのように口を開くと、突如テミスへ向けて深々と頭を下げ、僅かに震える声で言葉を続ける。
「この度はッ……!! 我が国との戦争を思い留まって頂き、まことに……まことにッ……!! 感謝いたしますッッ!」
「…………。私が本物であるか、未だ確たる証明など出来ていない筈だが?」
「……ッッッ!!! そ、その節は、大変な失礼を致しまして――」
「――ククッ……。いや、失礼。ムネヨシ殿。そう畏まらず、頭を上げていただきたい」
態度を一変させたムネヨシに、シズクや周囲の者達は目を丸くして驚愕していたが、テミスだけはただ一人、悠然とした笑みを浮かべて皮肉を口にした。
しかし、あまりにも謙るムネヨシに閉口したテミスは、苦笑いと共に態度を軟化させる。
「我々とて、要らぬ争いなどしたくは無い。こと攻め込むのであれば金はかかるし、数多くの者達の命が失われるだろう。避けて通る事ができるのならば、それは望むべくもない」
「ッ……? 確かに仰る通りです。し、しかし……」
「フッ……こうして弱ったギルファーを目の前にして、攻め込まん理屈が理解できんか?」
だが、テミスの言葉に従って頭こそ上げたものの、ムネヨシは目に見えて冷や汗を流していた。
だからこそ、テミスはニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべると、あえて言葉を選ぶ事無く、真正面からムネヨシの憂慮へと斬り込んでいった。
「確かに、いかに厳しい気候の地といえど、攻め滅ぼした後に国ごと支配して獣人族を下し、奴隷としてしまえば……その利益は、なるほど相当のものだろう」
ただ国家の損得だけで考えるのであれば、ファントからギルファーまでの遠征の労力やそれにかかる費用、戦いで失われる命を秤に乗せても、ギルファーという国の全てを奪い取れるという利益には遠く及ばないだろう。
しかし、テミスを動かすものは国としての豊かさでも損得でもない。
わざわざこんな所まで足を延ばして殺し合いをするなど、到底理解できない凶行に過ぎないのだ。
「だが生憎、私はその手の事に興味が無くてな。我々ファントがギルファーに求めるのは良き隣人である事だけなのだよ」
「ッ……!! おぉ……なんと……なんと……」
「だってそうだろう? この国を支配下に置いたとして誰が統治する? 奴隷とした連中の管理は? そんな面倒を抱え込むなど御免だ。だからこそ、お前達融和派の助力を……と思ったのだがな……」
畳みかけるように語るテミスの話に、ムネヨシは驚愕し、打ちのめされたかのように目を見開いて聞き入っていた。
だが、自らが敵ではないとムネヨシを説き伏せるべく、口上を述べながら必死で次の言葉を捻り出しているテミスが、今にも感涙しかねないムネヨシの様子に気付く事は無かった。
そして、語り終えたテミスは一息を吐いてから、意味深に自らの潜ってきた扉へと視線を向けたのだった。




