908話 漆黒の瞬撃
ギャリィンッ!! ガィンッ!! と。
テミスが打ち込まれる斬撃を受け止める度に火花が散り、金属音が鳴り響いた。
しかし、抜き放った刀で斬撃を放っているのは獣人の女のみで、対するテミスは腰に提げた漆黒の剣を中程まで抜いた格好のまま受け続けている。
「汚らわしい人間がッ……!! 思い上がるなよ!! 脆弱なお前達がたった一人で我等を下せるものかッ!!」
「クハハ……ならば、その脆弱な人間一人容易く斬り伏せる事の出来ないお前は、人間以下の畜生という事になるな?」
「ッ……!!! コイツッ……言うに事欠いて……私を畜生だと……ッ!!?」
「カガリッ!! ダメッ!! やめてッ!!」
刀で斬りかかりながら激高する女を、テミスは皮肉気な笑みを浮かべて挑発した。
そして、その挑発は見事に彼女の地雷を踏み抜いたらしく、獣人の女はこちらまでキリキリという歯ぎしりの音が聞こえてくる程に固く歯を食いしばり、より一層濃密な殺意を向けてくる。
だが、テミスの背後で制止を叫ぶシズク以外に彼女を止める者は居らず、周囲の者達はむしろ、何処か期待の籠った眼差しで戦いの行く末を見据えていた。
「フム……」
どうやら、獣人族が誇り高い連中だというのは間違い無いらしい。
剣戟の狭間に、チラリと周囲の様子を窺うと、テミスは心の中で密かにそう断ずる。
周りを取り囲んでいる連中の中にも、まだ腰や背中に刀を提げている者は居る。だが、柄に手を添えている者こそいるものの、誰一人としてこの女の加勢に来る者は居なかった。
ならば、私のやる事はただ一つ。
「シズク。このままでは埒が明かん……殺しはしない。抜くぞ。構わないな?」
「っ……!!!」
テミスは自らのやるべき事を定めた後、背後のシズクへと視線を向けて確認を取った。
そう。テミスはこの剣戟が始まってから一度も、鞘から完全に剣を抜いてはいないのだ。
それは、テミスに攻撃の意志が無い事を示すせめてもの誠意であり、怒りで精細を欠いた雑な斬撃に対し、『受け』に徹している理由でもあった。
「卑劣な人間がシズクに話しかけるなァッ!!!」
だが、言葉を交わす事すらも目の前の獣人にとっては気に障るらしく、カガリと呼ばれた獣人は激高の叫びと共に、刀を引いて力を溜めるかのように腰を落とす。
それを見たシズクは、驚いたように目を見開いた後小さく息を呑むと、涙を溜めた視線をテミスへ向け、コクリと小さく頷いて口を開いた。
「できれば……怪我……させないで下さいッ……!!」
「ハッ……!!!」
その縋るようなシズクの言葉に、テミスは噴き出したように笑うと、中程まで抜いていた漆黒の剣を、カチンという音を立てて鞘へと戻す。
しかし、テミスの正面のカガリは、既に攻撃態勢に入っていた。無論、激高の只中に居るカガリは、たとえテミスが剣を収めたとしても攻撃を止める気など無く、正真正銘の全力で己が刀をテミスへ突き立てて殺すべく地面を蹴った。
直後。
「――!? はっ……?」
「え……」
「なっ……!?」
ドズン。という鈍重な衝撃が響くと同時に、驚愕の声がホールに木霊する。
何が起こったのかわからない。それが、その場に居合わせた殆どの者の感想だろう。
カガリがテミスへ攻撃すべく、突撃した所までは見えていた。しかしそこから、まるで時間でも跳んだかのように、地面に仰向けに倒れたカガリに覆い被さったテミスが、その喉元に漆黒の剣の切っ先を突き付けていた。
それは突撃を仕掛けていたカガリですら同様で。瞬きすらしていなかったはずなのに、気付けば敗北が決していたのだ。
「っ~~~!!」
だが、僅かではあったが、その刹那の出来事を辛うじて知覚できた者は居た。
後ろからその様子を見ていたシズクもその一人で、背中を駆け抜ける電流のような痺れと共に、じわじわと肌が粟立って行くのを自覚していた。
「何――」
「――全員動くな。私にお前達と刃を交える気は無い。だが、まだ向かって来るというのなら、コイツ共々死ぬ覚悟をして貰おう」
衝撃冷めやらぬ中、テミスは自らの下から響いた呻き声に、剣の切っ先を押し付けて黙らせると、周囲の者達へギラリと鋭い眼光と共に言い放つ。
その凄まじい気迫に、周囲の者達は皆一様に黙り込み、ゴクリと生唾を呑み込んだ。
テミスへ視線を注ぐ誰もが、誇りに懸けて立ち向かわねばならないのは十分に理解している。だが、先程の一瞬で何が起こったのかすら理解できなかった者は恐れて動けず、刹那の一撃が見えてしまった者は畏れて動く事など到底できなかった。
「クク……。全く……やはり来たのが私で良かった。よもや、言葉を交わすよりも先に刃を交える事になるとは……。だが諸君、喧嘩を売るのならば相手は選んだ方が良い」
そして訪れた静寂の中。
テミスは不敵な笑みを浮かべて立ち上がると、ジロリと周囲を睨み付けて言い放ったのだった。




