907話 動乱の帰還
「こちらです」
ギルファーの町の中心部を通り過ぎた先、道の向こうに大きな城のようなものが見えた頃。
シズクは一棟の建物の前で歩みを止めると、テミスを振り返って静かに口を開いた。
町を歩いて判ったが、どうやらギルファーは大きな山にへばり付くように作られているらしく、山頂の方に設えられた城から下る、城下町のような造りになっているらしい。
しかし、シズクが足を止めた建物は大きさこそかなりのもので、造りも立派な豪邸と呼ぶにふさわしい建物ではあったが、その城のような建物が小さく見える程に距離が離れている。
「一応、聞いておこう。ここは?」
「……我等融和派の者達が集う拠点の一つです」
「フム?」
意味深に問いかけたテミスへ、シズクは声を潜めて言葉を返すと、そのまま息を吐いたテミスを警戒するように見つめ続けた。
しかし、テミスはシズクの視線を黙殺したまま、チラリと城を一瞥して意識を思考へと向ける。
実際にギルファーを見た感覚とシズクの話を統合すれば、彼女の所属する融和派が大きな組織でない事は明らかだ。
故に、ともすれば城の片隅や朽ちかけた小屋に案内されても不思議ではないと思っていたのだが……。
「フッ……。なかなかどうして立派な館じゃないか」
「ありがとうございます。では、付いてきてください」
「あぁ」
その現状に釣り合わぬ豪奢さの意味を理解しながらも、テミスはあえてそれを口にする事は無く、ニヤリと頬を歪めて褒めるに留めた。
それを受けたシズクもまた、その賛辞が儀礼的なものであると理解しているのか、静かに言葉を紡いだ後、テミスを先導するように屋敷の中へと足を踏み入れていく。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」
ボソリ。と。
テミスは小さく喉を鳴らして呟きを漏らすと、先行するシズクの背を追って屋敷の中へと足を踏み入れた。
そこは、大きなホールのような場所になっていて、身なりの良い獣人たちが数人、足早に通り過ぎながら、チラリとシズクへ視線を向けている。
「ネコミヤシズク。只今帰還いたしました!!」
「おぉ……よくぞ無事で……」
「戻ったか……良かった……」
そして屋敷へと入った瞬間。一身に視線を受けたシズクが胸を張り、凛とした声を張り上げると、屋敷の至る所から扉を開く音が聞こえ、様々な呟きと共に沢山の獣人たちがホールへとなだれ込んできた。
その後ろで、テミスは一言すらも発する事無く、まるでシズクの影になったかのように成り行きを見守っており、その甲斐もあってかテミスの入館を咎める者は居なかった。
だが、それも束の間の事で。
「ご苦労。君が戻ったと聞いて、私もつい部屋を飛び出して駆け付けてしまったよ」
「ムネヨシ様……ご心配をおかけしました」
「いや。良いんだ。それで、早速君の報告を聞きたい……のだが……」
さながら、死地に赴いた兵士が無事に生還したかのような騒ぎが落ち着き始めると、その視線がシズクの後ろに控える、外套を目深に羽織ったままの不審者へ向けられるのは道理だった。
しかも、一番初めに水を向けたムネヨシと呼ばれた男は、どうやらかなり地位が高いらしく、ホールに集まった者達の視線もテミスへと集中する。
「ンクク……」
しかし、大勢の獣人たちの視線が集中する前で、テミスは思わず喉を鳴らした。
なんという千載一遇のチャンス! 融和派たるシズクが傅くそれなりの立場にある者が居る上に、周囲には他の融和派の者と思われる連中が大勢集まっている。
そんな、まるで誂えたかの如く現れた好機に、テミスは静かにシズクの隣へと歩み出ると、目深に被っていた外套のフードを外した。
「なっ……!?」
「人……間……!?」
「奴隷……!? いや……首輪をしていないぞッ!!」
瞬間。
見て取れるほどの驚愕が周囲を囲んでいた者達の間を走り抜けると同時に、テミスへと向けられていた視線に含まれていた意識が、完全に敵意へと切り替わる。
しかし、テミスが悠然とした態度を崩す事は無く、その顔に不敵な笑みを浮かべて朗々と口を開く。
だが……。
「……御機嫌よう。ギルファーの諸君。私は――」
「――なんっ……でッ!!!」
ギャリィンッッ!!! と。
友好的な笑みを浮かべて紡ぎ始めたはずの口上は、突如として飛び込んできた一人の獣人によって遮られ、振り下ろされた獣人の刀と半ばまで抜かれた漆黒の刃がけたたましい金属音を鳴り響かせる。
「おや……? おかしいな。ここは融和派の者達が集う屋敷だと聞いたのだが……」
「黙れッ!! なんでッ!! なんでこんな所に人間が居やがるんだよッ!! 卑劣な人間め……シズクに何をしやがったッ!?」
「ハァ……やれやれ。シズク、悪いが正当防衛くらいはさせてもらうぞ」
「……!? 待ってッ!! お願いだからッ!!」
飛び込んできた獣人が斬り込んだ刀に力を込めながら吠えると、それに応じたテミスがため息と共に言葉を紡ぐ。
そんな、一瞬にして混乱を極めた場に、悲鳴のようなシズクの叫びが木霊したのだった。




