85話 骨肉の争い
フリーディアとテミスの戦いは激化の一途を辿っていた。躱し、斬り付け、受け流して、突く。
剣先すら霞む激戦に割って入る者は等しく切り裂かれ、周囲の兵士たちは次第に黙ってその行く末を見守るようになる。
「ッ――チィッ!」
手首を翻したフリーディアの一閃を辛うじて躱し、テミスが舌打ちをする。戦況は一見拮抗を保っていたが、歯を食いしばったその表情の裏には、凄まじいまでの苦悶が封じ込められていた。
「ハアッ!」
「フッ――!」
身を屈めた回避を生かした渾身の刺突すら、フリーディアはその剣の腹を滑らせて受け流す。そして、その後に待っているのはがら空きの胴を薙がんとする必殺の一撃だった。
「ぐあっ……」
苦痛の声と共にテミスの胸元から鮮血が迸り、周囲の兵士が湧き立った。呑気な傍観者共の中からは、やっぱ魔王軍も大した事ねーな! なんて野次も漏れ聞こえてくる。
「クソッ――!」
テミスは悪態を吐きながら身を翻してフリーディアの追撃を躱し、大きく距離を取る。もう何度、こうして後ろに退いただろうか。
「降参しなさい。罪を償うと言うのなら命までは取らないわ」
「ハッ……冗談は止せフリーディア」
額から落ちる汗をぬぐいながら、テミスはフリーディアの勧告に嘲笑を返す。この状況だけは思わぬ誤算だった。
「やれやれ……試験運用の大切さを思い知ったよ……」
口の中でそう呟くと、テミスは素早く周囲に目を走らせる。前方にしか退路は無く、そこには強大な敵が待ち構えている。例え死力を尽くしてフリーディアに勝利したとしても、力を使い果たしてしまえば周りの雑魚共の餌食だ。
「フーーーーッ……」
大きく息を吐いてから、テミスは再び細剣を構えて眼前のフリーディアを見据える。ここまでのフリーディアとの打ち合いでわかった事はたったの二つ。奴が力ではなく、技で戦うタイプの剣士である事。そして、その技の練度が桁違いに高いという事だ。その洗練された動きは、ただの突き一つすらも必殺の一撃と化すほどに研ぎ澄まされており、あの世界であればそれだけで富と名声を欲しいままにできただろう。
「まぁ、私も大概か……」
互いに構えたまま睨み合いながら、テミスはぽつりとひとりごちる。お世辞にもテミスの剣は巧いとは言えない。現代剣術を独自に改変した言わば我流の剣であり、その練度も実際の戦場で打ち鍛えた荒々しい物だ。しかしテミスには、技量の拙さを補って余る程の膂力と反射神経があった。先日までの戦いでは、その差こそがテミスとフリーディアの戦力拮抗を僅かにテミスへと傾けていた物だった。
故に今、フリーディアはさした手傷も無く剣を構えており、対するテミスはボロボロの体で大きく息を乱していた。
「……やむを得んか」
テミスは先ほど受けた傷に意識を向けながら覚悟を決める。唯一勝っていた迅さと力が拮抗した今、私には万に一つの勝ち目もない。しかし、ここで勝利をもぎ取らねばならない以上、手段を選んでいる余地は無い。
「せぇッ!」
「っ……!!」
ピクリ。と。僅かにテミスの左手が動いた瞬間。烈破の気合と共にフリーディアの剣がテミスの胸に向けて放たれた。目にも止まらぬ速さの剣が肉を抉る刹那、寸前で反応したテミスの細剣が切っ先を逸らし、その一閃は左肩を浅く裂いて止まる。
「フッ!」
「なっ!?」
肉薄した二人の視線が重なった直後、フリーディアから驚きの声が漏れた。なぜなら、フリーディアの剣を逸らしたテミスの細剣がその手を離れ落ち、支えを失ったフリーディアの刃がテミスの頸へと進み始めたのだ。
しかし、その白刃がテミスの肌を裂く事は無く、直後フリーディアの視界は気持ちの悪い浮遊感と共に反転した。
「――っ!?」
ズザァッ! と。派手な音と共にフリーディアが着地し、その衝撃で膝を付く。フリーディアが後ろに退いたのは、この戦いが始まってから初めての事だった。
「今のは……何……?」
ざわざわと周囲の兵士に動揺が広がり、フリーディアの口から疑問が漏れる。何をされたかはわかる。手首を絡め捕られ胸元を掴まれた瞬間、こちらに背を向けたテミスの背に乗せられ、投げ飛ばされたのだ。しかし、フリーディアの知識にはそんな技は存在しなかった。
「背負い投げ……私の故郷に伝わる不殺の技だ」
地に突き立った細剣を抜きながらテミスが答え、その唇が皮肉気に歪む。
「不思議か? この私が不殺の技を収めている事が」
「っ……」
息を呑むフリーディアの顔を眺めながら、テミスは内心でため息を吐いた。咄嗟の思い付きだったが、身に染み込んだ動きというものは案外有効らしい。フリーディアの表情から察するに、この世界に柔道という武道は存在しないのだろう。ならば、現代格闘技における抵抗法や返し技も知らない可能性が高い。
「まぁ……根本的な解決にはならないか……」
抜いた細剣を構えながら、テミスはボソリと呟く。現代格闘技は、不殺どころか勝負を決定付ける事を目的とし、その体を傷付けない事に特化している。今の背負い投げのように、最後の引手を離す事である程度の殺傷能力は付与できるが、殺人に特化した技術の前ではからめ手に過ぎないだろう。
「エァッ!」
「っ!」
気合と共にテミスの体が前方へと射出され、体制の崩れたフリーディアに肉薄する。細剣が閃き、その剣閃がフリーディアの体の中心を睨みつけた。
この好機を逃せば、勝利は無い。
目を見開いたテミスの一撃がフリーディアの体へ吸い込まれ……。
「甘いっ!」
ジャリィンッ! と言う高い金属音と共に空を切った。
「フッ……」
「っ……あぐっ……!!」
直後。テミスが不敵な笑みを浮かべると、フリーディアが苦悶の声を上げる。
その左手には、いつの間にか握られていた黄金色に輝くもう一本の細剣が握られており、その切っ先はフリーディアの右肩を深々と貫いていた。




