906話 栄華の表裏
ギルファー中心街。
そこはシズクの言葉通り華やかな賑わいに満ちており、町を彩る人々は皆、凍て付く寒さを吹き飛ばすかのような勢いと活気に満ち溢れていた。
立ち並ぶ店々はしんしんと降り積もる雪にも耐えうる頑強な造りで、何処か武骨な雰囲気を漂わせた面構えを並べている。
そんな中を、外套を目深に被ったテミスは、前を歩くシズクの姿を見失わぬように追いながら、周囲に軒を連ねる様々な店に視線を走らせた。
「……居酒屋に武器屋に道具屋。大層な賑わいっぷりじゃないか」
「えぇ。ファント程ではないですが、ギルファーもなかなかのものでしょう?」
「かもな……。クク……だが、私の目は誤魔化せんぞ? 確かに、獣人にとっては快適かもな」
「っ……。不快に思われたのでしたら、申し訳ありません……」
しばらく周囲を眺めた後、足を速めたテミスはシズクに肩を並べると、外套の影から皮肉気な視線と共に語りかける。
その言葉に、僅かに胸を張って得意気に答えたシズクだったが、直後にテミスが皮肉を鱈腹込めた指摘を放つと、悲し気に肩を落とす。
しかし、テミスはシズクの様子など歯牙にもかけず、クスクスと笑いながら言葉を続けた。
「娼館に賭場に奴隷商……。なるほど、ここは盛況極まる町であると同時に、ここは狩場でもあるという訳だ」
「……否定できませんね。誇り高き強さを至高とする以上、ギルファーはファントのように治安が良いとは言えません」
「加えて、今は政争の只中。強き者は更に富み、弱き者は貪られる……と」
テミスは自らの言葉をシズクが肯定すると、彼女へと向けていた視線をチラリと街角へと移す。
そこでは、奴隷と思わしき者達が鎖に繋がれ、ただひたすらに労働に勤しんでいた。しかも、奴隷として働かされているのは人間達だけではなく、獣人族と思われる者も多数混じっている。中には、ボロ布すらも纏っていない者すらおり、あえて彼等を形容するならば、まさに働く獣といった具合だ。
「……心中はお察ししますが、間違っても飛び出さないで下さいよ?」
「フッ……ここで私が暴れたところで意味など無い事くらい理解できるさ。だが……」
その視線に気付いたシズクが釘を刺すようにテミスへ告げると、テミスはクスリと小さな笑みを浮かべて言葉を返した。
幾ら腹立たしい事が目の前で起こっていようが、その事象自体を叩き潰す事ができなくては意味が無い。
たとえば、ここで私が剣を抜き放ち、この町の奴隷たちを全て救い出したとしても、また新たに捕らえられた奴隷がここへ送られてくるだけだ。
それを留めようとするのならば、それこそこのギルファーという国そのものを叩き潰してしまう他に方法は無いだろう。
だが……。
「他人の幸せを搾り取り、他者の苦しみの上に成り立つ繁栄は、果たして本当に幸せと呼べるものなのかね……?」
「っ……!!」
ボソリ。と。
テミスは休むことなく働き続ける奴隷たちに視線を向けたまま、呻くように疑問を漏らした。
確かに、自分が手っ取り早く幸せになりたいのならば、彼等のように他人の幸せを奪ってしまうのが最も簡単だろう。
だが、自分が誰かから幸せを奪った瞬間、その者は自らも自分の幸せを奪われる可能性に怯えながら生きていく事になる。
何故なら、自分が他人の幸せを奪う事ができたという事は、他人もまた自分の幸せを奪う事ができるという事の証明に他ならないからだ。
それに気付いてしまった以上、その者は常に目の前の誰かよりも強者である事を強いられるのだ。
「それは……」
「ハッ……まぁ、こういう事を考えるのは私の役じゃあ無い」
しかし、テミスの呟きに息を呑んだシズクが、重たい口を開きかけた時。
テミスは吐き捨てるように昏い笑みを浮かべると、思考を中断して再び前へと視線を向けた。
そうだ。幸せな世界の創り方なんてものを考えるのは、フリーディア辺りにでも任せておけばいい。ましてや、虐げられた人々を救う為に振るう剣など、私は持ち合わせてはいない。
私が剣を振るう理由はただ一つ。他者を虐げ、幸せを搾取して笑う悪党を絶望の底へと突き落とし、後悔に泣き喚きながら果てさせる事。
なればこそ、奴等を絶望の底へと叩き落とすには、私がここで暴れるだけではまだ足りないだろう。
「クク……愉しくなりそうだな……」
そう呟いたテミスは、外套で隠れた口元に歪んだ笑みを浮かべると、華やかに賑わう町へ背を向けたのだった。




