905話 寂寥の町
「なぁ、シズク……? そろそろ日が暮れるぞ。ギルファーにはまだ着かないのか?」
夕暮れ時。
深く雪の降り積もった街道を進みながら、テミスは前を行くシズクにうんざりとしたような声色で問いかける。
ここまでやって来る間にも、背の高い木々の立ち並ぶ森や切り立った崖など、街道の周囲を彩る景色は多彩な変化を見せていた。
だが、最後に大岩を削り抜いたような細い隧道を抜けてからはただ、深く積もった雪の隙間から、時折瓦礫や岩肌が姿を見せる荒廃とした風景が広がるのみだった。
だからこそ、テミスは今夜の寝床の事を危惧していた。今日こそは野宿をしなくて済むと思っていた身としてはとても口惜しくはあるが、このまま暗闇に呑まれて街道を外れるよりは万倍マシだろう。
「大丈夫ですよ。もうすぐ……日が暮れる前には十分到着できます」
「そうか……うむ……。お前がそう言うのならば問題は……無いのだろうが……」
しかし、前を歩くシズクから返ってきたのは、涼やかな笑顔が添えられた朗々とした返事で。それを否定する土地勘を持たないテミスは、ただ言葉を濁して周囲へと視線を向ける。
だが、何度見渡してもそこにあるのは瓦礫の山と数々の岩、そして山のように降り積もった雪だけで。
しかも、その一つ一つの大きさが小山ほどもあるせいで見通しも悪く、町を囲う防壁を見通す事もできない。
「ふむぅ……」
一向に代り映えのしない景色にテミスは早々に匙を投げると、唸り声を漏らして意識を思考へと向けた。
考えてもみれば、今目指しているのは獣人国家ギルファーの首都なのだ。ならば、魔王城の鎮座するヴァルミンツヘイムと同格の大都市なのだろう。
故に、あと数刻もしない程度で辿り着ける程に近付いているのならば、その如何ともし難い巨体は見えて然るべきのはずだ。だというのに、こうしていくら目を凝らしてみても見付ける事ができないのは、その姿を隠す術なり結界なりが施されているのかもしれない。
「フッ……。流石は極北に息を潜める列強か。街を一つ見る為にもなかなか焦らしてくれる」
そう結論付けたテミスが、ニヤリと不敵な笑みを浮かべて呟いた時だった。
「いえ。盛大にご期待を裏切ってしまって申し訳ないのですが、厳密に言えばここもギルファーの町の中なのですよ」
「は……?」
テミスの漏らした呟きを聞いていたらしいシズクが、苦笑いを浮かべながら後ろを振り返ると、酷く言い辛そうに口を開いた。
しかし一瞬、テミスは告げられた言葉の意味を理解できず、素っ頓狂な声で疑問符を浮かべて足を止めてしまう。
そして一瞬の後、自らの耳が聞き違えたのではないと認識したテミスは、その視線を困ったような苦笑いを浮かべるシズクから周囲へと向ける。
だが、そこにあるのは相変わらず、瓦礫と岩と雪ばかりで……。
「なっ……ぁ……っ……」
否。そうと言われて初めて気が付いた。これらは恐らく、かつて建物だったもの。石造りか煉瓦造りか……それらの建物が崩れた上に雪が降り積もり、小山となっていたのだ。
その光景はまるで、夕暮れの中でひっそりと眠っているかのようで。
テミスは己が気付かぬ間に町の中へと足を踏み入れて居た衝撃も忘れ、ただ眼前に広がる退廃的な光景に息を呑んでいた。
「ここはギルファーの町の外縁部。厳しい中でも逞しく生き抜いてきた先人たちの、かつての栄華の遺る場所です」
「…………何故」
ぽつり。と。
静かに紡がれたシズクの言葉に、テミスは胸の中に湧き出た疑問を零していた。
手近な小山の傍らに歩み寄り、降り積もる雪をかき分けてみれば、崩れ果てているとはいえ幾らか原型を保ったままの建物が見て取れる。
仮に、この周囲に広がる小山が全て建物であったのならば、ギルファーはそれ程にまで広大な土地資源を打ち棄てている事になる。
「フフ……。確かに、不思議に思われるかもしれませんね」
「……?」
だが、そんなテミスの言葉に、シズクはどこか陰のある笑みを浮かべると、テミスの傍らに歩み寄って、その掌で小山の雪を掬い取った。
そして、冷めやらぬ驚きに打ちひしがれるテミスの前で、掬い取った雪を宙へ放り投げて言葉を続ける。
「雪って、重いんですよ。見てくれはこんなにも軽くて、投げれば散ってしまう程に柔らかいのに……こうして家を圧し潰してしまう程に」
「あっ……!!!」
「見ての通り、ギルファーでは身の丈を優に超える雪が降り積もります。ですが、如何に頑強な獣人族といえど寄る年波には勝てません。加えて、外を知らない若い衆がこんな厳しい地に好んで残るはずも無く……」
「そういう……事か……」
哀し気な笑みを浮かべて語るシズクに、テミスは小さく頷くと静かに目を細めた。
かつて、獣人族が虐げられていた時代など私は知らない。だが現在、人間領は兎も角として、魔王領の首都であるヴァルミンツヘイムや元魔王領のファントでも獣人族の者は普通に暮らしている。
つまり、今ギルファーに暮らしているのは、この厳しい土地に残るだけの理由がある者達だけなのだろう。
「……行きましょう。こうして寂れているのは外縁部だけで、中心部はとても賑やかなのですよ?」
「…………。あぁ……」
僅かな沈黙の後。
シズクは一転して明るい笑みを浮かべてそう口を開くと、テミスの返事を待つ事無く身を翻して再び歩き始める。
その背中に向かってテミスはコクリと頷くと、静かに横たわるギルファーの街の中を再び歩き始めたのだった。




