904話 救い救われ認め合って
翌朝。
ソウスケたちが目を覚ます前にジュンペイによって揺り起こされたテミス達は、悶着になることなく岩窟を出立し、辺り一面に降り積もった雪を踏み均しながら、ギルファーへと向けて進んでいた。
しかし、僅かばかりの睡眠を取ったとはいえテミスの消耗は激しく、先導すると共に雪を掻いて進む役はシズクが勤めている。
「……朝方に起こされた時、無事な姿を見た時は本当に安心しました」
「フッ……紙一重だったがな。後僅かでも遅ければ、私はあの岩窟の連中を皆殺しにせねばならなかった」
「っ……。堪えていただき、本当に感謝します」
「止せ。あそこまで追い詰められたのは、お前の忠告を聞き入れなかった私にも原因がある」
シズクの踏み鳴らした雪道を歩みながら、テミスはひたすら恐縮し続けるシズクを宥め続けていた。
いかにテミスにとって目障り極まりない連中であったとしても、融和派に属するシズクにとっては大切な同胞なのだろう。
だが、テミスとしてもあの場で剣を振るわずに済んだのは僥倖であり、こうも畏まって礼を告げられては辟易としてしまう。
「あ~……そういえばこの外套、お前が金を出してくれたんだったな。すまない……幾らだった?」
だからこそ、望まぬ話の流れを変えるために、テミスは自らが纏う外套へと話題を移した。
改めて見たところ、この外套はかなり質の良いものだ。
丁寧になめされた厚手の皮は寒冷な外気を完全に遮断し、素晴らしい暖かさを保ってくれている。その上、表面に付いた雪が解けても外套に染み込んで来ることは無く、時折外套の表面を球のような滴となって流れ落ちていく。
「フフ……お代は結構です。その代わり、ここまで着けてきたもう一枚の外套と同じように、どうか大切にしてください」
「ム……しかし――」
「――そうでもしないとまた意地を張って無茶をしますよね? 少しでもああなった原因が自分にあったのだという自覚があるのなら受け取ってくださいな?」
「うっ……」
テミスは何とか反論を試みるものの、機先を制したシズクによって見事に封殺され、返す言葉も無くただパクパクと口を開閉させた。
しかも、先程までシズクの話す言葉が孕んでいた弱々しさは何処かへと消え失せ、今や前を進むその背中が並々ならぬ気配を背負っている。
どうやら、私は恐縮される事を厭うあまりに、話題の舵を切る方向を間違えたらしい。
確かにシズクからしてみれば、忠告をしたにも関わらずに却下され、その挙句自らが危惧した以上の危機に瀕したのだ。
その怒りは、我が身に置き換えてみれば容易く理解できた。
「っ……。すまない。そしてありがとう。必ず大切に愛用すると約束しよう」
「お願いしますよ? 高かったんですから、ソレ。表地水地蛟の革と高山魔熊の毛が使われていますし、裏地も純白雪狐の毛皮を使った最高級品です」
「うぐっ……。な、ならば猶更……」
「良いんです。確かに私のお財布は空になりましたが、普通なら私なんかがとても手を出せるような代物ではないですから。それに――」
追い打ちの如く告げられるシズクの言葉に、テミスは自らの纏うこの外套がどっしりと重さを増してきているように思えて口を開きかける。
しかし、シズクはテミスの言葉を打ち切るようにきっぱりと言い放つと、雪を掻いて進む足を止め、ニッコリと満面の笑みを浮かべてテミスを振り返った。
そして、先行するシズクに倣って足を止めたテミスの方へ身を乗り出して言葉を続ける。
「――それは私からの意趣返しです。これからずっと、せいぜいそれを身に着ける度に……いいえ、その外套を見る度に、あの失敗と私の事を思い出してください」
「……随分と手の込んだ意趣返しだな?」
「っ……! ……こうでもしないと、認めて貰えそうにありませんでしたから」
そんなシズクに、テミスが小さく息を吐いた後、ニヤリと笑みを浮かべて言葉を返すと、シズクはピクリと肩を跳ねさせると同時に、凄まじい速さで前を向いて再び歩き始める。
しかし、顔を背ける刹那。
優れた動体視力を有するテミスの瞳は、外套を目深に被ったシズクの顔が、耳の先まで真っ赤に染まっているのを確かに捉えて居た。
だからこそ……。
「そうだな……。っ……ならば、私が変わらず私で居られる事。私の信念が……正義がお前に守られた事……。確かに覚えておく」
テミスは、自分も顔を真っ赤に染めながら、前を行くシズクへ向けて、たどたどしく言葉を紡いだのだった。




