900話 重ね合う絆
吹き渡る風が目深に羽織った外套をはためかせ、その隙間から即座に侵入してくる冷気に、テミスはぶるりと身体を震わせた。
周囲を歩く者達の姿は少なく、時折街道を行き交う馬車の中からは、微かに人々の話し声が漏れ聞こえてくる。
「っ……。流石に……冷えるな……」
「かなり北の方まで来ましたからね。ですが……大丈夫ですか? 彼の地はここよりも更に冷えますが……」
「辛くないと言えば嘘になる。だが、文句を言った所でどうにかなるものでもあるまい」
ポツリと零されたテミスの呟きに、傍らを歩くシズクが身を寄せて問いかけると、テミスは歩む足を止めぬままに僅かに乱れた外套を身体に巻きつけながら、ぶっきらぼうな口調で言葉を返した。
あの鄙びた村の酒場で酌み交わしてから、テミスに対するシズクの態度は大幅に軟化していた。
それは、今までテミスへ向けてきた態度が嘘であったかのように手厚く、時折北方の事情に疎いテミスへ説明をしたり、何かとこうして気をかけてくるようになったのだ。
しかし、そんな素直な態度は捻くれ者であるテミスにとって最も苦手なものの一つであり、テミスはその度にこうして皮肉交じりに言葉を返したり、照れくさそうに視線を泳がせて答えたりしている。
「ふふ……外套を買い替えるか、更にもう一枚手に入れて、重ねて羽織るかなどすれば良いと思いますが……」
「必要無い。私はこの外套を手放す事など考えていないし、そんじょそこらに転がっているような外套をコイツの上に羽織る気は無いさ。なに……寒さに耐え切れなくなったら何か考えるさ」
「そう……ですか……」
だが、シズクはそんなテミスにクスリと小さな笑みを浮かべると、静かに言葉を返していた。
それは、今回に至っても変わる事は無く、シズクは一度は説得を試みるかのように言葉を重ねたものの、最終的には小さく頷いて話を切り上げると、その視線を密かに自らの外套へと走らせて考えを巡らせる。
話を聞く限り、彼女は南方へこそ向かった経験はあるものの寒さに関してはもともと厳しい気候の中で暮らしていた私とは違って全くの未経験だろう。
だからこそ、全てが手遅れとなった耐え切れなかった時に対策を考える……なんて言葉が出て来るのだ。
「っ……」
シズクが思考に没頭をしはじめ、会話が途絶えて数分。
寒さに身を縮こまらせたテミスはシズクと共に街道の隅を歩き続けながら、己の認識の甘さに歯噛みをしていた。
テミスとて、寒さに対する知識を持ち合わせていない訳ではない。今はまだ、冷たい空気に触れた肌がかじかむ程度の寒さならばギリギリ耐える事ができるだろう。
だが、この先の気候がシズクの語る通り、今よりもさらに厳しいものになるのならば、今の装備だけで耐え切るのは不可能だ。
しかし……。
「…………」
テミスは自らの悩みに自答するように無言で外套のフードを僅かに持ち上げると、周囲を伺うように視線を走らせる。
そこには、相も変わらず人気の疎らな街道の景色が広がっていたが、問題はそのとても暖かそうな厚手の外套に身を包んだ旅人たちの風体だった。
厚手の外套から覗く彼等の特徴はどれも人間とはかけ離れており、見渡す限りほとんどの外套には、頭頂部にそそり立つ耳を収める為の袋が付いている。
つまるところ、この辺りに居る者達の殆どは獣人なのだ。なればこそ、人間であるテミスの印象が悪いであろう予測は簡単に付くし、例え取引に応じてくれる者が居たとしても、足元を見られるのは確実だ。
だが同時に、先程から自分の身を案じているであろうシズクの視線も感じていて。
だからこそ、更に数分歩きながら思案した後、テミスは深いため息を吐いて口を開く。
「お前の気持ちは……感謝する」
「でしたら――」
「――それでも駄目なんだ。この外套は私が初めてあの町を訪れた時、店主の好意で譲って貰ったものなんだ」
「それは……。そう……だったのですね……」
その言葉を聞いてシズクは言葉を濁すと、僅かにテミスの方へと身を寄せながら、コクリと頷いて先を促した。
例えそれが他愛のない話でも構わない。こうして遥か北方の果てにある祖国まで、はるばる助太刀に参じてくれるテミスの事を、シズクは良く知りたかった。
「あぁ……。それに金も道中に賊から奪ったものがあるとはいえ潤沢ではない。だから済まないが、私の意地に付き合ってくれ」
「フフ……そういう事なら、仕方がありませんね」
そんなシズクの内心に答えるかのように、テミスがカタカタと小刻みに震えながらそう語ると、シズクはクスリと柔らかな笑みを浮かべて微笑んで、コクリと頷いたのだった。




