84話 血濡れの剣姫
ラズール中央戦線・人間軍本陣後方
突如としてそこに姿を現したのは、少人数の黒騎士達だった。その先頭、一番槍を務めているのは、白銀の髪を持つ一人の少女だった。
「っ……前進しろ! 勢いを殺すな! 奴等の腹をブチ抜く事だけを考えろ!」
少女の声に呼応して、土煙と共に鬨の声が響き、色とりどりの魔弾が射出される。テミス達第十三独立遊撃部隊は、フリーディア達に宣言した通り人間軍本陣を強襲していた。
「チィッ……本当に来やがった……」
「嘘だろ……」
「た、たかが半壊の一個中隊だ! 囲んで潰せ!」
テミス達が馬上から放つ魔術が次々と被害を拡大させていく一方で、人間軍の兵士たちは軽い恐慌状態に陥っていた。
「フム……? 妙だな」
「……で、ありますな」
細剣を振るって光の刃を射出したテミスが呟くと、傍らのマグヌスが頷いて同調する。フリーディア達は私達の強襲を報せる為に本陣へと帰投したはずだ。例え後方に兵を配置する判断を引き出せなかったとしても、奴の性格を考えれば白翼の連中は居ると思っていたが……。
テミスが改めて周囲を見渡すが、あの黄金色に輝く髪はおろか、忌々しく眩しい陽光をはね返すあの白銀の甲冑連中すら見当たらない。
「逃げた……? いや、まさかな」
己の中に浮かんだ選択肢を、テミスは一瞬で切り捨てた。あの憎たらしい程に正道を貫くフリーディアが、指揮官に却下された程度で仲間の兵士を見捨てて逃げ出す訳が無い。
「ならば……」
テミスは一つの可能性を導き出し、部隊へ指令を下す。圧倒的に数で劣る現状、普通であれば愚策中の愚策だが、奴等が姿を見せない理由はそれくらいしか思い当たらない。
「総員! 分散進撃! 第二小隊はサキュド、第三小隊はマグヌスが指揮を取れ! 残りはハルリトを担いで私と来いっ!」
「っ……了解!」
テミスの指令と共に、十三軍団は三つの塊に別れて混迷を極める人間軍の兵士の海の中へ突っ込んだ。
「ククッ……お前に撃てるものなら撃ってみろッ!」
そう呟きながらテミスは頬を吊り上げると、目の前に貼られた天幕を薙ぎ払って前進する。マグヌス達の戦力であれば、幾ら雑兵が出てこようと問題ないだろう。唯一の懸念は冒険者将校の存在だが、正面に戦力を集中しているらしい今、前線から戻ってくるまでにはまだ幾ばくかの猶予があるはずだ。
「それまでに……指揮系統を叩き潰すッ!!!」
気合と共に放たれた月光斬を受けた支柱が切り倒され、何層にも張り巡らされていた天幕がまとめて薙ぎ払われる。その中心には、いつかファントで見た運動会のテントの様な天幕が傾いでいた。
「そんなっ……馬鹿……なッ……」
その天幕の傍らには、輝かしい勲章を自慢気にぶら下げた、壮年の軍人が驚愕と恐怖がこびり付いた顔で立ちすくんでいた。
「貴様が……指揮官だなァッ!?」
その姿を視界にとらえた瞬間。テミスは目を剥いて一喝すると、戻りつつある膂力を総動員して馬の背の上から飛び出してその顔面に向けて細剣を叩き込んだ。
「ヒィッ――!?」
「――させないッ!!」
細剣の切っ先が指揮官の眉間を捉える刹那。黄金色の残像を残したフリーディアが、凛とした声と共にその間に割り込むとテミスの剣を受け止めた。
「随分と早いお戻りだな?」
「…………してやられたわ。一点突破も厳しいこの戦力差でまさか分散するなんて……」
ギャリリィッ! と互いの剣が火花を散らすその対岸で二人の視線が交差する。その直後にフリーディアの脚が動くと、それを察知したテミスが大きく後ろへ跳び下がる。
「ヒョードルさんっ! 一度撤退をッ! ここは私が抑えますッ!」
「させるかッ!」
「――っ! 早くッ!」
鋭く叫んだフリーディアの声に即応したテミスが指揮官へ向けて細剣を突き出すが、翻ったフリーディアの剣が再びそれを阻む。
「……クソッ! まだ完全には程遠いかッ!?」
フリーディアの剣を振り払って繰り出した三撃目も防がれて、テミスの口から悪態が漏れた。そうこうしている間に、気難し気な顔を無様に歪めた司令官は、テミス達に背を向けて人間兵の群れの中へ姿を消していた。
「……やってくれたな。あの愚物を逃せば、まだこの戦いは長引くぞ」
「いいえ。戦いは終わるわ」
「――何ッ!?」
ギリギリと細剣に力を込めたテミスが忌々し気に呟くと、それを顔色一つ変えずに受け止め続けるフリーディアが力を流す。
「戦いはッ! 終わるッ! っ――! 決着のつかない……ままねっ!」
「っ――! ぐっ……抜かせッ! 和平の芽を摘まれた時点で……我々の敗北だッ!」
ガギンッ! ギャリィン! と、激しい剣戟を奏でながら、テミスとフリーディアは舌戦を繰り広げる。会話と共に繰り出されるその攻撃は、その一撃一撃に互いの命を刈り取らんと渾身の力が込められていた。
「テミス……私は決めたわ!」
「何のッ……話だッ!?」
白刃に身を躍らせながら、不敵な笑みを浮かべたフリーディアがテミスへと語りかけた。それを苦しげな表情で受け止めたテミスの頬に、赤い真一文字がうっすらと浮かび上がる。
「私は貴女の為にあなたを止めるッ! 大事なものにも気付けない……馬鹿なあなたのために!」
「大きなッ――お世話だッ! グッ……現実も見れないッ……ロマンチストがッ!」
言葉に込めた気合と共に突き出されたフリーディアの剣が、浅くテミスの額を裂き、躱し損ねた銀髪が宙を舞う。同時に、テミスの吐き捨てた言葉と共に薙がれた細剣が、宙を泳ぐ黄金の髪を切り裂いた。
「ッ――!!」
体勢を崩した所を狙ったフリーディアの剣を躱すため、テミスが再び大きく後ろへと跳び下がる。
「喰らえっ」
「チッ――!」
テミスは空中で身を捻ってその着地を狙った兵士の一撃を躱すと、その勢いを殺さぬまま薙いだ剣で兵士の首を切り落とした。
「っ……ハァ……ハァッ……」
「その髪は……そうやって染まっていったのね……」
ドサリッ! という音と共に、着地したテミスの銀髪に返り血が飛び跳ねる。荒い息を吐きながら、間を置かずに首の無い兵士の体を蹴り飛ばして身を起こすテミスを眺めるフリーディアの瞳は、深い憂いと悲しみに沈んでいた。
10/25 誤字修正しました
2020/11/23 誤字修正しました




