892話 先人の意志
「……まずは、改めて自己紹介を。私は猫宮滴。ギルファーに所属する兵の一人に御座います」
静かに語り始めたシズクが最初に口にしたのは、己の身の上だった。
以前、シズクがテミス達に自己紹介をした時には、彼女はその身分を旅人だと偽り、その出自を語る事も無かった。
無論。普通であれば、ファントとは直接関わりのないギルファーの兵士が身分を偽って忍び込めば、その時点で国家間の問題へと発展しかねない。
だが、ことこの場面においては、はじめに本当の身分を明かして誠意を示す事で、シズクはテミス達にこれから語る話の内容が、偽りのない真実であると告げているのだ。
「私の所属についてはまずはご勘弁を。我が国の中にも数多部隊は存在しますが、先に告げてしまうと少々話がややこしくなりますので」
「フム……」
「構わないわ。続けて頂戴」
僅かな間をおいて続けられた言葉にテミスが小さく息を吐く隣で、フリーディアはシズクへコクリと頷いて相槌を打った。
しかしテミスとしては、シズクが気を遣っている事は理解できるが、その話の内容如何によっては即応せねばならない為、順序だてて話されるよりも、早急かつ迅速に語ってくれた方が助かるのだが……。
「感謝します。実を申しますと我がギルファーは現在、一つの大きな問題に直面しているのです。それは、国を割っての大政争。突如として先王陛下が王位を退かれると仰った事に端を発します」
「王位を……? 死ん……身罷った訳ではないのか?」
「はい。陛下曰く、時代は変わった。最早儂のような古い者の出る幕ではない……と。以来ギルファーは、獣人至上を掲げる強硬派と他種族との協調を掲げる融和派に別れ、日々争いを繰り広げています」
「フン……。成る程、少し読めてきた。つまるところお前はその融和派とやらに属する者で、先だってのコウガ達みたいな盗賊共は強硬派の連中という訳だ」
シズクが重々しい口調で自国の内情を語ると、テミスはシズクが皆まで語り終える前に小さく鼻を鳴らして口を挟んだ。
要するに、現在のギルファーは内戦かそれに近い状態にあるのだろう。
経緯はどうあれ、一国の主の座が空いたのだ。これを期に、国家そのものを自らの主義主張に傾けようと考える者が、ごまんと居ても不思議ではない。
「はい……。ですから決して、我々に……ギルファ-に侵略の意志があった訳ではないのです!! 少なくとも融和派は――」
「――そこはどうでも良い。だが……妙な話だ。国がそんな状態だというのに、先王は何をしている? そもそも、先王自身が後継者を指名するなりすれば、国が揺れる事もあるまい」
淡々と告げたテミスの言葉に頷いた後、シズクは己が言葉の意味に気が付いたのか、必死さを顔に滲ませて言葉を重ねる。
しかし、テミスはそんなシズクの言葉を途中で切り捨てると、腕組みをして唸るように疑問を漏らした。
如何なる王であろうとも、自分が位を譲った結果、国が荒れる事を良しとはしないだろう。むしろ、内敵や外敵に討たれる前に位を退く程に聡い王であれば、そのような争いを静観するとは思えない。
「……先王は位を退かれて以降、山に籠られているのです。近しい者や側近たちが国の現状お伝えしてもご意思が変わる事は無く、むしろこの程度で滅びるのであればそれが定めなのだ……とまで仰られているそうで」
「なっ……!!」
「っ……!! クク……」
テミスの漏らした疑問にシズクは悲し気に目を伏せて答えを返す。
そして、それを聞いたテミスとフリーディアのまるで正反対で。驚愕と僅かな怒りに息を呑んだフリーディアの対して、テミスは僅かに目を見開いた後、不敵に微笑みを浮かべて喉を鳴らした。
「……王とは人を護り導く者よ。間違っても、自分の国が滅びても良いだなんて言うべきではないわ」
直後。深い愁いを帯びた表情でフリーディアが口を開く。
彼女とてロンヴァルディアという国を背負う王族の一人なのだ。自らも似た立場にあるが故に、ギルファーの先王に対して思う所もあるのだろう。
だがその時、テミスはギルファーの先王に対して、フリーディアとは全く逆の感情を抱いていた。
「そうかな? 私はその先王が言う事……わからんでも無いがな……」
「テミスッ!? 馬鹿な事を言わないで! 貴女だって今、この町を背負って――」
「――黙れフリーディア。今はそんな話ではない。クク……大した王様じゃないか。あくまでもこれは私の予想だが、シズク……お前達の先王は、ギルファーの民に自分で考え、自分の足で歩めと言っているのではないか?」
「っ……!!」
皮肉気なテミスの言葉に、顔を赤くしたフリーディアが語気を荒げるが、テミスは一言でそれを封殺して、シズクへと視線を向ける。
国家の要たる王が退けば国が荒れる。国が荒れれば、その隙を他の国に狙われやすくなるだろう。何故、先王が王位を退くのかは分からない。だが、そこに如何なる理由があろうと、ギルファーの先王は己が国の民を信じて身を引いたのだ。
それは今のテミスが最も望んでいる事であり、同時に今のファントの情勢では、決してできる事では無いと理解している事だった。
だからこそテミスは、シズクの語った先王の事を密かに羨んだのだった。




