890話 哀しき報せ
「……入れ」
騒音と共に訪れた来客にテミスが口を開いたのは、僅かな間をおいてからの事だった。
その隙に、テミスは肩へ担ぐように持ち上げていた剣を腰へと戻し、小脇に抱えた書類の束を懐へと仕舞いこむ。
それと同時に、蹴破るほどの勢いで執務室の扉が開き、テミスの鼻先を掠めていった戸の巻き起こす旋風が、フワリと白銀の髪を舞い上げた。
「失礼!! しますッ!! 至急のご報告が――っ!! うわぁァッ!!?」
「何だ……? 人の顔を見るなりに悲鳴などあげおって……。カルヴァス、お前は多少まともだと思っていたのだがな?」
「ししし……失礼しましたッ! ま、まさか戸口に立たれているなどとは思わず!!」
そんな旋風と共に部屋へと飛び込んできたカルヴァスは、すぐ目の前に立っていたテミスに驚きの悲鳴を上げると、必死の形相で勢いを殺し、その間近で急停止する。
そして立ち止まるや否や、カルヴァスは蒼白な顔で跳び下がって勢い良くテミスへ頭を下げた。
「フン……構わん。それで? 至急の報告とは何だ?」
「ハ……ハイッ……!!」
しかし、テミスは小さく鼻を鳴らし、冷たい視線でカルヴァスを一瞥しただけで済ませると、戸口に立ったままで問いかける。
フリーディアが病院に詰めていると予測するのならば、恐らく現在白翼騎士団の指揮を執っているのは副隊長であるカルヴァスだろう。
ならば、そのカルヴァスが血相を変えて、しかも自分達の主であるフリーディアの元ではなく私の所へ飛び込んで来る事態となれば、彼が携えている報せが朗報でない事くらいは予測できた。
よもや、この短期間でギルファーが何か行動を起こしたのか? 町を巡回する騎士達が何か異変でも掴んだか?
刹那の間に展開される思考に、テミスが密かにゴクリと生唾を飲み下す眼前で、血相を変えたカルヴァスの口が開かれる。
「大至急、テミス殿を呼んでくるように……と。フリーディア様から!!」
「…………。は?」
直後。放たれた言葉に、白熱しかけていた思考と、胸の内に張り詰めていた緊張感が吹き飛ばされ、テミスは思わず目を見開いて瞬かせ、素直な疑問符を口から飛び出させた。
今、この男は何と言ったんだ? フリーディアが? 私を? 呼んで来い……?
まさかとは思うが、そんな子供でもできるような使い走りを、天下の白翼騎士団が誇る副隊長様にやらせたのか?
「っ……いや待て待て。用件は何だ? 何が起きた? お前がそうまでして息を切らせているのだ、事が事ならサキュドやマグヌスにも声をかけねば……」
「は……はいッ!! シズク殿が目を覚まされた……と。それはそれは凄まじい気迫で、大至急全速力でテミス殿へ伝達せよとの事でしたのでッ!」
「…………。ハァ……」
テミスの問いに、カルヴァスが整い始めた息を吐きながら、ピシリと背筋を伸ばして誇らし気に答えを返す。
それを聞いた途端、テミスはクラリと眩暈に似た感覚を覚えると共に、全身に押し寄せてくる凄まじい疲労感を噛み締めていた。
どうやら、先程の言葉は聞き違いではなかったらしい。
しかもフリーディアは、己が白翼騎士団の士気を放り出し、病院のシズクの元に付くだけでは飽き足らず、あろう事か代わりを務めるべき副隊長のカルヴァスまでも同行させたようだ。
「ですので、至急私にご同行いただけると……。っ……!? いかがされましたか?」
そんなテミスに気付く事無く、カルヴァスは胸を張ったまま口上を続けて用件を伝え終える。そして、ようやく気迫や覇気といったものが消え失せたテミスに気が付くと、驚きと不安の入り混じった表情で問いを重ねた。
「……。いや……何でもない。問題無い。あまりの事に少しばかり呆れ果てただけだ……」
その様子を見ながら、テミスは疲れ果てたような声で言葉を返しながら、大方の事情を察してため息を重ねる。
このカルヴァスの態度や表情から察するに、フリーディアはカルヴァスに詳しい事を何も話してなど居ないのだろう。
そしてあのフリーディアの事だ、詳細は知らせぬ代わりにやたら重要だの機密だのと煽り立てる姿が容易に想像できる。
その結果として出来上がったのが、私を病院のフリーディアの元まで呼んでくるというお使いに猛る使命感を燃やし、全力全霊を賭して挑む騎士団副隊長様という訳だ。
「ハハ……」
「……?」
辿り着いてしまった残酷極まる真実に、テミスは乾いた笑いを浮かべてチラリとカルヴァスの顔を盗み見る。
確かに、ギルファー云々といった一件は重要かつ機密性の高い案件だ。だからこそ私とて極秘に事を進め、切りたくもない自腹まで切って事を進めてきたのだ。
それに、カルヴァスは私が命令を発するべく、この部屋を出ようとしたまさに寸前に飛び込んできた。
そう考えれば、フリーディアの行動の全てが無駄だと断ずる事ができる訳でも無い。
けれど、その任務の実態はあくまでもお使いな訳で。
そんな真実を知るテミスとしては、己の眼前で未だ微かに荒い呼吸を繰り返しながらも、身を包んでいるであろう達成感に、どこか誇らし気な笑顔を浮かべるカルヴァスが不憫でならなかった。
「っ…………。了解した。では、大急ぎで向かうとしようか……」
「ハイッ!! 僭越ながら、ご案内させていただきますッ!!」
「…………」
テミスが憐憫に満ちた心で言葉を返すと、カルヴァスは大きく頷いてその身を翻し、テミスの先導をするように駆け出していく。
その背を追ってフリーディアの待つ病院へと駆けながら、テミスは乾いた笑みを口元に張り付かせて、この残酷な真実を秘すると心に誓ったのだった。




