888話 不穏なる噂
二日後。
テミスは精鋭部隊へ配備する装備の最終確認をすべく、フリーディアと共に『勉強部屋』として使っていた一室へと足を向けていた。
ギルファーの動向はいわば、テミス達が偶然入手した情報で、未だその確たる根拠を裏付ける事ができていない。故に、兵士達や町の人々の不安を無用に煽り、ひいては不穏な動きを見せているギルファーを刺激せぬよう、細心の注意の元で極秘裏に進める必要があった。
「フム……」
ガチャリ。と。
テミスは息を吐きながら、『勉強部屋』の戸を開けて中へと足を踏み入れる。
そこには、この二日間でテミスが市井を駆けずり回って入手した上質な武器や外套など、部隊各員へ配る装備が並べられていた。
「流石に……これだけの量を集めるのには苦労したな……」
そう呟くと、テミスは淀みの無い動きで装備の山の傍らへとしゃがみ込み、手慣れた動きで点検を始める。
表沙汰に出来ないという事はつまり、装備を用意する予算も部隊から引っ張る訳にはいかない。だからこそ、テミスは自らの自腹を切って装備を買い集め、本来ならば各員にやらせるべき点検作業までこうして一人で行っているのだ。
「これで私もほとんど文無し……。どちらにしても後から部隊に請求するとはいえ、心許無いのは確かだな」
テミスはクスリと小さな笑みを浮かべてひとりごちりながら作業を進め、次々と集めた装備に不備が無い事を確かめていく。
実際問題、ギルファーへ向けて派兵する精鋭部隊の編成は既に完了している。そして装備もこうして物自体が揃っているのだから、後は兵達に命を下して出立するばかりになっているのだ。
だがしかし、テミスとて不確定な情報を基に行動を起こす事が是であると思っている訳ではない。
できる事ならば、シズクが目を覚ましてくれた方が手っ取り早く、かつ確実に事を運べるのだが……。
「――おい、聞いたかよ。あの話」
「あの話って何だよ。アレクの奴がやらかしたって話か?」
「いんや。そんな下らねぇことじゃねぇさ。もっとすげぇ噂だよ」
「っ……! ヤケに勿体ぶるじゃねぇか」
暫くの間、テミスが静かな部屋の中に響くカチャカチャという音に耳をから向けつつ、今後の動きを考えながら装備を検めていると、不意に遠くから足音と共に言葉を交わす声が漏れ聞こえてくる。
話し方と足音からして、それはどうやら白翼騎士団の者達らしいが、彼等とてテミスがこのような人気のない場所に居るなどと欠片も思っていないのか、周囲を憚ることなく会話を続けた。
「ったりめぇよ……。こいつは昨日、俺が警邏に出てた時の話なんだがな。町でテミスを見かけたんだ」
「おい……呼び捨ては流石に止せって。黒銀の奴等に聞かれでもしたら面倒だぞ……。それに、ここはある意味あの人の町だ……何らおかしなことでもねぇだろ?」
「こんな所に俺ら意外に奴等なんかいる訳ねぇって。んな事よりこっからだ! テミスの奴、武器屋から出てきたんだよ! それも、長細い包みを幾つも抱えてな!」
「…………。ふぅん? それが……?」
響いてくる話し声に、テミスは作業の手を止めて静かに耳を傾けていた。
まさか、見られていたとは……。内心でそう歯噛みをしながら、テミスは騎士達の会話をより鮮明に盗み聞くべく、気配を殺して扉の方へとにじり寄る。
連中が私にどういう感情を抱き、私の事をどう呼んでいようと構わないが、私に関するうわさ話なのであれば、それを知る権利くらいは本人にもあるだろう。
「それが……? じゃねーよ! テミスにはあの黒い剣があるんだぜ? あれ以上の武器が今更、そんじょそこらの武器屋なんかで手に入るかよ!」
「ン……まぁ、そりゃぁな……」
「それに……だ。コイツは俺が見た訳じゃねぇんだが、外套や背嚢、干し肉や水なんかも大量に買い込んでたって話なんだ」
「何だって……?」
「――っ!!」
よもや、本人に盗み聞かれているなどとは知る由もない騎士達の会話は加熱していき、続々と明かされるその内容にテミスは秘かに息を呑んでいた。
彼等が今あげた品々、それは紛れもなくテミスが買い集めたものの一部であり、視線を上げれば目の前に並べられている。
自分がこの町で極めて目立つ存在であることは理解していたが、よもやこれほどまでとは……。そう改めて思い知らされた事実に、テミスは僅かに身震いをした。
「怪しいよな……。テミスの奴、絶対何か企んでやがるぜ?」
「っ……!! な……何かって……何をだよ……」
「さぁな……。ひとまず黒銀の連中には注意した方がいい……。俺は折を見てフリーディア様に伝わるように、カルヴァス副長やミュルクにそれとなく話してみるからよ」
「あ……あぁ……。ったく……お前が珍しく静かな場所で飯を食おうなんて言うから何かと思えば……。こんなとんでもないネタ持ってきやがって……」
「へへ……ま、俺の洞察力の賜物ってね。さ、あとは屋上で飯でも食ってサッサと戻ろうぜ」
そんな言葉と共に、ガチャリという金属音がひと際大きく響くと、漏れ聞こえていた騎士達の会話がピタリと止まる。
そして訪れた静寂の中、テミスはただ一人、部屋の戸口に張り付いた格好のまま、厳しい表情を浮かべていた。
方向性こそズレているものの、ここまで噂が広がっている時点で、真実が漏れ出るのは時間の問題だろう。
ともすれば、邪推をした連中のせいで動きを取りづらくなる可能性もある。
「…………。時間が無いな」
長い沈黙の後。
テミスはボソリとそう呟くと、再び部屋の中へと踵を返して作業を再開したのだった。




