幕間 強き母
夜。賑やかな街そのものが寝静まってしまったかのような静寂の中。
マーサの宿屋の一室には、未だ煌々とした明りが灯されていた。
「アリーシャ……」
本来、マーサの私室であるその部屋のベッドには一人娘であるアリーシャが、苦しげな表情を浮かべて横たわっている。
その傍らでは、緊張に満ちた表情を浮かべたマーサが、アリーシャの看病を続けていた。
「…………。馬鹿な子だよ」
アリーシャの微かな寝息だけが響く静かな時間が、どれ程続いただろうか。
その間、一言も発する事無く、片時もアリーシャの側から離れなかったマーサが、微かな声で呟きを漏らした。
「わざわざ気を遣ってこんな時間まで待ってまで……。それに、謝るくらいなら最初っから行くんじゃないよ……」
ぎしり。と。
マーサは固くその手を握り締め、絞り出すような声で言葉を続ける。
しかし、まるで苦痛を耐え忍ぶような表情を浮かべながらも、マーサの潤んだ瞳には穏やかな光が灯っていた。
「優しい『妹』だねぇ……アリーシャ。テミスは……あの子はお前の為にすごく怒ってくれているよ……」
「っ……」
ベッドで横たわるアリーシャの髪を撫でながら、マーサが優しい口調で言葉を紡ぐと、それに反応したアリーシャが僅かに呻き声をあげる。
マーサとて、長らく人魔境界の町であったファントで生きてきたのだ。宿屋を始め、アリーシャを授かり、ただの女将となって久しいが、その腕は未だ健在だ。
だからこそ、先程気配を殺したテミスがこの宿から出て行ったのも、その時に酷く思いつめた声で謝っていったのだって知っている。
そして、そんなテミスの調子が酷く悪い事も。
「母親なら、こんな時間に危ない事をしようとしている娘を、何が何でも止めるべきだったんだろうねぇ……」
マーサは目を細めて声を震わせると、ゆっくりとした口調でひとりごちった。
密かに出立したテミスの目的は、間違い無く報復なのだろう。
あの子の性格を考えれば、本当の姉であるかように慕っているアリーシャを傷付けられて黙っているはずが無い。
けれど、あの子は今やこの町を守る主。その双肩には、ファントの町に暮らす人々の平和と安全がかかっている。
だからこそ、あの子は町を救った英雄と姉を傷付けられた一人の妹の狭間で揺れた結果、そのどちらも守る為に、独りで行くことを決意したのだろう。
「ありがとう……テミス。アリーシャの事を大事に想ってくれて……。アタシも大事な娘を信じてこの子と待つ……。だから……絶対無事に、帰っておいで」
そう震える声で言葉を紡ぐと、マーサはまるで祈りを捧げるように目を瞑り、合わせた両手の上にコツリと額を合わせたのだった。




