幕間 騎士の本懐
「痛ゥ……くっ……」
ズキリ、ズキリ。と。
胸を蝕む鈍痛を堪えながら、ミュルクは心の赴くままにファントの町の中を練り歩いていた。
時刻は昼頃。いつもであれば、純白に輝く甲冑に身を包み、町に異常がないかを見回る巡回の任に就いている時間帯だ。
しかし、今のミュルクの身体を包んでいるのは簡素な布の服だけで、身を守る甲冑どころか、腰に剣すら帯びてはいなかった。
何故なら。ミュルクは今、テミスとの乱闘で負った傷を癒すために入院している病院から、有り余る暇を持て余して脱走中の身なのだ。
「俺……何やってんだろうな……」
大勢の人々が行き交う中、ミュルクは人の流れから外れて商店の壁に背を預けると、蒼空で輝く太陽を見上げてひとりごちる。
自分が空回りしているなんてことは理解している。けれど、そんな現状を変えようと奮起する度に、ますます明後日の方向へと突っ走ってしまっているのだ。
「フリーディア様……俺……どうすれば良いですか……?」
ミュルクは、胸の中で敬愛して止まない主の顔を思い浮かべながら想いを零すが、自らの思い描いた彼女が答えを導いてくれるはずも無く、結局は焦りと虚しさの残滓だけが残っただけだった。
「俺は弱い……。だが何かッ……何かお役に立てる事が……」
追いかける背中は遥か彼方で霞み、今や隣に並び立って戦う事すらできない。しかも、焦がれて止まぬその隣では、あの幾度となく剣を交えたはずの憎たらしい女が不敵な笑みを浮かべているのだ。
「確かにアイツは強い……味方にすれば頼りになるのは間違い無い……。だが……」
万が一。奴の心が変わり、フリーディア様と反目するようになったのなら……? その時は間違い無く、奴は一片の躊躇いすら持たずにフリーディア様に刃を突き立てるだろう。
「俺が……俺がフリーディア様をッ……!!」
言葉と共に、ミュルクはその脳裏で幾度となく空想した情景を思い描く。
乱心したテミスに襲われるフリーディア。そんなテミスに対して心優しいフリーディアが剣を向けられるはずも無く追い詰められていく。まさに絶体絶命、窮地に立たされたフリーディアへ向けて、あの漆黒に輝く凶刃が振るわれた瞬間――。
「ン……!? おいッ! どうした!? 何があった!?」
ぼんやりと見つめた宙の向こうで、空想のテミスがまさに大剣を振り下ろさんとした時だった。
焦点の合わないその目が、視界の隅を必死の形相で駆け抜ける一人の衛兵の姿を捉えると同時に、ミュルクは半ば反射的に駆け出して衛兵を呼び止めた。
それは最早、この町の平穏を護る騎士として身に染み付いた癖……習慣に等しいものだった。
だがその習慣が、この町の平和を護る事になったのは、ミュルク本人とて知る由もない。
「ハァッ……ハァッ……!! 門で獣人が暴れてッ……騎士団に応援……をッ!!」
「なにッ……!? ッ……!!! すまない! 剣を借り受ける! 代金は後程白翼騎士団のリット・ミュルクまで請求してくれ!!」
そんなミュルクの問いに、息を切らせた衛兵が答えた瞬間。
ミュルクは素早い動きで身を翻すと、店の軒先に並んでいた剣を一振り手に取り、驚きに目を見開く店主へ矢継ぎ早にまくしたてる。
そして、ミュルクは店主の返事を待つ事すら無く、身体を蝕む痛みすら忘れて、門へと向かって一心不乱に駆け出したのだった。




