885話 届かぬ救いの手
鬱蒼と茂る森の中に点々と続く血を道しるべに歩くこと数十分。
テミス達は突然目の前に現れた洞窟の前に並び立っていた。
しかし、周囲には血の跡や戦いの痕跡こそ残っているものの人の気配は無く、盗賊たちが拠点にしていたと思わしき洞窟だけが、闇の中で静かに佇んでいた。
「チッ……もぬけの殻か……」
ドサリ。と。
テミスは傍らの木の根元へシズクを寝かせると、忌々し気に吐き捨てた。
察するに、盗賊たちの指揮を取っている奴は、豪気ながらも相当に用心深い性格をしているのだろう。
恐らくは、アリーシャを逃がした時点で、既にファントから刺客が放たれることを予見していたのだ。
そこへ飛び込んだシズクによって、奇しくもその予想は確信へと変わり、先程の連中に斥候であると目されるシズクの始末をさせる傍らで、自分たちは早急に脱出せしめたのだ。
「……油断するなよ、フリーディア。まだ残っている奴が居るかもしれん」
「えぇ……」
剣を抜き放ち、先行するフリーディアへ肩を並べて囁くと、テミスは自らも剣を抜いて構えを取り、二人はゆっくりとした足取りで洞窟へと近付いていく。
如何な事態であったとしても、アリーシャの逃走とシズクの襲撃が奴等にとって事態を逼迫させた事に間違いは無い。ならば、完璧な撤収など出来るはずも無いし、ともすれば残党が取り残されていても不思議ではない。
「……私が先に」
「あぁ」
ぽっかりと開いた洞窟の入り口まで辿り着くと、二人は僅かに顔を見合わせた後、短く言葉を交わして頷き合う。
あの苛烈な戦場から、休むことなくそのままここまで進んできたテミスは手傷を負っていた。そのせいで、止血すら施していない傷口を押さえる手を離す事はできず、残った片腕で剣を扱う他は無い。
だが、手傷を負っていないフリーディアは両の腕を自由に使え、片手に剣を携えた状態でも、残った片手で暗い洞窟の中を照らす明りを持つ事ができた。
「っ……! 広い……」
フリーディアは頷くと同時に取り出した松明に火を灯すと、洞窟の中へと体を滑り込ませてぽつりと呟いた。
続いて、テミスがフリーディアの背を追って入ると、その鋭い視線で油断なく洞窟の中をぐるりと睥睨する。
「……だけでは無いな。見ろ」
「なっ……!?」
言葉と共に、テミスが構えた剣の切先で壁際を指し示すと、それを追って視線を向けたフリーディアが鋭く息を呑んだ。
そこにあったのは、洞窟の壁面に打ち込まれ、ずらりと並べられた枷だった。その傍らには、忘れていったのだろう……使い古された皮鞭が一つ、所在無さげに転がっている。
「どうやら、私達にとって面白い場所ではないらしい。クク……ハハ……ギルファーの連中はシズクに泣いて感謝すべきだな? 本来ならばこれだけで戦争モノだぞ」
「っ……!!!」
ガシャリ。と。
テミスは剣を握ったままの手で鞭を拾い上げると、怒りに声を震わせながら呟きを漏らした。
その呟きに、フリーディアは重たい気持ちで息を呑みながらも、テミスの怒りを宥める言葉さえ思い付かず黙り込んだ。
実際、テミス達はこの場所で人間達が嬲られ、痛め付けられていたのを見た訳ではない。
だが十中八九、その予想は正しいのだろう。ここは獣人たちの盗賊が根城としていた洞窟で、その壁面にこれ見が良しに枷が打ち付けられて居るのだから。
加えて、この手の嫌な設備の存在は何処も似通っていて、白翼騎士団として魔族たちから多くの人間達を救い出した時にも、こういったものが用いられているのは厭という程見てきたのだ。
この状況はあまりにも、同胞である人間達がこの場所で虐げられていたと確信させるに十分過ぎた。
「……フリーディア。内部を一通り調べたら、シズクを連れて急ぎファントへと戻るぞ」
「えっ……? えぇ……」
しかし、フリーディアの予想に反してテミスが怒りを爆発させることは無く、恐ろしい程冷静な声でそう告げると、拾い上げた鞭を手に立ち上がる。
そして、踵を返したテミスの瞳が、怪訝な表情を浮かべるフリーディアの顔を捉えると、テミスは突然喉を鳴らして笑い始めた。
「ククッ……ハハハッ……!! 何だその奇妙な顔は。言っただろう? シズクを連れて……と。当然、腸が煮えくり返る程の怒りを覚えるとも」
「なら……」
「……だが、奴は私に言ったのだ。自らの命すら危機に瀕しているというのに……自分達は敵ではない……とな」
「テミス……」
だがすぐにその笑いはいつにも無く生真面目な声色へと転じ、皮肉気に歪められていた表情も、真剣極まるものへと変わっていく。
そうだ。仮に一度は私へ刃を向けたとしても、シズクがアリーシャの恩人であることに変わりは無い。
なればこそ……。
「そんな者の訴えを……真っ向から無視する事など出来るはずもあるまい」
「うん……そう……。そう……よねっ!!」
「……? 可笑しな奴だな。ほら、わかったならさっさと調べるぞ」
そう言葉を続けたテミスに、フリーディアは噛み締めるようにゆっくりと頷いた後、何度も力強く頷いて笑顔を浮かべる。
そんなフリーディアを、テミスは苦笑を浮かべながら急かすと、おざなりに剣を構え直して洞窟の奥へと踏み入っていった。
その遥か頭上。
洞窟をも覆い隠すように生い茂った深い木々の上では、煌々と光る満月が柔らかに黒い森を照らしていたのだった。
本日の更新で第十六章が完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第十七章がスタートします。
強大な力を操る事のできなくなったテミス、ですが眼前の敵は消え、世界は平和になったかに思えました。
そんな世界の中で、テミスは新たな自分で新たな生活を送る事を考え始めます。
ですが平和な世界の中でも、様々な思惑が蠢いていました。
遂に動き出す獣人国家ギルファーの影。平和と戦乱の間で揺れる心。時代が緩やかに変わっていく中で、テミス達はどのように生きていくのでしょうか?
続きまして、ブックマークをして頂いております546名の方々、そして評価をしていただきました86名の方、ならびにセイギの味方の狂騒曲を読んでくださった皆様、いつも応援してくださりありがとうございます。
さて、次章は第十七章です。
暗躍するギルファーの魔手を退けたテミス達。
その過程で彼女たちは何を思ったのでしょうか?
心を新たに歩み始めたテミス、その傍らに立つフリーディア達は何を思うのか? 獣人国家ギルファーで蠢く新たな策謀とは……?
セイギの味方の狂騒曲第17章。是非ご期待ください!
2022/01/13 棗雪




