82話 掲げた御旗
沈黙が支配した戦場に一陣の風が流れ、向かい合う二人の少女の髪が翻る。
片方は目を見張るような黄金。風になびくその手入れの行き届いた美しい髪は、陽の光を受けてきらびやかに輝いていた。
片方は溜息の出るような白銀。所々がほんのりと紅く染まったその髪もまた、鋭く陽光を弾き返しながら風に弄ばれていた。
「何故……共に戦えない……か……」
ぽつりと呟いたテミスの呟きが風に流れ、再び沈黙が戻ってくる。考えてみれば、妙な話だ。私もフリーディアも、そしてマグヌスやギルティアも平和を望んでいると言うのにも関わらず、こうして互いに殺し合っている。私が首を刎ねたカズトでさえ、こうして戦争をしていなければ殺す事は無かっただろう。
「んっ……?」
フリーディアの問いに考えを巡らせているテミスは、ふと首をかしげた。今私はあの下種を殺す事は無いと考えたが、本当にそうだろうか……?
「っ……」
その時、テミスが首をかしげた正面で、フリーディアは唇をかみしめていた。何故、共に戦えないのか。その答えなんて、とうの昔に解っている。
幼い頃から父は貴族の方々との享楽に明け暮れ、民を顧みる事をしなかった。その行動は伝播して国を腐らせた。他人であるテミスからしてみれば、諸悪の根源が解っているのならば絶つべきだと言うのだろう。いや……きっとテミスの事だ、たとえ自分の親であったとしても問答無用で切り伏せるのかもしれない。
「……でも」
口の中で声を噛み殺しながらフリーディアの想いが漏れる。それでも自分は父を信じたかった。きっと今に目を覚ましてくれると。幼い頃、領主様たちとの大事な会食すら投げ出して、庭の木から降りられなくなった自分を助けに来てくれたように。いつの日か、あの時の自分と同じようにこの国を救ってくれるはずだと。
「リックは……さっき貴女が斬った騎士はね。元魔王領の村の出なのよ?」
「それが何だ? 私に刃を向けたのだ。斬られても文句はあるまい」
「そうじゃ……なくて……」
フリーディアの声が小さく萎み、その瞳が悲し気に揺れた。彼もまた、自分達を憎んでいる筈なのに……私達王族の怠慢を知りながら、それでも無力な誰かを守りたい。そう言って私に着いてきてくれた。
「っ…………そっか」
――突然。フリーディアの頭に天啓が舞い降りた。
フリーディアが口の中で何かを呟いた時、テミスは自らの違和感の正体を掴めずにいた。そう、そもそもの前提がおかしいのだ。確かに間違いなく、私は平和を望んでいる。ファントの町の心地よさは何にも代え難いし、軍務から離れてアリーシャ達と過ごす時間には安らぎを感じている。
「…………」
そこでふと、テミスは自らの目を見開いた。
――私が望んだモノは、そんなものでは無かった筈だ。
正義が正義である世界。正しきことをした人間が報われ、悪辣がきちんと裁かれる世界。そんな、真なる正義にこそこの力を使うため、わざわざ魔王城にまで乗り込んで問いかけた筈だった。
だが同時に、心の奥底から男の声が響いて問いかける。正義とは……秩序とは人々の平和の為に在る物ではないのか? と。
「っ……」
喉がゴクリと勝手に嚥下し、テミスは自分が軽く混乱していることを自覚した。こういう時こそ冷静に思考を整理し、真実を見極める必要がある。
テミスは再び思考の海へと還り、自らに問いかける。正義が平和の為に在るのであれば、私とフリーディアはこうして向かい合っていないはずだ。同じ平和を望んでいるのならば、彼女の言う通り手を取り合わない理由は無い。ならば、それ以外の場所に対立があるはずで……。
「っ…………そっか」
「そう……か……」
二人の声が重なり、目を開いたフリーディアが意を決したかのようにテミスの顔を見据える。同時に、テミスは伏した目に片手を重ねると、その唇を大きく歪ませていた。
「ねぇ、テミス。立ってる場所は違っても、同じ平和を望んでる私達が戦わなくても良いんじゃないかな?」
「……………」
静かにフリーディアが問いかけるが、俯いたテミスはピクリとも動かず、何の言葉も発する事は無かった。それは、魔王軍の面々にも異様に映ったらしく、彼等は互いに顔を見合わせていた。
「……テミス?」
そして、フリーディアの不安気に揺れる声が、優しく響いた瞬間だった。
「クク――ッ…………アッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!!!」
狂ったようなテミスの爆笑が、その全てを呑み込んだのだった。




