877話 怒りの胎動
「なっ……にィ……ッ!!?」
剣が肉を裂き、骨を断つ感触を感じながら、テミスは驚愕の声を漏らした。
この一撃は間違い無く、テミスにとっては必殺の一撃だった。タイミングは完璧。コウガは守る事も躱す事もできず、ただこの刃が己が命を刈り取るのを見ている事しかできない。
……はずだった。
「へ……へへっ……。人間如きに……コウガの兄貴を……殺らせるかよ……」
「ッ……!!」
同時にテミスの間近で、胸を……心臓を貫かれたはずの男が不敵な笑みを漏らし、びくびくと痙攣の始まった手で、自らを穿つ剣を掴む。
その瞳には、確かな満足感と誇りに溢れていた。
――馬鹿なッ!!! コイツは一体何なのだッッ!?
刹那。満足気な顔で崩れ落ちていく男の身体を強引に斬り払いながら、テミスは胸の内で絶叫する。
敵は目先の利己を突き詰めた盗賊のはずだ。そんな連中が、たとえ天地がひっくり返ったとしても、己が命を犠牲にして他者を救うなどあり得ない。
だというのに何故……ッ!! コイツはこんなにも満足そうに笑っているッ? 己の命を引き換えにした所で、この男が得る者など無い筈なのにッッ!!!
「アニ……キバ……仇……を……」
「ケェェェェェンッッッッ!!! この……大馬鹿野郎ォォォォッッッ!!!」
直後。
コウガの悲痛な慟哭が森の中に響き渡る。その眼前で、コウガの身をテミスの凶刃から身を挺して守った男は、胸から吹き出る血飛沫と共にその瞳から光を失い、地面へと落ちていく。
「クソッ……!! 下らん邪魔を――」
「――退けェッッ!!!」
「ぐ……!? ……ガッ……ァ……ッッ!!!」
忌々し気に言葉を吐きだしながら、テミスが男の亡骸を飛び越え、絶叫するコウガへ更なる追撃を仕掛けようとした時だった。
地を蹴ったテミスの身体が宙へ浮いた瞬間。猛然と吠え声をあげたコウガが飛び掛かるように振り回した丸太のような腕でテミスを吹き飛ばし、地面の上に崩れ落ちた男の亡骸に縋り付いた。
その一方で、コウガの突進によって吹き飛ばされたテミスは、数度地面を転がった後、傍らの木の幹へと激突して動きを止める。
「ケンッ!! ケンッッ!! 何故ッ……なぜこんな無茶をしたァッッ!! お前が……お前まで死んでしまったら俺はァッ……!!」
「……………」
「っ~~~~~!!!! ウォォォォォォオオオオオオオオオオッッッッ!!!!」
コウガは自ら負った傷から溢れ出る血など気にも留める事無く、既に事切れて地面の上に横たわるケンの遺体へと涙ながらに語りかける。しかし、テミスの剣によって心臓を貫かれたケンが言葉を返す事は無い。
僅かな間をおいて、既にケンが死んでいる事を理解したコウガは、そのいまだ温もりの残る遺体を抱えて慟哭の雄叫びを上げた。
「何故だッッ!! 何故お前達はッ……!! いつも俺達から大切なものを奪っていくッッ!!!」
「ッ……」
「ケンは……ッ!! コイツはッ! よく気の利く可愛いヤツだったんだッ!! まだまだ半人前の癖に誰よりも仲間想いで……真っ先に飛び出していっちまうようななァッ!!」
木の幹に全身を打ち付けられたテミスが、剣を突き立ててフラフラと立ち上がる間に、コウガはケンの遺体を優しく地面へと下ろすと、その目からボロボロと涙を零しながらテミスを睨み付けてまくし立てる。
「そんな優しい奴がどうして……どうしてこんな所で死ななきゃならねぇんだァッ!! えぇッ!?」
「…………。ハッ……」
しかし、テミスは涙を流して訴えるコウガの言葉を鼻で嗤うと、傍らの木に背を預けてコウガを睨み返した。
どうやらこの目の前にいる大男は、頭の中まで筋肉が詰まっているらしい。もしくは、その外面が現す通りの獣なのか……。
兎も角、その自己と同じ視点や思考を他者も抱いていて然るべしという、強固な自己の観点から語られるコウガの叫びがテミスに届くはずも無く、その絶叫はただ、テミスに強烈な不快感と愉悦を与えるだけだった。
「クク……フハハ……。今、お前が抱いている感情こそ、今までお前達が虐げてきた力無き人々が抱えてきた絶望だ」
ゆらり。と。
テミスは言葉と共に木の幹へと預けていた身体を離すと、溶けかけた蝋燭のように歪んだ笑みを浮かべてコウガを嗤う。
同時に、テミスの心の中に酔いしれる程に甘い感覚が広がり、その感覚が全身を振るわせる度に、身体に活力がみなぎってくる。
「他者を虐げ、奪い、苦しめる盗賊風情が笑わせてくれる。優しい? 可愛い? 可笑しな話だな? 獣人族の流儀に従って言うのならば、その男が死んだ理由など弱かったからに過ぎまい? 弱者は奪われて当然なのだろう?」
「ふざけるなァァァッッ!! お前は死者にまで唾を吐くというのかッ!! 我等、誇り高きギルファーの民ッッ!! 数々の蛮行もう許さんッ!! 気高き同胞の無念、その身で贖わせてやるッ!!」
そんなテミスの挑発に、コウガは怒りのまま、ビリビリと周囲に響き渡る吠え声を上げたのだった。




