871話 灼け付く憎悪と気高き誇り
灼熱の怒りが脳髄を焼き焦がし、滾る熱が四肢を突き動かす。
そこに、如何にして相手を斃すかなどという思考は無く、脳裏に浮かぶのはこの胸に焼き付いて離れる事のない、たった一つの光景。
苦し気に眉をひそめて目を瞑り、余すことなく付帯で包まれたボロボロの全身を、力無くベッドへと横たえるアリーシャの姿。
「っ…………!!!」
今でもこの光景を思い返す度、足元の地面が崩れてしまったかのような恐怖と絶望、そして無力感が湧き上がってくる。
もしも……もしもこのまま、アリーシャが目を覚まさなかったら……? きっとあの場に居合わせた誰もが、胸の底を過るこの感情に蓋をし、見て見ぬふりをしたのだろう。
湧き上がる感情に、渾身の力で噛み締められたテミスの歯がミシミシと悲鳴を上げ、恐怖と絶望すらも煮えたぎる怒りへと変えていく。
そうだ。もう迷う事など何もない。
アリーシャを……。こんなに不甲斐ない私を妹と呼んでくれた家族を……。私の姉をあんな目に遭わせた元凶が目の前に居るのだッッ!!
「ッ――ラァッ!!」
「ムッ……!?」
ギャリィンッ!! と。
真正面からコウガへと飛び込んだテミスが振るった第一撃。
大きく跳び上がり、その巨体の顔面へと叩き込むように放たれたそれは、眉を顰めたコウガの構えた大太刀によっていとも容易く防がれた。
だが、烈火の如き勢いで斬り込んだテミスの猛攻は止まらない。
「ガァァアアアアアアアアアアッッッ!!!」
そのまま、肩へ、首へ、胸へ、腕へ、頭へ。
己が身を守る素振りなど欠片すら見せる事は無く、テミスはひたすらに剣をコウガへ向けて振るい続けた。
無論、そのような精細を欠いた力任せで単調な斬撃がコウガに届くはずも無く、重厚に構えられたコウガの大太刀が全て、剣戟の音と舞い散る火花へと変える。
「っ……!!!」
そんなテミスの修羅の如き形相に、コウガは嵐の如く浴びせられ続ける斬撃を悠然と受け止めながら、小さく息を呑んだ。
凄まじく重たい剣だ。
見た目はただ、好事家好みの気の強そうな鋭い目と華奢な体躯をした少女。こうして打ち合わせる剣も大した圧はなく、その気になれば一振りでその身体ごと吹き飛ばせるだろう。
しかし……剣に込められた重厚な思い。最早執念と言い換えるべき強烈な感情が、コウガの心を揺り動かしていた。
「ムゥッ……!?」
「ごゥッ……!? ガ……ハッ……ァ……ァア゛ッ!!」
上段から下段。
テミスの着地と同時に移り変わった攻撃に、コウガの身体が本能的に応ずる。
素早く繰り出された一閃の狙いは内腿。瞬時に防御も回避も間に合わぬと悟ったコウガの身体が、肉薄したテミスの身体をボールのように蹴り飛ばした。
ただひたすら、攻撃に専念していたテミスがそのような刹那の反撃をかわせるはずも無く、大木のようなコウガの脚から放たれた蹴りをまともに食らったテミスの身体は、鈍い音と共に宙を舞う。
だが、猛攻が止んだのも束の間。
苦し気な息を吐きながらも、テミスは着地すると同時に再び地面を蹴り、コウガの命を刈り取るべく剣を振り翳す。
「…………」
あぁ……この目だ。と。
再び始まったテミスの猛攻に易々と応じながら、コウガは胸の内で嘆息する。
大義を掲げ、盗賊の真似事などに身を窶して幾星霜。我等が大義の元、数え切れぬ程の者達をこの手で地獄へと叩き落としてきた。
長い年月の中では勿論。仇を討つべく現れた者達や、義憤に駆られて我等を討つべく襲ってきた者達も居る。
だが、夜天に浮かぶ星の数ほど居たそんな連中の中にも、ここまで強い想いを持っていた物など終ぞ居なかった。
「そうか……」
コウガがボソリと呟きを漏らすと同時に、テミスの振るった剣がその脚を浅く裂く。
その一撃を皮切りに、テミスの放つ斬撃は時折コウガの身体を傷付けるようになり、コウガは鋭く刻まれる痛みを感じながら、万感の思いと共にため息を吐く。
そうか……ついに、現れたのか……と。
灼け付くような怨讐に駆られた瞳。如何なる道理も理屈も取りつく島は無く、ただ煮えたぎる怒りのままに相手を滅ぼさんとする者の目だ。
それはまさしく、かつての同胞たちが爛々と輝かせていた……在りし日の己の瞳そのもので。
「なればこそ……斯様に呑まれた剣では勿体無いな……」
ガギィィンッ!! と。
呟きと共にコウガはニヤリと口角を吊り上げると、更なる一撃を打ち込んだテミスの剣を自らの大太刀に力を込めて受け止め、弾き返して己が身に纏わりつくテミスを引き剥がした。
そして。
「来いッ!! 俺のこの身体……貴様の気が済むまで刻んで見せよッ!!」
己の大太刀を傍らの地面へと突き立てると、コウガは大きく胸を張り、まるで全てを受け入れるかの如く軽く両腕を開いて叫びをあげたのだった。




