7話 希望の街
「何だ……これ、は……」
イゼルの街を出立してから数時間。不幸中の幸いか、カズトのせいで早朝の出発になったおかげで、目的の町には昼前に着くことができた。現在俺はその町の入り口で、驚愕に打ち震えているのである。
「これが……魔王領だと?」
何度も目をこすり、しばたいて見直すがこの目に映る光景が変わる事は無い。
こぎれいに清掃された町の石畳、尖った耳の魔族と人間が笑い合い、その目は活気で満ち溢れている。ここが最前線に程近い町であるなどと、実際にこうして歩いてこなければ誰も信用しないだろう。
「真逆ではないか……」
人間領の町や村では、魔族は迫害され、見つかれば処刑される。そして、処刑する側である人間たちの大部分は、重い税や不当な政治に苦しんでいる。その果てに行きつく所が、同族同士での迫害。なんと愚かしい事か。
「それに比べて……まるで楽園じゃないか……」
テミスは驚嘆を呟きながら重厚な門をくぐる。イゼルの町などとは比べ物にならない程の堅牢な造りだ。
「よう、アンタ。旅人かい? ファントの町へようこそ」
町に一歩足を踏み入れると、憲兵らしい魔族が数人、壁の死角から出てきて気さくに話しかけてくる。
「あ、ああ……。その……」
迂闊だった。カズトに叩き起こされてからずっと歩き詰めだったせいで、眠気と疲れで判断力が鈍っていた。人間にとってここは敵地。であるならば、町の景観が良く立派な塀がある事実はそのまま、治安の良さ……つまり警備の厳重さを物語っているというのに。
一瞬のうちに、様々な思考が駆け巡る。こいつらを倒して逃げる事は容易だが、お尋ね者になるのは間違いない。そんな事になれば、魔王城にたどり着く前に餓死してしまうだろう。それに、魔王の動向が解らない以上、今敵対行動を取るのは愚策だ。かといって、ここで捕まるわけにも……。
「ああ、そんなに警戒しなくていいさ。旅人は大歓迎だ。だが、人間さんの旅人だと、手続きが少しあってね」
「はっ?」
「この前も、すぐそこでドンパチやってたからな……まったく、早く戦争なんて終わって欲しいぜ」
一人の魔族がそうぼやくと、衛兵たちの間から笑い声が立ち上る。彼らは武器を下げてはいるものの、それを抜くことも、あまつさえ構える事すらせずに、友好的な笑みを浮かべていた。
「はっはっは、なに……君が俺達の敵ではないことくらいはわかるさ。あんな顔を見せられちゃな……」
「いや、全く。誇らしくもあり、嬉しい限りってモンだ」
そう言って再び、周囲の衛兵たちが楽し気に笑い声をあげる。
「あんな、顔……? そんなにおかしな顔をしていたか?」
「ああ、全く。地獄の釜のフタを開けてみたら、その中には極楽が広がってたって顔してたぜ? 何で旅をしてるかは知らないが、あっちはキツかったろ。これが終わったら、ゆっくりしていきな」
すっかり毒気を抜かれたテミスは、そのまま肩に手を置かれ、壁際に設えられた小さなカウンターへ誘われて腰掛ける。
「んじゃ、いくつか質問だ。旅の目的は?」
「……この世界の事を知る為に」
テミスは少し迷ってから、質問に回答する。適当に誤魔化しても良いが、こうして快く迎えてくれた相手に不義理を働くのは気が引ける。一応保険という意味合いも兼ねてはいるが……。
ちらりと様子を伺うと、目の前に座った魔族の男の視線がさりげなく上へとむけられる。方法はわからないがやはり、嘘を暴く方法は持っているようだ。
「へぇ……珍しいな。で、この町を見て感想は?」
「……魔王軍に興味がわいた」
どの範囲までを嘘と判定するかは謎だが、嘘にならない範囲で抽象的に答えていく。まさか、魔王と問答する為に魔王城を目指してるなんて言えるはずもない。
「フム……ま、良いだろ」
「んっ……?」
「この町への滞在を許可する。これが、滞在許可証だ。首から下げておくといい」
カウンターの魔族が嘆息したかと思うと、黄色のドックタグのようなプレートを差し出してきた。
「あ、ああ……」
反応が芳しくない所を見ると、答えが抽象的過ぎたか?
「あとこれは個人的な忠告だが、この先の魔王領を旅するならフード付きの外套でも身に付けた方がいいぜ」
「……と、言うと?」
「この辺りはそうでもないが、魔王領の奥に行けば行くほど人間サンに対して良くない感情を持っている奴も増える……特に、王都やもともと魔族領だったところはな」
許可証を手渡しながらカウンターの奥の魔族が悲しそうに苦笑いする。
「俺達魔族は人間サンに比べて長命だ、だからその分、家族や仲間を奪われた悲しみを覚えている。大切な人が死んで悲しいのは、誰だって一緒のはずなんだがな」
「っ……」
いくら平和で豊かに見えてもここは最前線の町だ。目の前の魔族も、大事な何かを失っているのかもしれない。
「ま、気を付けなってこった。すまねぇな、疲れてるだろうに、つまらん話に付き合わせちまった」
「いや、構わないさ。身体検査とか言って体をいじくられるより、よっぽど有益で良い時間だった」
テミスはそう答えると、腰掛けていた椅子から立ち上がって笑顔を浮かべた。
事実。この世界の重大な情報を得ることができたし、これからの旅の注意点を知る事もできた。
「何ィ……? 体をいじくら……って、人間の衛兵ってのは、仕事に誇りが無いのか?」
「少なくとも、貴方達の方が、よほど紳士的なのは間違いないな」
苦笑しながらテミスが返すと、何度目かになる笑い声がカウンターの周りに木霊する。こんなに明るい笑い声を聞いたのは、いつぶりだっただろうか。
「じゃ、気が向いたらまた遊びに来てくれよ。あ~……テミスか、アンタならいつでも歓迎だ」
衛兵がカウンターの上に置かれた書類に、一瞬だけ目を落として快活に笑う。やはり、聞いた噂と自分の目で見るのでは、大きな差があるな。
「わかった。今回はすぐに出立する予定だが、またこの町に立ち寄った時にでも、顔を出させて貰うよ」
滞在許可証を首にかけると、衛兵達に別れを告げて町の中へと足を伸ばす。商店が立ち並ぶメインストリートは活気に満ち、売り子たちの元気な声が響いている。
「まずは……宿と外套か。早めに着いて良かったな」
安宿を泊まり歩いているお陰で、アトリアからもらった路銀にはまだほんの少しだけ余裕がある。彼女には、感謝してもし切れないが……。
「引っ込んで暮らしたって、どうにもならない」
大通りを歩きながら、テミスはきっぱりとした口調でひとり言を零す。
誰かが何かを変えてくれるのを待って、ただひたすらに隠れ続ける。そして、変わらぬ日常に文句を垂れながら、何故もっといい結果を出さなかったのかと糾弾を続ける。
「そんな人生は、死んでも御免だ」
たとえ、恩を仇で返すことになったとしても、正しさを貫く。この目の前に広がる、賑やかな町の景色こそが彼女の見たいもののはずだ。
「らっしゃい!」
「……へっ?」
威勢のいい店主の声に、我に返る。思考に没頭しすぎたのか、ふと気が付くと道の曲がりに気が付かず、店頭に立ってしまっていた。
「あ、えっと。その……」
「何をお探しで?」
魔族の店主がニコニコと、愛想の良さそうな顔で話しかけてくるが、突然の事で言葉が出てこない。だが、わざわざ立ち上がって来てくれているのに、考え事に夢中で来ちゃいました、なんて言うのは、流石に良心が傷む。
「が、外套! ……は、ありますか?」
結局、先ほどまで考えていた単語だけが、裏返った声で飛び出してしまった。
「あ、ああ。ピンからキリまで置いてあるが……どんなのが良いですかい? オススメはこの、サラマンドラの炎も防げる耐火外套ですぜ!」
「うっ……と、なるべく安いので……」
商売魂はわかるのだが、別段豪華な出で立ちでもないのにそんな高級そうなものを勧められても困る。
「目立たなければ……それで」
「ああ、なるほど。そう言う事ですかい。このご時世で珍しいですね」
「そう、か?」
「ええ、ウチもそういった品はとんと取り扱わなくなって、さっきみたいな戦闘向きのが良く売れるんでさぁ。悲しい話ですがね」
オーダーを付け加えるも、店主は奥の方をごそごそと探ってはいたが、会話を絶やす事は無かった。話題もさして不快なものでもないし、深入りもしてこない。まるで、やり手の営業マンと話している気分だ。
「っと、コレなんてどうですかい? 作られてからかなり経っちゃいるが、モノは一級品です」
店主はしばらく店を漁り、一枚のフード付き外套を差し出してくる。
「生地は、え~っと……魔獣カメンレオの外皮とハーピーの羽か。丈夫で軽い。なおかつ迷彩効果もあるみたいですが……」
「フム……」
軽く羽織ってみると、確かに羽のように軽いし、サイズもこの身体には、少し大きいくらいですっぽりと覆えて都合がいい。
「古いせいか、迷彩効果の方は切れちまってますね……バッチリ見えます」
店主は苦笑いしながら、後頭部を掻いている。
「そう言えばこの品。魔獣やらハーピーやらと言っていたな。すまないが、あまり高いものは買えないのだが……」
出されたままに羽織ってしまったが、一級品と言っていた。傷つけないように気を付けて外套を脱がなくては。
「あ~、良いんですよ。何と言うか正直、こういう品はお客さんくらいしか買ってくれないもんで……恥ずかしい話、仕入れたは良いけど売れないんですよ」
「そう……なのか」
確かに、戦場で戦う兵士にとって、外套に求めるのは隠密力や軽さではなく、何よりもまず、その身を守る防御力なのだろう。
「ええ、なので特別です。人間さんの通貨で言うと……黄貨1枚でお売りしましょう」
「なっ……そんなっ! 良いのか?」
自分もこちらの世界に来てから少しは経つ。特に、貨幣価値についてはまず真っ先に確認して身に付けた事項だ。
そしてその知識が間違っていないのであれば、黄貨1枚と言うと、安宿一泊分に少し豪華な夕飯が食べられる程度。元の世界に換算すると、高く見積もって4~5千円と言った所だ。
「ええ、ここで変に欲をかいてイイ値段付けても、お客さん買わないでしょう? だったらウチとしては在庫処分もできて、今夜少し贅沢ができる……この値段がベストって訳です。この外套だって、ウチで朽ちていくよりも、お客さんみたいに使ってくれる人のが良いだろうし」
「あ、ああ……」
どうやらこの店主、やり手の営業マンかと思ったが、熱血店主の類の様だ。俺としてはそっちの方が好みだが……。
「では、お言葉に甘えさせてもらう。ありがとう」
「へへ、商売ってなぁやっぱ互いに得しねぇとですからな! こちらこそ、毎度ありっ! 何か入用でしたら、また来てくだせぇ!」
人の良さそうな笑みを浮かべる店主に対価を払い、差し出していた再び外套を身に纏う。すると、暗い緑色をしていた外套が、太陽の光をキラキラと反射して薄く七色に光った。
「良くお似合いだ。まるで、ソイツも喜んでるみたいですな」
「ありがとう。また探し物が出来たら、必ず立ち寄らせてもらうよ」
笑顔で送り出してくれる店主に見送られて通りに戻る。人間領では、魔族は鬼や悪魔のように語られていたが、実際に話してみれば良い人ばかりではないか。
「あとは宿と……食事か」
若干傾いた陽を眺めながら、空腹に鳴く腹を抑える。
いくら格安で譲ってもらったとはいえ、この外套はかなりの出費だ。アトリアがくれた路銀も今の買い物で殆ど無い。数日野宿をすれば、魔王城までギリギリ持つかどうかと言った所だろうか。
光の角度によって色を変える外套を翻しながら、食事のできる場所と宿を探して町を歩く。奥に行ってもその活気は衰えることなく、疲れた体と空腹が、その過剰な誘惑に屈しそうになる。
「ああ、眠い……」
町の中心らしき広場にたどり着いた所で、食欲に勝る強烈な眠気が襲われて、急激に視界が歪んだ。
「っと、アンタ。大丈夫かい? フラフラじゃないか」
「っ……済まない」
女の体に徒歩での旅。転生してから慣れない尽くしで強行してきたツケが回ってきたらしい。眠気に負けかけて傾いだ体を、恰幅の良い女性に支えられる。
「っ……」
体を支える女性に謝罪し、立ち上がろうとするが、膝が笑って力が入らず、その場にへたり込んでしまう。
「アンタ、人間だろ? この町じゃ見かけないし、旅人かい?」
女性に腕を取られて、腰を抱かれて立たされる。つい先ほどまでは普通に歩けていたのに……と、眠気でぼやけた頭に一抹の恥ずかしさが混じった。
「滞在許可証は……あるね。ウチは宿なんだ、とりあえず休んでいきな」
「あっ……」
そう言われると、霞がかった頭に焦燥が混じる。
駄目だ。親切心は心の底からありがたいのだが、こちらは路銀を節約しなくてはならない身。外套を見て取りっぱぐれは無いと踏んでいるのだろうが、対価を払ったとはいえ好意で譲ってもらった物をこんな所で手放すわけにはいかない。
「大丈夫――」
「ちょっと! 暴れない! 金なんてケチなこと言わないから休んでいきな! 町の広場で野垂れ死なれる方がよっぽど迷惑さね!」
何とか自力で立とうとする俺を一喝し、腕と腰を掴む手にさらに力が籠った。
「無理して起きてる必要は無いよ。寝れるならそのまま寝ちまいな。心配しなくても、荷物はちゃんと枕元に置いて――」
視界と音が強烈に歪み、続いて体の力が抜けていく。行き倒れとはなんとも情けないが、今はこの女性に抗う力すら入らない。
ふと、光の筋が揺れたかと思うと、テミスの意識はとっぷりと闇に呑まれのだった。