868話 血濡れた守護者
昏い深い森の中。静かに佇む木の幹にビシャリと鮮血が飛び跳ねる。
普段は静謐なこの場所は今、怒号と悲鳴の飛び交う血みどろの戦場と化していた。
「囲め囲め!! 囲んで一斉にかかるんだッ!!」
「弓持ってる奴ァ後ろの連中を狙え!! 少しでもいいから隙を作れ!!」
「ひぎゃああぁぁぁッッッ!! 腕っ!! 俺の腕ェェッッ!!」
「喚くんじゃねぇ! 気をしっかり持てッ!! オイッ……絶対無暗に近づくなよォッ!! 一人で何とかしようとするなァッ!」
次々と飛び交う盗賊たちの怒号の間から悲鳴が漏れ響き、深緑が支配する森を紅が塗り替える。
そんな盗賊たちの前で、テミスは一人剣を構えたまま、悠然と佇んだまま微笑を浮かべて冷たい視線を彼等へと向けていた。
恐らくはこの連中、これまでもさんざんに暴力を以て奪い、殺し、多くの罪無き人々を脅かしてきたのだろう。だが……今の彼等の何と滑稽な事か。
ある程度取れていた統率は既に見る影もない程に瓦解し、各々が自らの焦燥と恐怖に駆られて動いている。
その結果がこの惨状だ。
未だ数の有利を保ちながらも、彼等がたかだか人間のメス一匹と侮った私に対して窮地に追い込まれている。
「フン……」
見下げ果てた連中だ……。と。
テミスは怒号の通りに背後のフリーディア太刀を狙って放たれた矢を叩き落としながら、ため息まじりの息を吐いた。
私の後ろに居るシズクとフリーディアは今、戦う事はおろか、自らの身を守る事すらできない。なればこそ戦略的に考えるのならば、数の利を生かして私を抑え込み、後ろの二人を人質に取るなりするべきなのだ。
無論。そんな事をさせるつもりなど毛頭ないが、盗賊に身を窶した彼等にとっては最も勝機のある方策だろう。
「よくもやってくれたなクソがッ!! 泣き喚いても絶対に許さねぇ!! 死ぬよりも辛れぇ目に遭う覚悟はあるんだろうなァッ!!」
「……下らん」
ザシュゥッ!! と。
テミスは、放たれた矢を叩き落としてから、数瞬の間を置いて飛び掛かってきた盗賊たちを一刀の元に切り裂くと、忌々しげに呟きを漏らす。
結局の所、連中は盗賊を名乗りながらもただの獣と変わらないのだ。
眼前の勝機よりも己が身を貴び、自分ではない誰かが犠牲になるのを待っている。そんな次元の連中が燃やす怒りなどに価値は無く、その事実さえも彼等は私達を捕らえた後のお愉しみで塗り潰しているのだろう。
「やれやれ……それにしてもこうまで戦い易いとは……」
斬って捨てた盗賊の死体が力を失って崩れ落ちる前に、テミスは蹴りを叩き込んで遠くへと吹き飛ばして独りごちる。
今、テミスが行っている戦いは守る戦いだ。
故にこそ、テミスはこれまで一度も敵へと斬り込まず、ただひたすらに守りへと徹している。
この戦い方がテミス元来の戦い方でないのは言うまでも無く、テミス自身内心では、慣れない戦い方に難戦する羽目になると覚悟をしていたものだ。
だが蓋を開けてみれば結果はこの通りで。
テミスが守りに徹する事により、敵である盗賊たちは万全の迎撃体制を整えた状態のテミスへと攻め込まねばならない。それはテミスにとって、安全かつ確実に敵の一人を屠る事ができるという、圧倒的な優位を生み出していた。
しかしそれは同時に、フリーディアの戦い方が有用であるという事の証左であり、その事実はテミスにとって酷く面白くないものだった。
「ふァ……」
「っ……!!!」
そして追い打ちとばかりに、テミスは盗賊たちへ見せ付けるように小さく欠伸をしてみせる。すると、盗賊たちはテミスの思惑通り、一様にその表情を怒りに染めて歯を食いしばってテミスを睨み付けた。
「…………」
あと数度、同じ事を繰り返してやれば終わるだろう。
その様子を見たテミスが、自分達を取り囲む盗賊たちの数を数えながら胸の内でそう呟くと、一層殺意を増した盗賊たちに引導を渡すべく剣を構え直した時だった。
がさがさと下草を踏み鳴らす音を響かせながら、盗賊たちの背後の木々の間から、突如として巨漢の獣人が歩み出て来る。
「チィッ……新手かッ……」
姿を現した獣人は、テミスの周囲を取り囲む盗賊たちよりも一回り……否、二回りほど巨きいだろうか。
一目見ただけでわかる程に筋肉質な丸太のような腕はテミスの胴回りよりも太く、身に纏う雰囲気も周囲を囲む雑魚共とは一線を画していた。
テミスは即座にその巨漢の獣人が強敵であると察して身構えるが、巨漢の獣人はテミスの事など気にも留めず、周囲の盗賊達をギロリと睥睨して口を開く。
「テメェ等……頭数揃えて囲んでる癖して、いつまでモタクサやってんだ」
「コ……コウガさん……ッ! ですがコイツ妙に強くて……」
「フン……手前の背中に怪我人背負って戦ってンだ……そりゃァ強えぇだろうよ」
その言葉に、獣人たちは一斉に顔を青くして釈明するが、コウガと呼ばれた巨躯の獣人はチラリとテミスを一瞥すると、吐き捨てるような口調で言葉を続ける。
「退きな。手前等じゃ役不足だ」
たった一言。
怒鳴り付けた訳でも無く、そう静かに告げただけで、テミス達を取り囲んでいた盗賊たちは縮みあがって左右に分かれて道を作り、コウガは悠然とその道を通ってテミスの前へと歩み出た。
そして……。
「悪ィな……姉さん。ここからは正々堂々の一対一。俺が相手になろうか」
ぞろりと携えた大太刀を抜き放ちながら鋭い眼光でテミスを睨み付け、不敵な笑みを浮かべてそう告げたのだった。




