867話 黒き守護の剣
「追えッ!! 囲めッ!!! 絶対に逃がすなッ!!」
「焦らなくていいッ!! 奴は手負いだッ! 血の臭いを嗅ぎ分けろッ!!」
フリーディアがシズクの応急処置を始めてから数秒と経たぬ間に、周囲の森の中から荒々しい怒声と足音が響き渡ってくる。
しかし、それを聞いて尚テミスが剣を構える事すら無く、不敵な笑みを顔に張り付けたまま、シズクとフリーディアに背を向けて佇んでいた。
「っ……!! テミス!! 私も!!」
「必要ない。お前は処置に集中していろ」
直後。
シズクの血で両手を濡らしたまま叫びをあげたフリーディアが腰を上げかけるが、テミスは即座に言葉と共に携えた剣の腹を向けてそれを制する。
「いい加減……私も自分の無能さにいら立ちが積もっていた頃でな。私とて、戦うことぐらいはできるのだ」
「危険だわッ……!! シズクがこんな傷を負う相手に貴方一人ではッ……!!」
「手を休めるな、フリーディア。シズクの傷は今処置が遅れれば命に関わる。お前は私に手を貸しに来たのだろう? ならば、私にはできない事を担え」
「っ……!!!」
そう言葉を続けたテミスに、フリーディアは両の手を血に染めたままなおも食い下がる。だが、テミスが肩越しにフリーディアを睨み付けて告げると、フリーディアは鋭く息を呑んで再びシズクの傍らに腰を落ち着けた。
「……帰ったら!! 町へ戻ったら、応急処置も教えるわ」
「フン……」
テミスがフリーディアが処置へ戻るのを確認して再び前へと視線を戻すと、フリーディアはその背に向けて叫ぶように言葉を付け加える。
その言葉に、テミスは僅かに口角を吊り上げると、答えを返す代わりに小さく鼻を鳴らした。
これはどうやら、無事に町に帰ったら帰ったで、また暫くはフリーディア先生の勉強会が待っているらしい。
そんな、平和ながらも僅かに眩暈を覚えるような未来の展望を思い浮かべながら、テミスは剣を携えたままゆったりとした歩調で前へと進み出た。
その瞬間。
「ハッ……ハァッ……っ――!?」
丁度テミスの進み出た前方。木々の隙間を満たす暗闇の中から、息を荒げた一人の獣人が走り出て来る。
それに数瞬遅れて、テミスを挟みこむようにして左右からも、盗賊然とした恰好の獣人が駆け出してきた。
「こんな所に……!?」
「人間の……」
「……メスだァッ!?」
刹那。
突如として姿を現したテミスに、盗賊たちは驚愕の色を見せるが、即座にその表情を嗜虐的な笑みへと切り替え、各々が携えた武器を手に叫びをあげる。
「構わねぇ!! 人間如きヤッちまえ!!」
「応よッ!!」
そして、盗賊たちは荒々しい雄叫びを口々に上げながら、振りかざした武器を手に走る勢いをそのままに、テミスへと襲い掛かった。
だが。
「クス……どうした?」
フワリ……。と。
盗賊たちの眼前を、闇の中でうっすらと輝く長い白銀の髪が通り過ぎると同時に、一斉にテミスへと襲い掛かっていた盗賊たちが一様にその足を止める。
その中心で。テミスは妖艶な笑みを湛えたまま、己の髪が描く回転の軌跡を残して口を開いた。
「あ……ぐッ……」
「な……に……?」
しかし、テミスの問いに答える事ができる者は居らず、テミスへと襲い掛かった盗賊たちは、一拍の間を置いて血飛沫を上げその場へと崩れ落ちる。
だが、彼等を斬り倒したテミスは盗賊たちに一瞥もくれる事は無く、鋭く剣を振り抜いてびしゃりと刀身に付いた血を振り払っていた。
「テミス……貴女……」
そんなテミスの背に、フリーディアは目を見開いて驚きを露にすると、呟くようにただ名前だけを呼んだ。
けれど、その呟きには少なくない落胆と深い悲しみが籠っており、それを耳にしたテミスは空いた片手で所在無さげにガリガリと後頭部を掻き毟って口を開く。
「心配するな。業腹だが、以前のように戦えるようになった訳ではない」
「なら……」
「殺しても構わん相手ならば加減をする必要もあるまい? あとは、放った攻撃がたとえ貧弱極まる一撃だったとしても、問題無い動きをすれば良いだけだ」
テミスはフリーディアに背を向けたまま事も無げにそう言い放つと、構えを解いて血払いを終えた剣を再びだらりと携える。
しかし、テミスが三人の盗賊たちを打ち倒した事で、この場に静寂が戻ったのも束の間。
新たに臭い立つ血の臭いを嗅ぎ取ったのか、荒々しい声と共に獣人たちが木々の間から次々と姿を現した。
同時に、下卑た笑みを浮かべて剣を構える盗賊たちの背後から、甲高い音と共が響き渡り、フリーディア達をめがけて一本の矢が放たれる。
「――っ!!」
無論。
シズクの応急処置の為に剣を手放していたフリーディアに身を守る術など無く、甲高い音を奏でながら空気を貫いて、放たれた矢がフリーディアへと疾駆する。
「ハァッ……!!」
だが、その矢が役目を果たす事は無く、刹那に響いた力強い声と共に、宙を走った漆黒の剣によって討ち落された。
そして……。
「安心して治療を続けろ。お前に教わったこの剣は、護る為の剣なのだろう?」
不敵な笑みを浮かべたテミスはフリーディア達へと顔を向けると、自らの剣圧で宙を舞う白銀の髪を透かしてそう告げたのだった。




