862話 闇の底で語らう明日
「ぐっ……クッ……むぅぅぅっっっッッ……!!」
ファントの町を出立してから数時間。
暗闇の支配する鬱蒼とした森の中には、テミスの酷く悔し気なうめき声が響いていた。
まるで、隅を宙に流し込んだかのような暗闇の中に灯る微かな灯り、ゆらゆらと揺れるそれは、一般的に獣や魔獣避けとして焚かれるただの焚火だ。
だが、その前に座り込んだテミスは、額に球の汗を浮かべてギリギリと歯を食いしばりながら、今も尚手元で懸命に作業をしている。
「もぅ……火は点いたのだから良いじゃない」
「ッ……!! 良くないッ!! クッ……! 何故……何故ッ……!!」
「はぁ……」
開いた足の間に挟んだ二本の木に、丸く削られた棒状の木を擦り付ける。そんな極めて原始的とも言える作業を、テミスは苛立ちを露わにしながらも、ひたすらに続けていた。
その正面では、どこか呆れたような表情を浮かべたフリーディアが、そんなテミスを眺めながら、道中に拾い集めていた薪代わりの細い枝パキリと折り、パチパチと燃える焚火の中へと投げ入れている。
「力み過ぎなのよ。それじゃあただ、木で木を圧し潰そうとしているだけだわ? もっと軽く力を抜いて……擦る事を重視するのよ」
「解っているッ!! 解ってはいる……がッ……!! ハッ……ハァッ……ハァッ……!!」
「出来なくて悔しいのは解るけれど、一度その辺りにしておきなさいよ。貴女を休ませるために取った休憩なのに、そう消耗していたら意味が無いわ?」
「ッ……!! っ~~~!! ハァ……わかった……」
微笑を浮かべてそう告げたフリーディアに、テミスはピクリと肩を跳ねさせると、数秒間ぷるぷると細かく全身を震わせた。その後大きなため息を吐くと、テミスはフリーディア言葉に従って火を起こす手を止め、パチパチと音を立てる焚火の中に、手元の棒をぞんざいに投げ入れた。
何もかもが上手く行かない。そんな無力感にも似た感情に苛立ちを覚えながら、テミスはそのまま頭の後ろに手を組んで、傍らの地面に寝転がる。
「クスッ……。良かったわね? 私が来て」
「……うるさい」
「藪掻きも出来ない、火起こしも駄目……。貴女一人だったら、間違い無くどうしようもなくなっていたわよ?」
「う・る・さ・い!!」
テミスは面白そうに笑いながら告げるフリーディアに、己が胸の内の苛立ちをもぶつけるように言葉を返しながら、ゴロリと寝返りを打って焚火に背を向けた。
だが、フリーディアの言葉が癪に障る時点で、全ては私の負けなのだろう。
私とてまさか、自らがここまで何もできなくなっているとは思わなかったのだ。
以前ならば、足元に絡む藪など無視して突き進む事ができたし、柔らかい土や岩の転がる悪路だからといって、移動だけで疲れ果てる事などあり得なかった。
けれど、テミスのそんな内心など知る由もないフリーディアは、ここぞとばかりに拗ねたように背を向けたテミスへ言葉を重ねる。
「そんな調子で今までどうしていたのよ? 一度も野営をしなかった訳も無いでしょう?」
「…………」
問われて初めて思い返し、テミスは寝そべったままピクリと肩を跳ねさせた。
考えてみれば私は、今までこういった類の雑事をこなした事は無かったかもしれない。魔王軍に居た頃は、私やマグヌス達が作戦を詰めている間に、食事の準備などは部下がしてくれていた。
それが彼等にとって、指揮を執りながらも常に最前線に立つ私への思い遣りなのは理解できるが、こうして独りになった時の自活能力の低さを突き付けられると、ぐうの音も出ない。
「フフ……ハハハッ……」
「……? どうしたのよ? 急に黙り込んだと思ったら……」
「いや……な……」
思考が深まるにつれ、何故か込み上げてきた可笑しさに、テミスは再び寝返りを打って態勢を仰向けへと戻すと、その感情を隠す事無く笑い声をあげる。
わかったつもりでは居たが、戦闘以外の場面でも私は、あの忌まわしい力に頼りきりだったらしい。
現状はある程度安定しているとはいえ、いつまた戦場へと赴かねばならないか解らぬ身なのだ。ならばこうして寄る辺を失った今、いつまでも仲間達の厚意に縋る訳にもいかないだろう。
「まずは火起こしから……かな……」
「あぁ……そういう事。それが良いわね、いくら勇猛果敢な黒銀騎団長様でも、ご飯の支度の一つもできないようでは問題だわ?」
「ッ……!! フン……言ってろ。あとは基本だけなんだよ私は!」
「それは見ものね? ならこの一件が終わったら、野営訓練でもしましょうか」
「吠えたな? フリーディア。良いだろう。幾らでも見せてやるとも。……だが」
シャリン。と。
不敵な笑みを浮かべたテミスはフリーディアの軽口にそう応じた後、唐突に横たえていた身を起こして腰の剣を抜き放って言葉を続ける。
「……全ての決着を付けてから……だ」
そう、テミスはテラテラと揺れる焚火の炎が反射する刀身に鋭い眼光を写しながら、静かに言い放ったのだった。




