857話 渾身の一撃
「っ……!!」
下卑た笑みを浮かべながら立ちはだかる盗賊たちを前に、アリーシャは油断なく武器を構え、胸の中で鎌首をもたげる恐怖をねじ伏せる。
私の力ではきっと、この人たちを倒す事はできないのだろう。けれど、別に倒す必要は無いんだ。
ただ行く手を阻む二人の攻撃を凌いで、町へ逃げ込めばいい。
それもきっと、簡単な事じゃない。けれど、今の私には彼等から守ってくれる人なんて居ない。自分の力で切り抜けなければ、その先には酷いことが待っている。
「大丈夫……大丈夫ッ……!!」
じりじりと近付いてくる盗賊たちを睨み付けながら、アリーシャはブツブツと口の中で呟きを繰り返した。
彼等は、見るからに私の事をただの町娘だと侮っている。けれど、私にはテミスから教わった技があるんだ。
倒せないまでも、逃げ出すくらいだったら……!!
「ククッ……どうしたよ? 構えてみせたはいいが怖くて動けねぇか?」
「そうさなぁ……反抗した奴は本当なら、死ぬ寸前まで殴って蹴って……自分の立場ってのをその身にしっかりと教え込んでやるんだが……」
「ん……? ああ、確かに。泣き喚いて謝っても絶対に許さねぇ。その傷一つねぇ肌がズタボロんなって、ボロ布みてぇになるまで刻み込むのが決まりってモンだ」
必死で恐怖に抗いながら活路を見出そうとするアリーシャに、盗賊たちはニヤついた笑みを浮かべると、見せ付けるように構えていた武器をユラユラと揺らして、脅すように言葉を交わし始める。
しかし盗賊たちの声高に語る苦痛への恐怖が、家に帰れぬ事を、自らを逃がすために残ったシズクの事を町へ報せられぬ事を何よりも恐れるアリーシャに響く事は無く、その脅迫は逆に、アリーシャの中に燻る恐怖を決意へと塗り替えていた。
「だけど俺達も鬼畜じゃねぇ。嬢ちゃんが今すぐ素直になって、ちいっとばかし自分の立場を理解したって事を俺達に見せてくれりゃぁ見逃してやるよ。だから……なっ?」
「ハハハッ!! 確かに、最近特に姉御がうるせぇからなぁ……。捕虜には手を出すなってよ。なぁにが捕虜だ……商品の間違いだろってな!!」
「だろぉ? 俺達は頼まれてやってんだから、手を出すとは言わねぇよなぁっ……!!」
ギャハハハハッ!! と。
盗賊たちは顔を見合わせて愉快そうに笑い声をあげた後、武器を下してアリーシャの左右へと回り込んだ。
どうやら、彼等の意識の中では既に、アリーシャは降伏した事になっているらしく、まるで獲物を品定めするかのようにギラギラと怪しく光る視線が、揃ってアリーシャの全身を舐めまわすように眺めていた。
「安心しろよ。顔や脚は傷付けねぇ。爪を剥がしたり指を折ったりもナシだ」
「ほんの少し泣き叫んで、苦しんで本気で嫌がる姿を見せてくれりゃぁそれで良い。僅かばかりのオタノシミってヤツだ」
そして、左右に分かれた盗賊たちは、意気揚々と口々に身勝手な台詞を口にすると、その手でアリーシャの肩を掴むべく、ゆっくりと持ち上げる。
相手は獣人族。剛力を誇るこの手に捕まれば最後、逃げ出す事はできなくなるだろう。
けれど……武器すらも降ろし、自らの手に収まろうとしている獲物を前に舌なめずりをしている今こそが最大の好機ッッ!!!
「――ッ!!!!」
「あ……?」
「なっ……あぐぁァッ!?」
盗賊たちの魔手がアリーシャの肩に触れる刹那。
ギラリと目を光らせたアリーシャは、脚に込めていた力を爆発させ、全力を込めて地面を蹴り抜いて駆け出す。
同時に、アリーシャは構えていたナイフを傍らの獣人の肩へと突き立てると、走り出す勢いをも乗せて引き裂くように振り抜いた。
苦痛の悲鳴と共に血飛沫が上がり、振り抜いたナイフに付いた獣人の血が球となってその切先から離れていく。
しかし、アリーシャがそれらを顧みる事は無く、全身全霊を込めて駆け出した彼女の脚は、放たれた矢のような速度でアリーシャの身体を前へ前へと運んで行く。
「クソッ……!! 待ちやがれッ!!」
「うぐあああああぁぁぁぁァァァッッ!! 腕ッ!! 俺の腕ェェェッッ!! クソクソクソクソクソッ……ガキがああああぁぁぁァァァッッッ!!!」
数瞬遅れて、駆け出したアリーシャの背後から二つの怒号が響き渡り、脱兎の如く逃げ出したアリーシャの背に追い縋る。
「ひぐッ……ッ……!! テミスッ……!!!」
背後から響き渡る怒号に、その半身に幾ばくかの返り血を浴びたアリーシャは、血濡れた自らの短剣を固く握り締めると、泣き出してしまいそうになる自分の心を押さえ付けながら、一心不乱にファントを目指して駆けるのだった。




