844話 魂の叫び
「ハァァッ!!!」
「――クッ……!?」
ギャリン! バギィンッ!! と。
夜霧の漂う人気が無い町の中に、激しい剣戟の音が響き渡る。
その、夜の闇を集めたかのような漆黒の剣を受け、弾き、斬り返す度に、シズクは己の胸中を奇妙な違和感が満たしていくのを感じていた。
「セェッ!!」
「クク……ハハッ!!」
「ウッ……!!」
幾度となく繰り返される打ち合いの中、空を裂いて振るわれたテミスの剣がシズクの肌を掠め、浅い傷を刻み付ける。
確かに強い。だが、あまりにも違い過ぎる……と。
刻まれる傷と共にシズクは、胸の内に溜まっていく違和感が、徐々に確信へと変わっていった。
「ハァッ!!」
「ムッ!?」
激烈一閃。
渾身の力を込めて振るわれたシズクの一撃を剣で受けると、テミスはその威力を殺す為に、白銀に輝く長い髪をなびかせて大きく後ろへと跳び退がる。
同時に、シズクの追撃に備えて身構えていたものの、シズクは刀を振り切った格好のまま動く事は無く、その場で荒い息を吐いてテミスを睨み付けていた。
「ッ……お前……何者だ?」
「は……?」
数秒の沈黙の後、シズクは静かに刀の切っ先をテミスへと向けて問いかける。
シズクの伝え聞くテミスの戦い方は、巷で噂となっている通りの勇猛果敢なものだった。
彼女がひとたびその大剣を振るえば地面をも断ち、幾百もの敵兵を相手に戦場を駆ける豪気さは、まさに一騎当千たる剛腕の将なのだろう。
しかし、今目の前で剣を繰るのは外見こそ伝え聞く噂に酷似しているものの、その実はただの人間の少女だ。
正道とも邪道ともつかぬその剣は確かに捉え難く、人間としてはかなりの強さなのだろう。だがその強さも、白銀の死神とまで謳われたその名を方々に轟かせる程のものとは到底思えない。
――剣が軽すぎるのだ。
「もう芝居は止せ。この町の主……本物のテミスに会わせて欲しい。私はただ、この獣人族に対する不当な扱いを改めて欲しいだけなんだ」
「…………。あぁ……フッ……」
「何が可笑しい?」
「いいや……」
だが、テミスが構えた剣を下す事は無く、ただ皮肉気な笑みを一つ浮かべただけだった。
どうやらこの戦いの中で、シズクは私の事を影武者か何かであると判断したらしい。
そう彼女の心中を察した瞬間、テミスは自らの心の中に、まるで粘つくヘドロのような不快感と、煮えたぎる溶岩の如き怒りが湧き上がってくるのを感じた。
「クク……滑稽だな……。あぁ……滑稽だ……」
「……?」
そう呻くように呟くと、テミスは胸の奥底から湧き上がってくる感情に身を任せながら、まるでフリーディアのようにピシリとしたその構えを崩していく。
シズクの言葉は、確かに正しいのだろう。
フリーディアやアリーシャのような身近な者達ならば兎も角、数度言葉を交わした程度のシズクに、理解しろという方が酷なのだ。
だが、それを理解して尚。テミスの胸の内に溢れる粘ついた怒りが収まる事は無い。
――だって、そうじゃないか。
彼女がこうして剣を合わせ、私が『テミス』でないと断じたならば……。それは、私という人間を形作るものはただ、今は失った鬼神の如き強さだけだった事になる。
それはつまり、私の想いも、成果もこの世界にとって、全て無意味で、無駄で、無価値であったという事で。
「クハッ……アハ……ハハハハハハハハッッッ!!」
「何を……」
突如。テミスは闇夜に沈んだ空を仰ぐと、高らかに笑い声をあげる。
確かに、今の私は弱い。だが、私がテミスである事は変わらないし、譲るつもりもない。けれど私が忌避したあの強さこそが、私であるというのならば……。
私は……力は我にありと示さねばなるまいッ!!
「ハァァッ!!!」
「なっ……!?」
刹那。
天を仰ぎ狂ったように高笑いをしているテミスを唖然と見つめていたシズクの視界から、その姿が消えた。
――否。消えたのではない。こちらへ向かってきているのだ。
シズクはピクリと耳を蠢かせると、猛然と石畳をこちらへ蹴り進む音だけで即座にそう判断する。
「グッ……」
直後。
咄嗟に構えた刀に漆黒の剣が打ち付けられ、激しい衝撃と共に甲高い金属音が響き渡った。
しかし、猛然と攻勢に出たテミスの攻撃がただの一撃で留まるはずも無く。
止めどなく嵐のように振り下ろされる漆黒の刃を、シズクは時には受け、時には躱して必死の思いで捌き続ける。
「このっ……!! そこまでして……そこまでして我等が誇りを穢したいかッ!!」
そして、一撃。また一撃と。
シズクは斬撃を捌く度、心の内に溢れる怒りと悲しみに叫びをあげたのだった。




