836話 獣の群れ
「よォ……兄ちゃん。お前さん、なかなかに面白い目をしている」
ジャリィッ……。と。
巨漢の獣人は言葉と共に一歩前へと進み出ると、手下の二人がビクリと肩を竦ませるのを無視して、不敵な笑みを湛えてバニサスを睨み付ける。
しかし、バニサスは身体に力こそ込めたものの一歩たりとも退く事は無く、油断なく槍を構えたまま獣人たちの真正面に立ち続けていた。
「そいつぁ獲物の目じゃねぇ。覚悟と希望……そして殺気の宿った目。俺達と同じ誇り高き獣の目だ」
「っ……。へへっ……冗談は止して下さいよ。俺ァただの衛兵……アンタ達を殺す気なんてねぇ」
「クク……面白れぇ男だ。名は?」
「……バニサス」
「そうかい。俺の名はコウガ。コウガ・ミツルギだ。安心しな、男の戦いに手を出すなんて野暮はしねぇよ」
「そいつぁ有難く無い話だ。できるならこのまま剣を収めて欲しいんだが……いや、アンタ達に合わせるのなら収めるのは牙かね?」
固い雰囲気のまま、バニサスはコウガと名乗った巨漢の獣人と言葉を交わしながら、恐怖に震えあがる心を必死で抑え込んでいた。
この男は格が違う。そう直感しながらも、バニサスは不敵な笑みを崩さずに言葉を交わし続ける。否……こうして、軽口でも叩かなければ何とか抑え込んでいる恐怖が噴出し、泣き叫びながら逃げ出してしまいそうだった。
そうすれば最後。言葉を交わす価値すらなくなった俺は、容赦なく殺されるだろう。
「フフ……ハハハハハッッ!! キバ! ケン! 気合入れろ。それ以上半端なツラ見せるんじゃねぇ」
だが、コウガはそんなバニサスの緊張すらも見透かしたかのように豪快に笑い飛ばすと、手下の二人に向けて発破をかけた。
すると、二人の獣人は再びビクリと肩を跳ねさせた後、声を揃えて返事を返し、バニサスへと向き直る。
「キバ……ロウザキ・キバだ。お前は俺が狩る」
「待ってくれよ! 兄貴の命を受けたのは俺もだぜ! 俺はケン!! シバヅキ・ケンだ! 覚悟しやがれ!!」
そして、二人は鉤爪と短刀を構えてそれぞれに名乗りを上げると、その闘争心を見せつけるかのように歯をむき出しにして、ただならぬ殺気をまき散らしながら、獣のような低い唸り声を上げ始めた。
「っ……ハァ~……やれやれ……。勘弁してほしいぜ全く……」
じりじりと動き始めた二人に視線を向けながら、バニサスは苦笑いを浮かべて呟くと、槍の柄を握り締めて気合を入れた。
これ以上、会話で時間を稼ぐのは無理だろう。
敵も馬鹿じゃないらしい。あのコウガとかいう獣人が割って入ってきたのも、部下に活を入れて時間稼ぎを潰す意図もあるはずだ。
だが、少しばかりの時間は稼げた。
後は一分でも早く、増援が到着するのを願うだけだ。
「ガアアアアァァァアッッッ!!!」
バニサスの頬を伝う冷や汗が顎から落ちた瞬間だった。
ケンと名乗った短剣使いの獣人が声高に猛りを上げると、両の手に握り締めた短剣を振りかぶって突撃する。
「っ……!!!」
その突撃は、短剣に比べて射程の長い槍を扱うバニサスにとって、受けるも払うも容易な単調なものだった。
だが、先程までの乱戦の中でケンが見せていた攻撃とは異なる点がただ一つ。疾風のような速度で距離を詰め、まるで獣の牙が如く、飛び掛かるようにして両の短剣を大きく振りかぶる。
「ウォォオオオオッッ!!!」
しかもその背後では、キバと名乗った鉤爪の獣人が、雄叫びを上げてバニサスへ向けて突き進んでくる。
ケンの突撃に応ずれば、後に控えたキバの追撃が襲い来る。二人の動きは完璧に連携が取れており、それはまるで獲物を狩り殺す獣の群れが如く、瞬時のうちにバニサスを追い詰めていた。
「チィッ……!!」
避けられない。
バニサスは即座にそう判断をすると、槍を自らの身体へと引き寄せて防御の構えを取りながら舌打ちをした。
テミスであればあの巨大な大剣で、目の前の空間を引き裂くように薙ぎ払い、二人纏めて叩き切っているのだろう。
フリーディアであれば、その卓越した身のこなしと素早さで的確に攻撃をいなし、正確無比な反撃を以て沈めるのだろう。
だが、ただの衛兵であるバニサスには、そのような人間離れした芸当ができるはずも無く。
故にバニサスは胸の内で覚悟を固めた。
「ゥ……ッ……ラァッ!!!」
気合を込めた叫びと共に一閃。
バニサスはケンの背後で鉤爪を振りかぶっているキバへ向け、一度自らの身体の側へと引き戻した槍を突き出した。
その迎撃は、真正面から飛び掛かってくるケンの攻撃を無防備で受ける事を意味しており……。
「貰ったァッ!!!」
「クッ……グゥッ……!!!」
ケンがけたたましい叫び声と共に一対の短剣を振り下ろした直後。
くぐもったバニサスの苦悶の声が響く同時に、血の飛沫が宙を舞ったのだった。




