834話 誇りの価値
その日の昼過ぎ。
ファントの町の玄関口の一つ、主に魔王領からやってくる魔族たちの利用する門には、
いつも通りの穏やかな日常が流れていた。
今日も今日とてファントの町を訪れた人々が作る行列を、門の警備を担当する衛兵たちが見分する。その中には、独断でシズクを町の中へと招き入れたが、処分は保留とされたバニサスの姿もあり、彼等は様々な想いを胸にファントを訪れる人々を、慣れた手つきで捌いていった。
「……はい。確認できました。ご協力ありがとうございます」
「へへっ!! これからよろしくな! 兄チャン!」
そんな光景の中で、一人の若い衛兵が極めて事務的な言葉と共に、冒険者らしき恰幅の良い男へと頭を下げる。すると、男は声高に笑い声をあげた後、親し気に衛兵の背中を二・三回バシバシと叩いてから町の中へと歩を進めていく。
しかし若い衛兵は人混みの中へと消え去っていく男の背を見送る事無く、自らの記した書類を持って脇に避けると、入れ替わりに待機していた衛兵が、新たな来訪者を迎えるために駆けていった。
「……。ハァ……」
「ん……? どした? そんな顔でため息なんか吐いて」
そして、若い衛兵がため息と共にカウンターの中へと書類を投げ入れると、その傍らから唐突に一人の衛兵が声をかけてくる。
「バニサス先輩……。別に……何でもないですよ」
「よく言うぜ。不満タラタラの顔しておいて」
「っ……。上の連中も何考えてんですかね。こんだけ来たいって連中が居るんだから、金の一つでも取ればいいのに……」
バニサスに即座に内心を言い当てられた衛兵は、憮然とした表情で鼻を鳴らすと、ゆっくりと胸の内に溜まった不満を漏らし始めた。
無論。この若い衛兵がファントの町の財政などを憂いているはずも無く、ただ入町料なり通行料なり取るようにすれば、自らの仕事が幾ばくかは楽になるだろう……と、漠然と思っているだけだ。
「…………」
「それに。このマニュアル……でしたっけ? おかしいですよ。この町に入れてやってんのはこっちだってのに、なんでいちいち礼を言ったりしなくちゃいけないんですか……」
「フッ……。そうだな……確かにファントは素晴らしい。けれど、俺達はそれを誇りに思っても、驕っちゃいけねぇ……。ただ運が良かっただけなんだからさ」
「運が……?」
若い衛兵の愚痴を黙って聞き切った後、バニサスはクスリと柔らかな笑みを零して壁に背を預け、のんびりとした口調で後輩の言葉に答えていく。
「そ。もしもテミスちゃんが救ったのがファントじゃなかったら……たとえば、隣のプルガルドだったら? 俺達は頭を下げて通して貰う側だ」
「なら……!! それなら……町に入る為に必要な事をしただけで礼を言うのはどうなんですか!? お陰で冒険者連中や最近じゃ旅人なんかにも舐められてる!!」
「良いんだよ……それで。俺達門番は舐められる為に居るんだ。考えてもみろ……俺達がふんぞり返って威圧感を出してたら、子狡い悪党はどうすると思う?」
「それは……っ……!!」
ニンマリと悪戯っぽい笑みを浮かべたバニサスがそう告げると、若い衛兵は小さく息を呑んで言葉を詰まらせた。
衛兵の仕事に就いている者達は、テミスやフリーディアの率いる兵達ほどでは無いにしろ、多かれ少なかれ鍛えているし、武器だって扱える。
そんな衛兵が睨みを利かせれば、確かに絡まれたり侮られたりすることは減るのだろう。
だがそうすれば、盗人や戦う力の無い町の人々を脅す小悪党は余計にその正体を隠し、密かにこの門を通り抜けていく事になる。
「そういうこった。それに、結構気持ちのいいモンだぜ? 俺達を舐め腐ってた連中が、本当の実力を見て驚くのはさっ!」
「……そんなモンですかね」
「あぁ。そんなモンさ。……あとは――」
納得はしたものの、未だ受け入れ切れては無いといった様子で返事を返す若い衛兵に、バニサスはニッコリと涼やかな笑みを向けてそう告げた時。
バニサス達が言葉を交わしている大きな門へと続く長い列の向こう。そのちょうど最後尾辺りが、俄かに騒がしくなる。
そのざわめきはすぐに怒号や悲鳴へと変わり、異変に気付いた周囲の防壁の守護にあたっている数人の衛兵たちが即座に駆け出し始めた。
「――ああいった連中を燻り出すためだよ!! さ……俺達も行くぞ!」
「は……はいッ!!」
それに併せて、流れるような動きで槍を手に取ったバニサスは、結びかけた言葉をそう続けた後、気合の籠った声でそう告げると、怒号と悲鳴の渦中へと駆け出していったのだった。




