77話 羽軸の色
無言でルークを睨みつけるサキュドと、嘲笑を浮かべて大剣を肩に担いだルークが睨み合い、遠くの村から助けを求める悲鳴が風に乗って届く。
「なぁ……どうしたよ? 部下の後ろに隠れてないで、出てきたらどうだ?」
「グッ……テミス様……なりません。ここは一度退くべきです」
ルークはハルリトを抱えたテミスを嗤いながら、乗っていた馬を乗り捨てて地面へと着地する。その表情は、強大な力を手に入れたが故の悦びか、不気味なほどに輝いていた。
「ククッ……ククククッ……」
ゴクリ。と。サキュドが喉を鳴らした瞬間。彼女の後ろから、地獄の底から響くような笑い声が漏れ聞こえる。それは紛れも無く、サキュドが仕える主のものではあったが、そこにはサキュドが触れた事も無い程、激烈な怒りが含まれていた。
「なかなか……面白い事を言うじゃあないか」
テミスは馬を降り、駆け寄ってきたハルリトの部下に彼の身を任せると、まるで幽鬼のようにゆらりと立ち上がった。その姿は、そこに居るテミスを知る者誰もを震え上がらせるには十分な姿だった。彼女の美しい顔は醜く見える程歪んだ笑顔を浮かべているにも拘らず、手は青白くなるほど力強く握られている。更には、歪んだ唇から覗く歯は軋む音が聞こえて来るほど食いしばられ、見開かれた目には射竦められるほどの殺意が満ちていた。
「テ……――っ……」
「借り物の力で遊ぶのは……楽しいか?」
傍らのマグヌスがあげかけた言葉を歯牙にもかけず、立ち上がったテミスはそのぎらぎらとした眼光でルークを見据えると問いかけた。この時、テミスの頭の中は自分でも驚くほどクリアだった。人間は怒りが頂点を越えると逆に冷静になるというが、どうやらそれは本当の事らしい。
「アハハッ……負け惜しみか? 『借りてる』んじゃなくて、奪ったんだ。さぞ悔しいだろうなぁ? 自分の物だった力に殺されるのはさぁッ!?」
「……哀れ過ぎて言葉も出んよ。自分が掌で躍っている事にすら気づけん馬鹿にはな」
テミスは静かにそう告げると、目を閉じてゆっくりと握られていた拳を開く。ここまではおおむね計画通りだ。コイツを誘い出す事もできたし、あとは――。
「ルーク様ッ! 突出されては――っ! 貴様はッ……」
テミスの手が緩慢な動きで懐へと向かいかけた瞬間。蹄の音と共に白い甲冑を着こんだ一団がルークの元へと駆け付けた。あの見覚えのある童顔小僧は確か……リット・ミュルクと言ったか……。
「やぁ、ミュルク卿。久しいな。フリーディアは壮健か?」
「黙れ! 貴様と交わす言葉など無い!」
テミスが皮肉気な笑みをミュルクに向けると、拒絶の視線と共に激しい言葉が返ってきた。その言葉にテミスは、何故だかわからないが冷え切った心の片隅が微かに暖かさを帯びるのを感じた。
「フッ……そう連れない事を言うものでは無い。お前達立派な騎士殿が皆殺しにしようとした、人間領の住民を救ったのは誰だ? それに、肝心の奴が居ないではないか」
「ッ……お前達が巻き込んだのだろう! そもそもお前達の様な穢れた者さえ居なければ――!!」
薄く笑ったテミスに、怒りに歯を食いしばったミュルクが叫びを上げる。その様子に、テミスは懐に向かいかけた手を宙に構えたまま溜息を吐いた。
「やれやれ。現実も直視できんとはな……過程がどうあれ、お前達があの村の人間を切り捨てたのは揺るがんと言うのに」
「ッ――!! 総員! 抜剣! 奴を捕えるぞ!」
「待てよ」
テミスが言い放つと同時に、顔を赤くしたミュルクが追従してきた数人の騎士に号令をかける。しかし、騎士達がその号令に従う前に、ルークの声がそれを制した。
「お前らさ。本当にコイツを生かしていいと思ってるワケ?」
「っ……ルーク様。それはどう言う……」
号令に即応して臨戦態勢に入った十三軍団に背を向けて、ルークはミュルク達に体を向けると言葉を続けた。
「俺は今まで、懲罰部隊として沢山の冒険者将校を裁いてきたワケだ。そン中でもこいつはとびっきりの悪。魔王軍に寝返った挙句、軍団長にまでなった奴なんて聞いた事もねぇ……」
そう言って一度言葉を切ると、ルークは担いだ大剣を地面に突き立てる。そして深く息を吸い込んだ後、語勢を荒げて叫ぶように言い放った。
「そんな奴を生かしておいて、お前らは正義を語れるのかッ!? 上が道を踏み外しそうなときこそ、正しい道へと導くのが従う者の役目だろうッ!!」
「クハッ……良く言う……」
まるで、正道を説くかの如きルークの言葉に、テミスは思わず噴き出すと呟いた。つい先ほど、罪無き一般人の家屋を切り倒した人間がこの台詞を吐いているのだから、滑稽極まりないにも程がある。そしてこいつは、また舌の根も乾かぬうちに同じ暴虐を繰り返すのだろう。
「っ……それはっ……」
テミス達の目の前で、剣を抜いたミュルクたちの顔が青ざめ、互いに顔を見合わせる。信じられんことに、こんな下種の放つ美麗字句でもこいつ等の心には響いたらしい。数分前にこの男がしでかした暴挙を忘れたのだろうか?
「マグヌス。サキュド」
それを横目で眺めながら、テミスは副官たちの名を短く呼んだ後に命令を下す。
「十三軍団を率いて白翼の連中を食い止めろ。無理に倒す必要は無い。こちらの邪魔はさせるな」
「……承知いたしました」
マグヌス達は命令に応えながら小さく頷くと、テミスの前に並び立つ。フリーディアが居ないのは少し誤算だが、最悪あの馬鹿な騎士共を屠れば片が付くだろう。
「……正当防衛だ。恨んでくれるなよ?」
どうやら無事に洗脳されたのか、目の前で再び抜刀したミュルクたちが敬礼をすると、殺意を向けてこちらに向き直る。正義に酔いしれる奴等には、その後ろで自分たちを眺める嘲笑の顔は、最早眼中にないのだろう。
「行くぞ! 我らが正義を示す時だ!」
「テミス様の意に従え! ハルリトの借りを返すぞ!」
互いに気勢を上げながら、睨み合うテミスとルークの前でマグヌス達が激突する。激しくぶつかり合う剣戟の音と勇猛に猛る声が、まるで音楽のように二人の心を昂らせた。
「ヒヒッ……アハハァ……。じゃあ、俺達も始めるとするか? 軍団長殿?」
「…………そうだな」
再び大剣を肩に担ぎ上げたルークが、舐め回すようにテミスの全身を眺めて嗤い掛ける。それに対してテミスは、ただ静かに人差し指をピクリと動かしただけだった。
10/25 誤字修正しました
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2020/11/23 誤字修正しました




