829話 衛兵の信念
外套の下から姿を現したのは、獣人族の少女だった。
少しくすんだ白い髪は短くまとめられ、獣人族……その中でも猫人族と呼ばれる者達の特徴である、猫のような耳がぴょこりと可愛らしく飛び出ている。
「……何か?」
「い……いやっ! 何でもねぇ。それで嬢ちゃん、手ぶらって訳じゃねぇんだろ? 荷物は?」
「ここに」
「おうよ。っと……武器はその腰に差してるヤツだけかい?」
シズクと名乗った少女の対応をしていた兵士……バニサスは一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに人の好い笑みを浮かべて言葉を続けた。
しかし、目の前に現れたシズクの少女然とした外見も相まってか、その脳裏ではかつてテミスがこの町へと訪れた時の事が不意に浮かび上がってくる。
「はい」
「あ~……ロングソード……ダガー……って感じじゃないよな? 悪いな、嬢ちゃんの武器はこの辺りでも珍しくてな……すまないが武器の名前を教えてくれるか?」
「……打ち刀と脇差です」
「ウチガタナとワキザシ……ね。了解了解」
バニサスの質問に対して、淡々と答えを返すシズクを横目で眺めつつ、バニサスは手元の書類に彼女の持つ武器の形や特徴を事細かに記し、最後にその名を書き留めた。
そういえば、あの日もこんな良く晴れた日だった気がする。
フラリと現れたかと思えば、この嬢ちゃんみたいにキラキラした目で町を見上げていて。
「それが今じゃ町の救世主様ってんだから……見かけによらんものだよな……」
ボソリ。と。
書類を書き終えたバニサスは呟くように内心を零すと、目の前で涼やかな顔をして立つ滴へと視線を向けた。
これで、このシズクという少女がファントの町へと立ち入る書類は全て揃った。だが、ここから先の判断こそ、門番たる仕事の真髄だとバニサスは考えている。
「滞在証の準備をしてくるから、少しだけ待っていてくれな」
バニサスは気を引き締めながらシズクへと声をかけると、彼女がコクリと小さく頷くのを確かめてから背を向け、傍らに設えられているカウンターへと歩み寄っていく。
先日、テミスから発された指示では、獣人族の者がファントへ訪れた場合、即座に黒銀騎団へと報告をあげなければならない。
こんな指示が出る理由なんかは、しがない衛兵であるバニサスまで知らされる事は無いが、それがこの少女にとって面白くない事なのは間違いない無いだろう。
「ンム……むぅぅ……」
「バニサスさん。良いんですか? アレ、獣人族でしょ?」
そんな事を考えながら、バニサスがカウンターの中にある滞在証の束を弄りまわしていると、駆け寄ってきた同僚の衛兵が耳打ちをしてくる。
その目は既に、シズクを『敵』だと断定しており、全身から漲る緊張感がそれを色濃く物語っていた。
咄嗟にバニサスがシズクへと視線を向けると、そこではピンと立てられた彼女の猫耳が何かを物語るかのようにパタパタと揺れている。
「お客サンにそういう言い方は止せ……。ひとまず、お前は指示通り報告に走ってくれ」
「わかりました」
カリカリと後頭部を掻きながらバニサスがそう指示を出すと、同僚の衛兵はまるで重大な任務でも告げられたかのような気迫で一つ頷くと、即座にバニサスの元から駆け出していく。
「ハァ~……やれやれ。なぁんもわかっちゃいねぇなアイツ……」
バニサスはその姿を見て深くため息を吐くと、今度は弄りまわしていた束の中から一枚の滞在証を取り出して手元で弄び始める。
このシズクと名乗った獣人族の少女がただ者でない事は、既にバニサスは直感していた。
そもそも、あのテミスを彷彿とさせる事自体が異質なのだ。それはたったの一言、ただ会話を交わしただけで装置の存在を察したり、携えている武器の発するただならぬ雰囲気など、シズクの一挙手一投足がそれを示している。
だが同時に、ファントの町を見上げて目を輝かせたり、胸を躍らせている様子に邪気は無く、シズクがテミスの警戒するような悪しき者だとはバニサスには到底思えなかった。
「……うっし!!」
バニサスは大きく息を吸い込んだ後、手で弄んでいた滞在証を握り込むと、その拳をバシリと自らの掌へと叩きつけて声をあげる。
少々横紙破りな方法かもしれないが、テミスにはその目で確かめて貰うとしよう。
通達された命令と衛兵の信念。バニサスは拳を打ち付けると同時に、その間で彷徨っていた自らの心を定め、ニッコリと笑みを浮かべてシズクの元へと戻った。
「あいよっ! この町への滞在を許可する。これが、滞在許可証だ。失くさないように首から下げておくといい」
「……ありがとうございます。てっきり、門前払いをされるかと思いましたが」
「ハハ……すまんね。今、その辺りが少し面倒なんだ。って訳で、イヤな気分にさせちまった罪滅ぼしと町の案内を兼て、店を一件紹介させてくれ」
「…………。……わかりました。よろしくお願いします」
素っ気ないシズクの言葉に、バニサスは頬を引きつらせながら必死で言葉を紡ぎ出すと、努めてにこやかな笑みを浮かべて片手をシズクの前へと差し出した。
すると、シズクは差し出されたその手を数秒じっくりと見つめた後、小さなため息と共にコクリと頷いたのだった。




