827話 三つの意志
「さて……各自、状況は理解したな?」
静かなテミスの声が、執務室の中に響き渡る。
リョースが詰め所を辞した後。
テミスはフリーディアを連れたまま即座にマグヌスとサキュドを呼集すると、リョースからもたらされた情報を語り聞かせた。
以前に届けられたオヴィムからの報せと組み合わせて考えれば、リョースの言うこのはぐれ魔族の集団とやらは、ギルファーの手の者である可能性が高い。
「ハッ……! 町の警戒態勢を戦時級にまで引き上げましょう!!」
「何よそんなまどろっこしい。北から来る事がわかっているのなら、こっちから出向いて潰しちゃえばイイじゃない」
「っ……!! 待って下さい!! 二人共それでは性急に過ぎます!」
説明を終えたテミスが確認を取ると、眼前に並んだ三人は三様の方策を導き出し、互いにその意見を戦い合わせ始める。
「そうは言うがサキュド。情報が足りなさ過ぎる。狩ったは良いが、無実の者だったなどという事は許されんのだぞ!!」
「だから出向くって言ってるんでしょ? アンタはいつも大袈裟なのよ。アタシに十人でも斥候を預けてくれればそれで済む話だわ」
「戯言を。それはお前が遊びたいだけだろう。抜き差しならぬ戦場ならば兎も角、平時にそのような危険を冒す愚もあるまい。備えて迎え撃つが吉だ!」
「お二人共ッ!!!」
「ッ……!!」
「――!? なによ! 急に叫んで……」
ただ一人、フリーディアを置き去りにしてヒートアップしていく二人に、フリーディアは大きく息を吸い込んで叫び声を上げ、口論を繰り広げる二人の間に割って入った。
言葉と共に放たれたそのあまりの剣幕に、さしもの二人も気圧されて口を噤み、フリーディアへと視線を向ける。
すると、フリーディアは力強い光をその目に宿して、真正面から二人を見据えながら口を開いた。
「マグヌスさん。警戒態勢を戦時級に引き上げると言いましたが、それは現実的ですか? いたずらに市井の人々の不安を煽り、兵達を疲弊させるだけでは?」
「ムッ……!? で……ですが……」
「そうよ。無駄よ無駄」
「サキュドさんもです。相手の規模も、潜伏場所も、目的もわかっていないのですよ? そもそも、仮にギルファーからファントを目指してやって来るのだとしても、どのような道筋を辿ってくるのかわかるのですか?」
「っ……!! そ……それは斥候に――」
「――たかが十人足らずでそんな広範囲の索敵を? 流石に無茶が過ぎると思います」
「うっ……ぐっ……」
まさに正論。
フリーディアは二人の出した案の欠点を即座に論うと、ぐぅの音も出ない程に真正面から叩き潰した。
その鮮やかさは、辛うじて反論を試みたサキュドでさえも黙らせるほどで。
目の前で繰り広げられるそんなやり取りを眺めながら、テミスは一人胸の内で舌を巻いていた。
「っ……!! だ……だったらどうするってのよ!! アンタはさっきからアタシ達の案を否定してばかりだけど、マトモに意見も出していないじゃない!」
「……確かに。我等の案を否とするならば、代替案を御聞かせ願いたい」
そして、数秒の沈黙の後。
表情を苦し気に歪めながらサキュドが言い放つと、マグヌスが大きく頷きながらその意見に同調する。
だが、フリーディアはその顔に余裕の微笑みすら浮かべ、二人の言に応ずるようにコクリと頷くと、その身体をテミスへと向けて問いかけた。
「ねぇ、テミス? 今回の件……動く必要はあるのかしら?」
「なっ……!?」
「ハァッ!?」
その問いに、傍らの二人は驚きの表情を浮かべるが、テミスは黙したままフリーディアにニヤリと微笑みかけると、無言で続きを促してみせる。
「今回、リョースさん……もとい魔王軍からもたらされたのは要請ではなく警告だわ。そして被害が出たのもあくまで魔王領。ファントの住民ではないわ」
「ま……待たれよ!! 些かそれは……何と言うか、フリーディア殿の……騎士団の意思に反するのでは?」
「ハッ……結局、なんだかんだ言いながら口だけって事でしょ。良いじゃない……ようやく自分の分ってのを弁えた訳?」
「……サキュド」
「っ……!! も……申し訳ありません……」
フリーディアが息を吐いた時、その言葉を遮ってマグヌスが口を挟む。
同時に、サキュドがそれに乗じて一線を超えた皮肉を口にしたため、テミスが僅かな怒りを込めてその名を呼んで窘める。
「……続けましょう。その存在を知った以上、討伐はしないまでも魔王軍が放置するとは思えないわ。それこそ、下手に首を突っ込めば私達も巻き添えになる」
「ならば……どうする?」
「だから、何もしないのよ。そもそも、そのはぐれ魔族たちがファントを害するかもまだわからない。情報を共有して注意勧告程度は必要でしょうけれど、討伐隊を編成したり、警備体制を変える必要は無いと思うわ」
「フ……まぁ……及第点……か……」
テミスの問いかけに対し、フリーディアは自信に満ちた表情を浮かべると、胸を張って答えを口にした。
それに対して、テミスはニヤリと頬を歪めると、小さな声でボソリと呟いた。
要するに、根本は彼女の信奉する『信じる心』とやらに起因するのだろうが、今回ばかりに限ってはあながち的外れではない。
マグヌスの案ではフリーディアの言う通りコストがかかり過ぎるし、サキュドの案は不確実に過ぎるのだ。
しかし、フリーディアの言う通りに何もしなければ、後手に回りこの町の住人にも少なくない被害が出るだろう。
「……本当はあまり、こういうやり口は好きでは無いのだがな。反論があれば後で聞こう」
そう前置きをすると、テミスは不敵な笑みを浮かべて眼前の三人を見渡した後、既に自らの内で定めていた方策を告げたのだった。




