826話 意外な来訪者
更なる一報が、意外な形でテミスたちの元へと届いたのは、オヴィムからの報せを受けたファントの町が密かに警戒態勢に入ってから数日経った頃だった。
「邪魔をする」
カチャリ。と。
静かな男の声がそう告げた後、テミス達の待つ応接室の戸を開けて、一人の男が姿を現した。
その男の名はリョース。魔王軍にて第三軍団長を務める豪傑であり、その忠誠心の深さから、魔王であるギルティアの右腕とも称される男だ。
そんなリョースに対して、テミスは皮肉気な笑みを顔いっぱいに浮かべると、自らは椅子に腰を掛けたまま、用意した椅子を片腕で示して口を開く。
「これはこれはリョース殿。こうしてお会いするのは、会談の時以来ですかな? 供の者も連れずに急な訪問とは……我々も驚きましたよ」
「っ……。そちらは、相変わらずといった様子だな?」
「えぇ。つつがなく。血煙の香る最前線が、不仲な二国との板挟みに変わっただけですので」
「ハァ……」
挑発と皮肉がふんだんに込められたテミスの言葉に、リョースはピクリと眉を跳ねさせるも、態度を変える事無く示された椅子へと向かい、腰を下ろしながら言葉を交わす。
そんなテミスの傍らで、黙したまま成り行きを見守っていたフリーディアは、小さくため息を吐くと密かに胸を撫で下ろしていた。
今、テミスは魔王軍の軍団長を相手に、盛大なはったりを張っているのだ。
今日までの鍛練によりある程度は戦えるようになったものの、それでも今のテミスの戦力は全盛期のそれとは比べるべくもない。
だからこそ、いつにも増した横柄な態度と皮肉で虚飾を施し、さも万全であるかのごとく振舞っているのだ。
「フッ……壮健なようで何よりだ。……だが」
だが、リョースは言葉と共に静かに目を瞑り、フッ……と小さな笑みを口元に浮かべた後、ギラリと目を見開いて言葉を続ける。
「あまりそう邪険にするな。私は今……ただのリョースとして、かつての同胞であるお前に会いに来ているのだからな」
「っ……! フン。かつての同胞ときたか……堅物のお前の事だ、てっきり私は魔王城での一件で、さぞ怨まれていると思っていたのだが?」
「そんな事を気にしていたのか? お前にも存外……可愛らしい所があるらしい」
「なっ……かわっ!?」
更に言葉を交わすこと数度。
ニヤリと頬を歪めたリョースによって放たれた一言によって、この舌戦の軍配はリョースに上げられた。
一方。不意を突かれたテミスはその顔を真っ赤に染め、ギリギリと歯を食いしばって不敵な笑みを浮かべるリョースを睨み付けている。
「フフ……ただの意趣返しだ。さて……こういった場で名乗るのは初めてだったな。私はリョース・アヴール。そこで茹であがっているテミスの元同胞だ」
しかし、リョースは面白がるように喉を鳴らした後、テミスの傍らに立つフリーディアへと視線を移し、穏やかな口調で名乗りを上げた。
その柔らかな表情はとても優し気で、水を向けられたフリーディアが心の内に抱いていた緊張が、穏やかに解きほぐれていく。
「お気遣い、ありがとうございます。私はフリーディア。白翼騎士団の団長にして、今はテミスと共にこのファントの町を守っています」
「ウム……。素晴らしい街だ。町はよく栄え、人々の顔には笑顔と希望が満ちている」
「はい。私の……いえ、テミスの自慢の町です」
リョースとフリーディアは互いに名乗りを終えると、柔和な笑みを交えながら言葉を交わす。
その間に、羞恥と屈辱で茹ったテミスの頭が正常を取り戻し、テミスは未だ僅かに赤みの残る頬で口を挟む。
「わかった悪かった。無礼については謝ろう。だが……何があった? お前ほどの男が、よもや物見遊山に来たわけではあるまい?」
「無論だ」
「……っ!!」
テミスがリョースへとそう声をかけた瞬間。
柔和な笑みを浮かべてフリーディアと語らっていたリョースは表情を変え、鋭い視線をテミスへと向けた。
同時に、テミスの一言によって場の空気が切り替わった事を察したフリーディアもまた、小さく息を呑んで気を引き締める。
「先日。北方にて冒険者を装ったはぐれ魔族の一団が確認された」
「フム……? それだけでは、だから何だとしか言えんな。我々にそいつらの討伐でも依頼しに来たのか?」
「いや……警告だ。冒険者を装ったと言ったはずだ。連中、恐らくただのはぐれではあるまい。道中で略奪を繰り返しながら、この町を目指しているようだ」
「なる……ほど……? だが被害が出ているのは魔王領……連中の狙いがファントだと……しても……っ!! まさかッッ!?」
固くなった空気の中、テミスは唐突に言葉を切って考え込んだ後、ガタリと派手な音を立てて立ち上がる。
ギルティアに深い忠義を誓うリョースが、個人としてこの場に居る意味……。それに気付いた瞬間、テミスはリョースの真なる用件を直感した。
「ウム……訳あって魔王軍は今回の件に手出しができん。連中の戦力を鑑みれば、生半な兵を送った所で返り討ちに合うだけだ」
そして重苦しい声で続けられたリョースの言葉に、テミスは自らの直感が確信へと変わっていくのを感じた。
そう。リョースが個人的にファントを訪ねたのはあくまでも表面上の話。
何らかの事情で魔王軍が動けぬが故に。あくまでもリョース個人の警告として、賊の存在をファントに報せたのだろう。
「チッ……それで? そのはぐれとやらの特徴は?」
「……詳しくは判らん。ただ連中は皆、獣人族だったらしい」
舌打ちと共に投げかけられたテミスの問いに、リョースは僅かに俯いて静かな声でそう告げたのだった。




