822話 輝く資質
中庭の片隅。
そこは、テミスが鍛練を行う専用の場所であることは、最早この詰所に居る白翼騎士団や黒銀騎団の者達にとっては暗黙の了解となっていた。
足を踏み入れる事が許されるのは、テミスに呼ばれた者と緊急時のみ。
そんな見えざる献身によって形作られた静謐な空間には今、ぴしりと張り詰めた緊張感が漂っていた。
「では……行くぞ……」
「えぇ。いつでも」
太陽の光を受けて白銀に輝く剣と、漆黒に輝く二振りの剣。フリーディアとテミスは互いに剣を構えたまま、軽い距離を取って向かい合っていた。
今日は、テミスがフリーディアに剣を教わりはじめてからちょうど十日目。節目とも言えるこの日、フリーディアはテストを兼ねた立ち合いの場を用意したのだ。
「フッ……!!」
「っ……!!」
悠然と構えたまま佇むフリーディアに、テミスは短く息を吐くと一気に踏み込んだ。
その踏み込みは大剣を扱っていた時に比べれば遥かに緩やかなものだったが、テミスがフリーディアから剣を習い始める前よりは鋭く、眼前で待ち構えるフリーディアの瞳に力が籠る。
「セェッ……!!」
「っ……!」
そして繰り出された第一撃。
それはあまりに素直過ぎる攻撃だった。
真正面から真っ直ぐに突撃していって、ただ振りかぶった剣を振り下ろす。力任せに戦っていた頃と何ら変わらぬその一撃に、フリーディアは僅かに表情を曇らせ、放たれた斬撃を受け止めるべく剣を打ち合わせる。
「ハッ……」
「……!!!」
刹那。
真剣そのものといった様子で真一文字に結ばれていたテミスの唇が大きく吊り上がり、フリーディアの背をピリピリとした危機感が焦がした。
フリーディアはその危機感の正体と、テミスという人間の凄まじさを心の底から思い知ることになった。
シャリン……。と。
打ち合わせたはずの剣が奏でた音は、微かに金属を擦り合わせたかのような僅かな音で、その後に襲ってくる筈の衝撃も、いつまで経っても訪れる事はない。
「ククッ……」
「っ~~~!!」
それもその筈。
斬撃を受けるべく構えを取ったフリーディアの目の前で、ヒラリとテミスの身体が軽やかに回った。
回転するテミスの身体に合わせて、長い白銀の髪が躍るように舞い上がったその直後。
視界の端から横薙ぎに漆黒の剣迫り来るのを捉えた瞬間。瞬時にガードが間に合わない事を判断したフリーディアは、漆黒の刃を躱すべく全力で自らの態勢を低く沈める。
「っ……!!」
その結果。
ジャリィィィィンッ!!! と。
テミスの放った横薙ぎの斬撃は、身を屈めたフリーディアの頭上に構えられた剣の刀身に沿って、火花を散らしながら通り過ぎた。そしてフリーディアの目の前には、がら空きになったテミスの胴が晒されている。
「まだまだ……ねっ!!」
そう告げると共に、フリーディアは自らの頭上に寝かせるようにして構えていた剣に力を籠め、無防備に晒されているテミスの胴へ向かって打ち込んだ。
動きは上々。とにかく力を籠めるだけだった以前に比べ、余分な力も抜けている。それどころか、それらを生かしたフェイントまでこうして織り交ぜる等、テミスの成長はまともに剣を習い始めてから十日などとは思えない程に目覚ましい。
だが、しかし。
戦場に身を置いた経験があるとはいえ、テミスが剣術を学んだのはたかだか十日。それだけで越えられるほど、フリーディアが積み重ねて来たものは甘くはない。
「……。チッ……」
ぽすり。と。
柔らかな音を立ててフリーディアの振るった刀身の腹が、テミスの脇腹に当たった。
それと同時にフリーディアの頭上から、この十日間何度も耳にしたテミスの悔し気な舌打ちが聞こえてくる。
「フフッ……流石にまだ一本は取らせないわよ。でも、良い一撃だったと思うわ?」
「フン……易々と躱しておいて何を言うか……」
テミスの腹に当てた剣を下し、立ち上がりながら語り掛けるフリーディアに、テミスは拗ねたように鼻を鳴らしてそっぽを向きながら言葉を返す。
この十日間。フリーディアに教えられた基礎の動きを取り入れ、かつそれらの全てを欺けるはずの攻撃だった。
完全に決まらなくとも、フリーディアを退かせる事くらいは出来ると思っていた。
「そんな事は無いわ。紙一重よ。完全に受けに回らず、打ち合っていたら危なかったわ」
だがそんなテミスに対して、フリーディアは素直な賞賛を口にする。
同時にフリーディアは、どこか背筋に走る高揚に似た恐怖を感じていた。
テミスの剣は正道ではない。だけど、力で打ち合う事を避けるべき今の状態は、かえって彼女の剣は鋭さを増している。
今の一撃だってそうだ。
馬鹿正直に振り下ろされた単純な一撃。だけど恐らく、あれは振り下ろしてなお続く一種の構えなのだろう。
今のように受けに回れば、その守りを嘲笑うような一撃が叩き込まれ、打ち合えばきっと剣をいなされて二の太刀が放たれたはずだ。
「慰めは止せ。それで……次はどうするんだ?」
「そうね……とりあえず、今まで教えた動きを素振りしましょうか」
「ハァ……了解……」
剣を手にしたまま、ガシガシと頭を掻きながら問いかけるテミスに、フリーディアがにっこりと笑顔を浮かべてそう答えると、テミスはため息と共に数歩離れ、言葉通りに素振りを始める。
「私も……負けていられないわね……」
そんなテミスの姿を見ながら、フリーディアは密かにそう呟いたのだった。




