818話 魂の記憶
テミスの鍛練に終わりが見えたのは、空に燦然と輝く太陽が僅かに傾き始めた頃だった。
「……次。最後よ。これ……振ってみて」
「っ……!! ハッ……ハッ……。フリーディア……お前……」
大振りな片刃の曲刀での素振りを終えたテミスに歩み寄ったフリーディアが、静かな声でそう告げると、自らの腰から己の剣を抜き取ってテミスへと差し出していた。
差し出されたその剣は、一目見ただけでも使い込まれてはいたもののとても美しく、彼女の思い入れの強さが伺える。
「構わないわ。……信じているもの」
「…………。そうか」
カチャリ。と。
静かながらも力強い言葉でそう告げたフリーディアにテミスは小さく頷いた後、差し出された剣を受け取った。
その瞬間。テミスは自らの心の内が、妙にざわついたのを自覚する。
それもその筈だ。今、私の手の内には、フリーディアが己の命を預ける剣が握られているのだ。
つまり、今のフリーディアは丸腰も同然。周囲に武器こそあるものの、奴が最も信を置く剣は、私の手の内に在る。
「…………」
静かに。そしてゆっくりと。
テミスは受け取って剣をスラリと鞘から抜き放ち、傾き始めた夕日に翳して目を見張った。
刀身の長さはだいたい一メートル程だろうか。ショートソードよりは長く、ロングソードよりは短い。勿論、テミスが普段振るっている身の丈程の刀身を持つ大剣よりは遥かに短かった。
しかし、その小ぶりとも言える大きさに反して、テミスの手にのしかかる重さはずっしりと重く、それは最早迫力すら醸し出すこの剣が名剣の類である確かな証拠だった。
「……凄いな」
「そう……?」
「あぁ……本当に凄い……」
思わず呟きを漏らしたテミスの言葉に、フリーディアは何処か嬉しそうに頬を染め、蚊の鳴くように小さな声で言葉を返す。だが、それに対してテミスはゆっくりと深く頷くと、ただ噛み締めるように同じ賛辞を繰り返した。
――美しい。
心が惹かれるというのは、まさにこういう事を言うのだろう。
この隅々まで手入れの行き届いた剣こそが、フリーディアと共に数多の戦場を駆け、彼女が想いを乗せて振るった刃なのだ。
「クク……」
暫くの間、テミスはフリーディアの剣をじっくりと眺めた後、自然な動きでその柄を両手で握り締めた。
そして、テミスは皮肉気に唇を吊り上げると、自嘲気味に胸の中でひとりごちる。
よもや、このような手段でフリーディアの事を認めさせられる日が来るとは思わなかった。
先程、思わず零した言葉は、ただこの剣へと向けられたものでは無い。
確かに、この剣は凄い物だ。だが真に凄いのは、この剣を自在に操るフリーディアの方だろう。
こうして手に取ってみて初めてわかる。
これ程の重量を持つこの剣を、閃光の如き迅さで振るうフリーディアの凄まじさが。
先程だってそうだ。フリーディアは片手で操るこの剣の切っ先を、私の首元で寸分たがわずにピタリと止めて見せた。
そんな離れ業など、今の私にはできるはずも無い。
「スゥッ……」
「――っ!」
テミスが小さく息を吸い込んだ瞬間。両手で剣を構えたテミスの背筋がピシリと伸び、揺れていたその双眸が、剣の切っ先の先を静かに見据える。
その途端、傍らで様子を見ているフリーディアですら感じ取れるほどに、テミスがその身に纏う空気が一変した。
そして……。
「……ハッ!!」
一閃。
テミスの構えた剣の切っ先が、揺らめくように僅かに動いた瞬間だった。
爆発するように放たれたテミスの気合と共に剣が振るわれ、フリーディアはまるで事前にかく在るべしと定められているかのように美しいその動きに目を奪われた。
「フゥゥゥッ……」
だが、それだけで終わりでは無かった。
頭上から真下へ、真一文字に振るわれた剣は即座にテミスの身体へと引き戻され、今度は下段の構えとなって無駄のない動きで再び構えられる。
次の瞬間。
「……ッ!!」
今度は、横に一閃。
剣を振るった時に発する声も無く、吐く息の音と剣が空気を裂く音のみが周囲に響き渡った。
その動きも、まるで何かに定められたかの如く整っていて、それを見つめるフリーディアに、まるで美しい宝石や刀剣を見たかのような、言い知れぬ感情を思い起こさせていた。
「…………」
そして訪れた静寂の中。
テミスは静かに構えを解くと、ゆったりとした動きで手にしていた剣を鞘へと戻す。
酷く懐かしい感覚だった。
手渡された剣の大きさが酷似していた事もあったのだろう。
役に立たぬ剣を棄て、銃の訓練へと没頭した。だから、かつて覚えた『型』なんてとうの昔に忘れたものだと……そう思っていた。
否。もう、型なんて覚えてなんかいない。
この身体が……魂が覚えているのはただ、ひたすらに剣を……木刀を振り続けた記憶だけ。
「フ……。どうだ? フリーディア」
暫くの沈黙の後。
テミスは自身に満ちた笑みを浮かべながら、鞘に納めた剣をフリーディアへ差し出しながらそう問いかけたのだった。




