809話 虚無の焦り
ひゅぉぉぉ……。と。
その威力に誰もが絶句し、静まり返った詰所の戸口に一陣の風が吹き込んだ。
しかし、それでも尚、身体を凍り付かせた者達の呪縛が解ける事は無く、破壊された戸口には鈍重な沈黙が漂っていた。
「っ……!!!」
そんな中。
テミスもまた、周囲の者たちと同じように、反射的に大剣を跳ね上げた格好のまま、己の放った斬撃のあまりの威力に、言葉を失って立ち竦んでいた。
どう見ても異常な威力だ。
確かに今の私にとって、ミュルクのような未熟者一人如きを弾き飛ばす程度であれば造作も無い事だ。
だが、この斬撃はそれだけではない。
恐らく、ただ振り上げただけの剣が巻き起こした剣圧のせいなのだろう。中庭に立つ兵達が無事な所を見ると、その威力は月光斬には遠く及ばないものの、繰り出した斬撃の余波だけで詰所の扉は破壊されている。
そんな威力の斬撃など、テミスはこれまで意識したとて一度たりとも繰り出す事はできなかった。
「どうしたのッ!? 何があったのッ?」
「っ……!!! いかんッ!!! 治療できる者を呼べッ!!」
あまりの事態に凍り付いたテミスと、事態を見物していた者達の呪縛を解いたのは、叫び声とともに姿を現したフリーディアの存在だった。
テミスはその声を聴いた瞬間に我を取り戻して叫びをあげ、周囲の者達は一瞬遅れてフリーディアの姿を視界に収めてから一斉に動き始めた。
「クッ……!! 大馬鹿がッ!!」
直後。
テミスは振り上げたままだった大剣を放り出すと、自らが破壊した戸口を潜って矢のような速度で中庭へと飛び出す。
斬りかかってくる斬撃に対する応撃、しかも下段から軽く払う程度に放たれた一撃だ……どうあがいた所で、直撃は免れないだろう。
「せめて……生きていろよッ……!!!」
斬撃の威力に吹き飛ばされ、転がったミュルクが巻き上げたのだろう。
恐れていた最悪の事態が起こった……。テミスは胸の中でそう歯噛みしながら、薄く舞い上がった土煙の中で祈るように呟きを漏らす。
事故だとはいえ、ミュルクの分を遥かに越えた一撃を叩き込んでしまったのだ。この際、五体満足だなどと贅沢は言わない。
せめて、生きてさえいれば……。まだ、奴の飼い主であるフリーディアに申し訳が立つ筈だ。
「ミュルクッ!! リット・ミュルクッ!!!」
数秒と経たぬ間に、中庭を駆け抜けたテミスは視線の先で手足を投げ出して地面に転がる人影を目視すると、必死の思いでその名を呼んで足を速めた。
周囲の目があるとはいえ、今この瞬間ならばまだ、たとえ腰と胸が泣き分かれていたとしても、この能力で多少なりとも治療を施す事ができるだろう。
だが……。
「っ――!?」
「ぅっ……ぁ……」
地面に転がるミュルクの傍らへ辿り着いたテミスの視界に入ったのは、全くもって予想だにしない光景だった。
まず真っ先にテミスを驚かせたのは、胴斬りにされているどころか、手足も全て揃った状態でうめき声をあげているミュルクの姿だ。
流石に意識こそ失ってはいるものの、辺りを染めるような出血も無い。だが、ミュルクが折れ曲がった腕の先に握り締めている剣が中程から無残に折れている。
そして、彼が着込んでいた純白の甲冑は、深々と刻まれた斬撃の跡に沿って酷くひしゃげており、見るも無残な姿を曝していた。
だが、つい先ほど己が放った一撃の威力を知っているからこそ、テミスは眼前に広がる光景に更に頭を混乱させる。
「無……事……? 誰かが庇ったのか? いや、そんな暇は無かったはずだ……。ならば何故……?」
「テミス!!」
「っ……!」
そこへテミスの背を追うようにして、数人の兵を連れたフリーディアが真っ青な顔で駆け寄って叫びをあげる。
「容体はッ!?」
「すまな――えっ……?」
「話は後! 状況は聞いたわ! 軽くだけど! っ……! あなた達は応急手当をしたらすぐにミュルクを病院へ運んであげて」
「は……はいっ!」
同時に、ビクリと肩を震わせたテミスが謝罪を口にしかけるが、フリーディアはそんなテミスを押し退けるようにしてミュルクの状態を確認すると、即座に随伴して来た兵達へと鋭い口調で指示を飛ばした。
その後、フリーディアは兵達の手によって手早く処置を施されるミュルクを確認すると、その傍らで立ち尽くしていたテミスに微笑と共に視線を向けて口を開いたのだった。
「とりあえず、致命傷では無さそうね……。良かったわねテミス? リックが勤勉で」




