799話 戦友の意地
バサリ。と。
テミスは皮肉気な笑みを満面に浮かべた後、まるで見せ付けるかのようにその背の翼をはばたき、フワリと一メートル程浮き上がってフリーディアを見下ろした。
「っ……!!!!」
しかしその眼下では、ぎしりと固く歯を食いしばったフリーディアが、怒りに燃える瞳でテミスを睨み付けている。
そして、固く握り締めた剣を跳ね上げて宙を斬ると、テミスを睨み上げたまま叫びをあげた。
「何よそれ……さっきから黙って聞いていれば、自分の事を化け物化け物って……自惚れるんじゃないわよッッ!!」
「自惚れる……? 私が?」
「えぇ! たかだか羽根を生やしたくらいで何様よ? 羽根ならサキュドさんにだって生えているわ? それとも何かしら? 今度はサキュドさんも化け物呼ばわりする?」
「っ……!!」
言葉を紡ぎながら、フリーディアはゆっくりと前へと歩を進めるが、言葉に詰まるテミスからは一瞬たりとも視線を逸らさずに睨み付けていた。
フリーディアが歩を進める度にその角度はどんどんと見上げる程に変わっていき、終いにはほぼ真上を見上げるような格好になりながらも、勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「そんなに自分は特別だって思いたいのかしら? 化け物だなんて蔑んでまで? 冗談じゃないわ!! 私は一度たりとも、化け物を戦友だと思った事は無い!!」
「ハッ……安い挑発だ。事実、空を飛べぬお前が私に勝つ術は無い」
「そう……」
鋭く言い放ったフリーディアの言葉を、テミスは一笑に伏した後、口角を吊り上げたまま彼女を見下ろしていた視線を外し、標的であるブライトを探して周囲に視線を走らせる。
これ以上、フリーディアの駄々に付き合ってやる義理も無い。一撃の威力はこちらが勝っているのだ、クラウスが力尽きた以上、フリーディアに空を駆ける私がブライトを狙った所で、阻む事はできないだろう。
そう考えたテミスの視線が、地面に尻もちをついたまま自らを見上げるブライトの姿を捉え、翼をはためかせようとした瞬間だった。
「――っ!?」
どすん。と。
テミスは自らの背中に何かが衝突するかのような鈍い衝撃を覚えた後、自らの身体が急激に重くなった感覚に陥った。
否。
私が重くなったのではない。誰かが私の背に……。
「舐めないで欲しいわ。行かせる訳……無いじゃないッッ!!!」
「フリーディアッ……!?」
何者かが自分の背にしがみついている。テミスがそう知覚すると同時に、目を爛々と光らせたフリーディアがテミスの背から首へと腕を回し、片腕でその背へと自らの体を固定する。
そして、空いた片手で腰に収めていた剣を抜き放つと、空中でもがくテミスを無視して高々と振り上げた。
「この翼が貴女をおかしくしているのかしら? なら捥いであげましょう!!」
「馬鹿が!! 止め――」
フリーディアは瞳をぎらつかせてそう宣言するや否や、テミスの叫びを無視して振り上げた剣をその背の片翼へと目がけて振り下ろした。
白刃は小気味の良い風切り音を立てて空を裂き、テミスの片翼を根元から斬り落とす。
すると、両断された翼はキラキラと淡い光となって中空に消え、同時に支えを失ったテミス達の身体が地面へと向けて落下を始める。
「――ろ!! あ……? う……わあああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!?」
テミスは悲鳴を上げながらも、残った片翼をはためかせるがその効果は無く、その身に黙ったまましがみつくフリーディアと共に錐もみしながら地面へと落下した。
「ガ……ァッ……!!」
「っ……!!!」
テミスとフリーディアは共に地面に叩きつけられると、その衝撃に耐え切れず、テミスに組み付いていたフリーディアは身体を弾ませて拘束を解いた。
同時にテミスも、地面に叩きつけられただけではない衝撃が身体を駆け抜ける感覚を味わっていた。
そもそも、アーサーと戦ったあの時の姿を模して魔力で作り上げたこの翼に痛覚は無い。
だというのに、片翼を失った影響なのかあれ程平坦に凪いでいた心にはふつふつと怒りが沸き立ち、正義を成す為に己が平穏をかなぐり捨てると固めていた覚悟にヒビが入る。
「フ……フフ……これで貴女はもう飛べないわ。さぁ……剣を構えなさいテミス」
「っ……!!!」
「私は知っている。貴女が必死で己が力を御そうと努力した日々を。だから私は胸を張って……確信を持って言える。貴女は化け物なんかじゃない」
「黙れ。お前なんかに何が分かる。夢のような未来を語る事しかできないお前になど!!」
よろめきながらも微笑みを浮かべ、立ち上がるフリーディアに対し、テミスはギリギリと歯を食いしばりながら咆哮し、その怒りを叩きつけるように地面に剣を突き立てて立ち上がった。
そうだ。右と左を同時に見る事ができないように、二つの相反する望みを叶える事はできない。
だからこそ私は……自らの望みを叶える事を選んだというのにッ!!
「どんな夢でも、希望でも、語らなければ決して叶わない。手を伸ばさなければ掴み取る事はできないわ」
「馬鹿馬鹿しいッ!! 悪人の幸福など認めるものか……犯した罪をその身に刻み込み、絶望と後悔の底に落ちる事だけが!! 唯一無二の罰なのだ!!! そんな私……が……ッッ!!」
バキリ。と。
テミスは紡ぎかけた言葉を噛み砕くように歯を固く食いしばると、口を噤んでフリーディアを睨み付ける。
しかし。
「貴女の望みなんて今はどうでも良いわ。私は貴女も護ってみせると誓ったの。さて、空を飛ぶ翼は捥いだ。なら後は、人間の私が貴女に勝てば……テミス、貴女は正真正銘の人間よね?」
フリーディアはテミスの視線を真正面から受け止めると、柔らかく微笑んで剣を構えたのだった。




