795話 歪んだ天使
「ッ……フリーディア貴様何を――」
「――五月蠅いッッ!! 黙りなさいこの愚か者ッッッ!!!」
ブライトが凄まじい気迫で咆哮したフリーディアに口を開いた瞬間。フリーディアはブライトが言葉を紡ぎ終わる前に一喝した。
その怒声は、ブライトの命令によって周囲で武器を構えた兵士たちをも圧倒し、彼等に応ずるべく大剣を持ち上げかけたテミスも動きを止める。
「何だとッ!! 貴様誰に口を利いているッ!!」
「アナタよブライトッ!! いくら壊滅的に察しの悪い貴方でも、今戦い続ける事の愚かさくらいわかるでしょう!?」
「ふざっ……ふざけるなぁッ!! お前は私に……この私に死ねというのかッ!!」
「フフッ……なら逆に聞こうかしら? 彼等をテミスにぶつけて、どれ程の時間が稼げるとでも?」
「フリーディア! 貴様! 騎士の誇りは何処へ消えたッ!? 騎士だというのならば、身命を賭して食い止めてみせるくらい言って見せたらどうだッ!!」
「誇り……? おかしなことを言うのね? 私はファントのために戦っている……あなたの配下の彼等とは違って……ね。ブライト。何故、身勝手な理由でファントを攻めたあなたの為に、捨て石にならないといけないのかしら?」
「ぐっ……くくっ……!!」
フリーディアは逆上するブライトに向き直ると、その言葉を全て真正面から叩き切った。
今、私がこうして戦っているのは、テミスの為でも、ブライトの為でも……ましてやロンヴァルディアの為でもない。
ただ、私が信じる真なる平和の為に……。人間も、魔族も……誰もが笑い合って過ごす事のできる世界の為に。
「ハッ……随分と良い趣味になったな? フリーディア」
「…………」
あまりの怒りに頭に血を登らせ、顔を真っ赤にしたブライトが、まるで陸に上がった金魚の如く口を開閉させる姿を見ると、テミスは不敵な笑みを浮かべてフリーディアの背へと言葉を投げかけた。
そして、ゆっくりとフリーディア達の方へ向けて足を踏み出すと、肩に担いだ剣を僅かに浮かせながら言葉を続ける。
「わざわざ自らの命を懸けて救ってまで絶望させたいか……。ククッ……まぁ確かに、気持ちはわからなくもないがな」
一歩、また一歩とテミスはフリーディアの背へと歩み寄り、遂には空いた片手でその動かぬ肩を掴む。
「代われ……あとは私の領分だ。下らん欲目で平穏を脅かしたのだ。無論、覚悟は……出来ているんだろうな?」
「ひっ……ヒィッ……!? ク……クラウス! カレン!!」
「っ……!!!」
テミスはそのままフリーディアの方へと置いた手に力を込めながら、存分に殺意の籠った言葉と視線でブライトを射竦めた。
そんなテミスに怯え切ったブライトが尻もちをつくと、静かにその前へ武器を構えたクラウスが立ちはだかる。
だが……。
「……? フリーディア?」
軽い力を込めてフリーディアの肩を押したテミスの手が、その思い通りに動く事は無かった。
違和感を覚えたテミスが視線を向けるとそこには、拳を固く握り締め、固く歯を食いしばってテミスを睨み付けるフリーディア姿があった。
「……貴女もよテミス」
「なに……?」
パシリ。と。
フリーディアは自らの肩に置かれたテミスの手を振り払うと、静かな声と共にその身を翻してテミスと向き合う。
「いざ口を開けば二言目には殺す、殺す……って。そんな事ではいつまで経っても戦いは終わらないッ!! 平和が訪れる事は無いってどうしてわからないのッ!?」
「来るさ。別に私は政治に興味は無い。攻めて来る馬鹿が居なくなればそれで終わりだ」
「それまでに出る犠牲はッ!? いったいどれだけの命が失われると思って――ッ!?」
「くどい」
小さなため息と共に淡々と言葉を返すテミスに、フリーディアが語気を荒げた時だった。
テミスはピシャリと言葉を制すると、払われた手でフリーディアの胸倉を掴み上げて言葉を続けた。
「何度も言わせるな。お前の囀る綺麗事などどうでもいい。私はただ、反吐の出る悪逆を叩き潰すだけだ」
「っ……!! 平和を……ファントを守るためじゃないと……?」
「あぁ」
「そんな……だってあんなにボロボロになってまで、ファントを守って戦ったじゃない」
「気のせいだ」
「嘘よ!! なら何で……アリーシャに剣を教えたり、これだけ強い貴女が今更、私に頼んでまで基礎的な修行をはじめたのよ!!」
だが、胸倉を掴み上げられて尚、フリーディアは一歩足りとも退く事は無く。むしろその勢いを増して、冷めた態度を取り続けるテミスへと反論する。
「……こんな無茶苦茶な姿になって……無理を押してまで戦うのも全部……。平和なファントの町で、みんなで一緒に笑って暮らす為ではないの?」
「っ……」
フリーディアは真っ直ぐとテミスの瞳を見つめて言葉を紡ぐと、テミスは僅かに肩を揺らして口を噤んだ。
その一瞬の隙に、フリーディアは自らの胸倉を掴むテミスの手を、自らの手で優しく包み込んで言葉を重ねる。
「こんなでもブライトはまだマシな方なのよ。少なくとも、自分達の家や個人の為だけでなく、ロンヴァルディアという国全体の国益のために動いているわ。……彼なりにね」
「…………」
「だから……。だからテミス……貴女の為にも。ファントへ侵攻するという間違いを犯した彼を許して? 皆で笑って暮らせる平和な世界の為に……」
黙り込むテミス似た意思、フリーディアは優しく微笑みかけると、柔らかな口調で言葉を紡ぎ続けた。
その優しく微笑む笑顔はまるで聖母のようで……今のテミスの姿も相まって、次第に二人の姿を見つめる周囲の視線に畏敬の念が混じり始める。
「ハッ……おかしな話だ。フリーディア……何故お前がそんな台詞を口にできる?」
しかしその直後。
テミスは肩に担ぐようにして携えていた大剣をゆらりと持ち上げると、まるで腰の鞘へと剣を納めるような動きで自らの身体とフリーディアの身体の間に刃を差し入れながら言葉を返した。
その顔にはひどく歪んだ薄い笑みが浮かべられており、神々しい雰囲気を醸し出していたその身体から、禍々しい殺気が漏れはじめる。
「お前も……ブライトも……私や冒険者将校という化け物を使って、自分に都合の良い世界を作ろうとしているだけだ」
そして、テミスはフリーディアの耳元へと唇を寄せると、驚愕に目を見開く彼女を突き放すかのように囁いたのだった。




