793話 貴賤なき戦い
再び空へと舞い上がったテミスの視線の先には、既に次なる戦場が映し出されていた。
そこで切り結んでいるのは、クラウスとフリーディア。しかしこの戦場だけは、これまで割って入った二つの戦場とは様子が異なっている。
「フム……どうしたものかな……」
テミスはバサバサとその背の羽根をはためかせると、考え込むように顎に片手を当てて呟きを漏らす。
戦場を縦横無尽に駆け巡りながら切り結ぶ二人の周囲には、それを遠巻きに眺める人間の兵士たちの姿もあった。
そこへ私が斬り込めば恐らく、全員を巻き込んでの血みどろの戦いが始まるだろう。
「クク……それにしてもあの二人……やるじゃないか」
テミスはそう呟いて低く喉を鳴らすと、剣戟の音を打ち鳴らしながら戦う二人へと視線を注いだ。
実に面白い戦いだ。こうして傍から眺めているだけでも、純粋な剣の腕ではあのクラウスとかいう男の方が遥かに勝っている。だというのに、圧倒的に剣の腕で劣っている筈のフリーディアは、まるで未来でも見てきたかの如く剣閃を躱し、受け止め、切り結んでいる。
「……羨ましいよ。フリーディア」
突如。キラキラと黄金の髪をなびかせながら戦うフリーディアの姿を見下ろしながら、テミスはポツリと呟きを零した。
周囲で戦いを見守る連中の様子から見ても、恐らくこの戦いは既に戦争では無いのだろう。
戦争というよりは……決闘。骨肉を削り合い、血と溝泥の中で互いの命を奪い合うのではなく、互いの誇りと信念を懸け、勝敗を決さんとする高潔な戦いだ。
それは紛れもなく、フリーディア自身がこれまで築いてきた歴史の、思いの、志の現れであり、それらを持たぬテミスにとって、彼女の戦いは酷く眩しいものに思えたのだ。
「……。いや……」
そうだ。
確かに、この世界に流れてきた私には歴史など無い。
親も無ければ兄弟親戚も無く、フリーディアのように他者の為に腐心した事も無い。
だが、たった一つ。私も持っているものがあるじゃないか。
「…………」
目の前の誰かが不幸になるのは厭だ。殴られて苦しんでいるのを見るのだって、嘆き悲しんでいるのを見るなんて御免だ。
でも……そんな事よりも。
誰かを不幸のどん底に突き落として、嗤っている奴が嫌いだ。痛いと叫ぶ奴を殴って悦に浸るクズも……嘆きや悲しみを他者に押し付けて、甘い汁を吸っている悪を討ち滅ぼす。
それが、ワタシの生きる意味で……心の底に固く誓ったただ一つの志だ。
「ッ…………」
ニタリ。と。
数秒間の空白の後、テミスはその表情をまるで溶け歪んだ蝋燭のように歪んだ笑みへと変えると、眼下で切り結ぶ二人へ……否。フリーディアと剣を交えるクラウスに視線を向けた。
何が誇りだ。何が信念だ。
平和を希い、安寧を享受するファントへ侵略を仕掛けておいて、どの口でそんなものを語っている?
笑える話じゃないか。自らは盗人にも劣る簒奪を……略奪を、蹂躙を働くべく剣を振り上げた癖に、そんな糞に塗れた手で矜持やら誇りやらを掲げている。
どうせ仕掛けたのだ。クラウスがフリーディアを抑えているうちに、他の連中はさっさと先に進めばよかったものを。
「ン……あれは……」
同時に、テミスは戦いを見守る者達の中に見覚えのある顔を見付けて更に笑みを深めた。
その猛禽のような視線に捉えられたのはブライトだった。今のテミスにとって彼はまさに垂涎の一品。この下らない戦いを仕掛けた諸悪の根源であり、一撃で決着を付ける事のできる大将首でもある。
「グズめ……呆けていろ。これは戦争だ……ッッ!!」
テミスは悪魔のような形相で破顔したまま呟くと、手にした大剣を振りかぶって急降下した。
狙いは勿論、ブライトの命。
ロンヴァルディアを取り仕切る奴をこの場で始末してしまえば、二度と下らんちょっかいをかけてくる気も失せるだろう。
「ムッ――!!」
「ッ――!!」
ギラリ。と。
風切り音と共に猛進するテミスの刃が、その殺意に呼応するように輝いた瞬間。
剣を交える二人の身体がピクリと同時に反応する。しかし、クラウスの目の前にはフリーディアが立ちはだかっており、今更気付いた所でどうする事も出来るはずが無い。
「うわっ――」
「――終わりだよ。侵略者」
ブライトが自らに向けて突っ込んでくるテミスに気が付き、その喉から悲鳴が奏でられる頃には既に、テミスは剣を振りかぶった姿勢でブライトに肉薄していた。
そして、ブライトの身体と交叉する刹那。
テミスはブライトの耳元で一言、囁くように告げた後。その手に携えた大剣を全力で振り抜いたのだった。




