787話 泥沼の死闘
同時刻。
ファントを守る前線の一角では、異様な戦いが繰り広げられていた。
「カハハハハハッッ!! 踊れ踊れェッ!!」
「くっ……!!」
嗜虐的な高笑いと共に、異形の闇ともいうべき存在が姿形を自在に変えてルギウスへと襲い掛かる。
時には棘に、時には半月状の刃に、時には巨大な斧に……形を持たぬ不定形の闇であるが故に、変幻自在に繰り出される攻撃に、ルギウスは大きく跳び下がりながら辛うじて捌いていた。
「悪ィが、さっきの話はもうナシだぜ!! 騙くらかすのも嵌めンのも勝手だが、相手が悪かったなァッッ!!」
その眼前では、ルギウスの攻撃で傷付いた半身を衣のような闇で覆ったアナンが、ギラギラと殺意の籠った眼で闇を操るかの如く、残った片腕を振りかざしている。
戦力は圧倒的。しかし、戦況は拮抗していた。それもその筈。ルギウスとて手傷は負っているものの、アナンはその半身を潰されている。片腕と片足……おそらく、肉体の損傷はそれだけでは留まらないだろう。
その証拠に、先程から続くアナンの繰り出す攻撃の数々は派手でこそあるものの隙が多く、ルギウスはその隙を縫って戦いを続けていた。
「っ……!! チィッ!」
「――っ!! ぐぅっ……!!」
闇を操るアナンの表情が歪んだ刹那、これまで後退を続けていたルギウスが鋭い踏み込みで前へと飛び出した。
それに数瞬遅れて応じたアナンは、迫り来るルギウスを貫くべく、地面から闇の棘を槍のように突き出して迎撃する。
しかし、前進したルギウスの勢いが衰える事は無く、ルギウスは闇の棘の攻撃をその身に掠らせながらもアナンへと肉薄し、下段に構えた剣で切り上げた。
「――っぶねぇ……。本当……今のは危なかったぜ……」
「……残った腕くらいは持って行けると思ったんだけれどね」
次の瞬間。
鋭く放たれたルギウスの斬撃は、目を見開いたアナンの身体を浅く切り裂くに留まり、その刀身を受け止めた闇が棘へと形を変え、言葉と共に報復とばかりにルギウスへ向けて放たれる。
だが、攻撃を止められたルギウスがその場に留まっているはずも無く、闇の棘が虚空を貫く頃には、ルギウスは数歩後ろまで退って剣を構え直していた。
戦況は一進一退。互いに決め手を欠いた状況の中。二人はそれぞれに、内心の焦りを覚えていた。
「ふぅぅっ……」
まずいな。と。
深く息を吐きながら、ルギウスは剣を構えて眼前のアナンを睨み付ける。
撤退していった者たちはこのアナンが殺したとはいえ、敵は一兵一兵が強大な力を持った軍勢。ルギウスがアナンを相手取ってこの場に縛り付けられる程、抑えきれなかった軍勢がファントの町へとなだれ込んでしまう。
それだけは避けなければならない。けれど、今のアナンに対して有効打を与え得る程の大技を放つには隙が大きすぎる。続く戦いが備えるルギウスにとって、アナンと相打つ事は何としてでも避けなければならない。
だからこそこうして守りに徹し、深手を負っている筈のアナンが、一刻も早く力尽きる事を祈る事しかできなかった。
「っ……!! ゼェッ……ハァ……」
その一方で、アナンは荒い息を吐きながら、血走った瞳でルギウスを睨み付けていた。
時間が無い。油断をしていたとはいえ、受けた傷が深すぎる。
激痛で霞む視界の中、アナンは自らの肉体が限界を迎えつつあることを感じていた。
闇を……影を操るこの能力には、治癒能力は無い。折れて役目を果たさなくなった足の代わりに身体を支える事や、ひしゃげた腕が揺れないように固定する程度はできる。
だが、そもそもそんな状態で戦闘を続けるなど正気の沙汰ではない。既にアナンの心は一刻も早く治療を受けたい一心へと変わっており、自らの命を繋ぐためにルギウスと相対していた。
「っ……!!!」
「っ~~!!!」
刹那の沈黙と共に、ルギウスとアナンの視線が重なる。
互いにもう退くなどという選択肢は無く、かといって相手を倒し切る算段も付かない。
そんな、どちらも望まない結末の待つ、泥沼の戦いへと戦況がなだれ込みかけた時だった。
ばさり。と。
突然、まるで大きな鳥が羽ばたくような音が響いたかと思うと、ルギウスの頭上から白く輝く羽が一枚、ひらひらと舞い降りて来る。
「なん――」
「――月光斬」
そして、ルギウスが気付くよりも僅かに早く、その存在に気付いたアナンが声をあげかけた瞬間。
氷のように冷たい声と共に一閃。放たれた斬撃がアナンへと襲い掛かり、その衝撃で舞い上がった粉塵が、アナンの姿を覆い隠したのだった。




