776話 師弟の戦い
その覚悟は、凄まじいものだった。
こうしてただ、相対しているだけでも肌が粟立ち、心の底から震えあがってしまう程に。
『敵』を斬る。
その一点のみに凝縮された意識の奔流が、殺気となってフリーディアの肌をチリチリと焼き付けた。
「…………」
それだけで、全てが理解できた。
クラウスは一人の武人として、今この場で私の事を斬るつもりなのだ。と。
心血を注いで磨き上げ、伝説にまで謳われる程の高みへと昇り詰めた技を、心を、全てを込めて。クラウスは私を斬るために、こうして戦場に臨んでいる。
ならば……。
「……ッ!!!」
私はただ、私の全てを込めて戦うだけだ。
甘いとなじられても良い。無礼だと罵られても構わない。たとえクラウスの覚悟を蔑ろにしたのだとしても。私は皆が笑って過ごせる世界の為にこの剣を振るうッ!!
ぎらり。と。
フリーディアが覚悟を決めた瞬間。クラウスの気迫に圧倒され、まるで縫い留められたかのように硬直していた身体が自由を取り戻した。
刹那。
「どうかされましたかな?」
「っ……!!!!」
「そうして睨みつけているだけでは、私は斃せませぬぞ?」
「クッ……!!」
そんなフリーディアの心中を見透かしたかのように、クラウスが冷たい殺気を纏った柔らかな言葉で語り掛けて来る。
どうして……。
その瞬間、自らの心の内から漏れ出しそうになる弱い心をねじ伏せるように。
フリーディアは渾身の力を脚に込めて、大地を抉るように蹴り抜いていた。
「ッ……!!! セェッ!!!」
閃光のように鋭い踏み込みから放たれたフリーディアの一撃は誰の目にも留まる事無く、加速した時の中を疾駆する。
刹那の時すら長く感じる程に僅かな時間の後。
クラウスに肉薄したフリーディアは、渾身の力を込めて抜き放った剣を振り下ろした。
「…………」
「っ……!!!」
しかし。
フリーディアの渾身の一撃は、けたたましい金属音と共に瞬時に移動したクラウスの剣によって阻まれる。
それは最早、迅さや反応などという段階を超越した動きだった。
フリーディアの放った一撃は、相対する者が常人であったなら。反応する事はおろか、自らが剣によって両断された事さえ知覚する事ができない程に鋭い攻撃だ。
だというのに。クラウスはそれを、まるで児戯であるかのように易々と防いで見せたのだ。
「ッ……!! ハッ……アアアアアァァァァッッッッ!!!!」
それを理解していたからこそ。フリーディアの判断は素早かった。
クラウスの剣によって受け止められた自らの剣を滑らせ、その神速の動きを止める事無く流れるような連撃へと移行する。
ギャリギャリギャリギャリィッ!! と。咆哮と共に剣を合わせる金属音が打ち鳴らされる度に、フリーディアが振るう剣の速度と威力は徐々に増していき、目にも留まらぬ嵐のような連撃となってクラウスに襲い掛かる。
しかし、その余りの速度に姿すら霞むフリーディアの猛攻を、クラウスは同じく目にも留まらぬ速度で腕を振るって受け続けた。
「っ……!!! ハァッ……ハァッ……ハァッ……ッッ!!!」
「………………」
そんな圧倒的な攻防がどれ程の間続いただろうか。
戦いを見守る者達の意識を、剣戟の音と迸る火花が覆い尽くした頃だった。
荒い息と共に大きく跳び退がったフリーディアが、地面に剣を突き立てて膝を付いた。
一方で。フリーディアの猛攻を受け切ったクラウスは息一つ乱す事は無く、静かにフリーディアを見据えたまま佇んでいる。
「……お見事です」
「っ……!!」
ボソリ。と。
クラウスが静かに言葉を紡いだのは、激しく打ち鳴らされた剣戟の音の残滓が消え、再び戦場に沈黙が訪れた時だった。
「よくぞこれ程にまで……私がお伝えした技を己が物とし、研鑽を続け、磨き上げられた」
「……ゼェッ!! ゼェッ……ッ……!!!」
「その技の冴え……このクラウスを以てしても反撃を許されぬ程。フリーディア様……本当にご立派に……一人前の武人になられた」
「ッ…………!!!!!」
噛み締めるように紡がれたのは、最大級の賛辞だった。
ロンヴァルディア最強たる白翼騎士団の伝説を作り上げた男が認める程の腕前。それはフリーディア自身が、真の意味でロンヴァルディア最強の剣士と同格であると認められた瞬間で。
例え己が目に留まる事が無かったとしても。ただ固唾を呑んでその戦いの行方を見守る兵士たちの前で、フリーディアは荒い息を吐きながらも、剣を手にゆっくりと立ち上がる。
「……こうして全力で剣を合わせられる事。心より嬉しく思います」
すると。
まるで、フリーディアが立ち上がり、剣を構えるのを待っていたかのように。
クラウスは力強い声でそう言葉を締めくくると、深く腰を落として剣を構えたのだった。




