6話 迷いの旅路
「やれやれ、やっとか……」
フリーディアと別れてから一週間。テミスは最前線にほど近い、イゼルの町の宿屋に居た。
さほど大きくない町だが、町を囲む城塞はなかなかに立派なものだ。しかし、人間領の最先端まで来る途中の町や村は、見るに堪えない惨状だった。冒険者将校が治める町では、その力に驕る冒険者将校の独裁で、貴族が治める町や村は圧政で苦しんでいる。
「本当に救いようがないな……」
カビくさいシーツに横になって、天井を見上げひとりごちる。典型的な権力主義の弱肉強食。そこに秩序など無く、力を持つ者だけが笑う世界。あの女神は、本気で俺がこんな世界に生まれる事を願ったとでも思っているのだろうか。
「フリーディア……アトリア……」
そんな社会の中で出会った、人間を愛する綺麗な者たちの顔を思い浮かべる。この世界に生きる人が皆、彼女たちのようであれば……。そんな無意味な願いが頭を駆け巡った。
「魔王……ね……」
仮に、魔王が極悪非道だったとして人間の為に戦うのか? それは正しい事なのだろうか? 俺が為すべき正義とは――。
「わから……な、い……」
急激に景色が歪み、意識が闇へと沈んでいく。
よりにもよって、今日に限ってどこの宿も満室で、無駄にねぐらを探して歩き疲れたせいだろう。俺は抗う事無く、そのまま眠りへと落ちていったのだった。
「お客さん! お客さんっ!」
翌朝。朝食にはまだほど遠い時間に、派手にドアを叩く音とどこか切羽詰まった男の声に叩き起こされた。
「な、何事だッ⁉」
寝ぼけてかすむ頭で戦闘態勢に入る。魔族でも攻めてきたのか? だが、横目で窓から外を覗いても、朝焼けで彩られた風景しか確認できない。
「勇者様がお客さんを訪ねてきてるんだ……は、早く出てきてくんねぇか?」
「なに? 勇者……? まったく、訪問の時間も弁えんとは……」
テミスはため息交じりに、乱れた髪を撫でつける。兵が宿を徴用していたせいで歩き回る羽目になり、着替えもせずに寝てしまったのは幸運だったか。
「ば、馬鹿言っちゃいけねぇ……。この町の領主様だよ! くれぐれも機嫌を損ねないようにしてくれっ」
「フムン。領主が私に用、ねぇ……」
嫌な予感と共に部屋の戸を開け、店主に連れられて宿を出ると、出入り口の目の前に巨大な二頭立ての馬車が鎮座していた。
「はっ……」
ボロ宿には不釣り合いなほど、装飾過多な馬車に吹き出しそうになる。この馬車のナリで自らを勇者と呼ばせるなどイタいにも程がある。
「ずいぶんと時間がかかったな」
「も、申し訳ありません! 勇者様……」
馬車の前まで歩を進めると、声と共に馬車の戸が開いて黒髪の男が姿を現した。
「へぇ……」
予想していた姿とは全く異なる、まるでゲームの主人公のような青年に思わず声が出てしまう。てっきり、金髪でサークレットを付けたいけ好かない男が出てくるかと思っていたが……。
「そいつが?」
「へ、へぇ……。ウチに泊まってるお客の中で、銀髪の女なんてこのお客しか居ませんでさぁ……」
「フム、美しい……」
『勇者』は横柄な態度で店主を睨めつけると、まるで品定めでもするかのようにテミスをまじまじと眺めている。
当事者のはずなのに、自分を置いて話が進んでいくこの感覚は不快極まりないものがある。
「一体、どのようなご要件で?」
テミスは青年の言動から、何となく要件を察してはいたが、そうでないことを祈りながら、話へと入っていく。
「クハッ……」
すると、テミスの不遜な言動に慌てる店主を尻目に、愉快そうに青年が噴き出した。
「良い。良いぞ。外見通り、かなり気が強いようだ。だが、その気概を折るのも興が乗る……乗れ、俺の館で俺に仕えろ」
「……謹んで辞退申し上げる。私は旅人、一所に腰を落ち着けられない性分でな」
テミスは特大のため息と共に、彼等に背を向けて言い放つ。どうせロクな事では無いとわかっていたから、荷物は全て持ってきてある。
「店主。朝食分の金を返せとは言わんが、仮にも宿を謳うのであれば、睡眠くらいは満足に提供しないと客が離れるぞ?」
宿の店主に奪われた睡眠と朝食の代わりのクレームをつけて、立ち去ろうと一歩を踏み出した所で、ピタリと首筋に冷たい感覚が押し当てられた。
「っ……」
「三度は言わない。乗れ。それとも、愚かな旅人には、この勇者カズト様に仕える光栄すら、理解できんか?」
背後から冷たく言い放つカズトに、テミスは歯噛みする。
油断した。つい先ほどまで、このカズトと名乗った青年は帯剣していなかったはずだ。
「わかった。わかったからこの物騒な物をしまえ……」
「そう言って逃げる気なのはわかっている。動かぬというのなら、どれ……羞恥に泣き叫びながら馬車に乗せてくれと懇願させてやろうか」
ゆっくりと両手を挙げたテミスの首筋から剣が引かれ、移動した切っ先が首の後ろをゆっくりと下りていく。どうせ服でも切るつもりなのだろうが、仮にも勇者を名乗る奴がする言動ではないだろう……。
「ふっ!」
「なっ⁉」
剣が服を捉える刹那。テミスは前方へ大きく前転して距離を取り、頭部を追うように慌てて突かれた剣も一つの動作でかわす。
「例え裸に剥かれようと、貴様のような下種に仕える気など毛頭ない」
「下民がっ……調子に乗るなよっ!」
「んっ……?」
いきり立って構えるカズトの剣に、ふと既視感を覚えた。そうだ、俺の記憶が確かなのであればあの剣は……。
「数々の不敬、万死に値する! さっきまでの威勢はどうした? そんなに恐ろしいか? この俺のエクスカリバーがっ!」
そう吠えると、カズトは見せつけるかのように金の装飾が施された剣を掲げて手を差し伸べてくる。そうだ……あれはエクスカリバー。黄金をあしらったあの宝剣が登場する作品を、俺は知っている。
「だが、俺は寛大だ。今泣いて許しを請えば、命までは取らん。奴隷として召し抱えてやろう」
「つくづく、愚かな……恥ずかしくないのか? カズト君」
そのままの調子でべらべらと口上を述べるカズトに、テミスは服の埃を払いながら、突かれたくないであろう点を指摘した。
「いい年して他人に勇者なんて呼ばせておいて、やっていることは気に入った女を囲って酒池肉林か? 厨二病をこじらせるだけでは飽き足らず、欲望にまみれた強制ハーレム生活……。全く、とんだ勇者も居たものだな」
「なっ……」
そう告げてやるとカズトが凍り付き、目を見張る。間違いない。このカズトという自称勇者の領主は転生者。つまり、俺と同じあちらの世界から生まれ変わった者だ。
「もう一つ正しておくと、その聖剣は大岩から引き抜くものであって、自らの力で生み出すものではないぞ?」
「お前……」
カズトが剣を消して、近付いてくる。組み伏せるつもりなら、投げ飛ばしてやろう。
「お前まさか……悪いことは言わないから俺と来い。見ての通り、この世界に法律なんてものは無い。なぜ旅人なんてやっているのかは知らんが、少なくとも――」
「――死ぬよりは、お前の玩具になっている方が良いだろうと?」
真剣な顔をして、数歩の所で立ち止まって語るカズトの言葉を遮って嗤う。
「お前はその方が良いだろうな?」
「っ! 先程までの言葉は取り消す! もちろん、お前には手を出さないし宮仕えの仕事もしなくていい!」
「客として、迎えると?」
焦ってまくし立てるカズトの言葉を、一言でまとめてやると彼の顔が輝いた。
「ああ! 仲間に会ったのは初めてなんだ! 一緒に……」
更に距離を詰め、手を取ろうとしてくるカズトを避けて、テミスは一歩後ろに下がる。
「何で……」
「仲間? 笑わせるな。お前のような変態犯罪者と一緒にしてもらっては困る。名誉棄損も甚だしい」
テミスは驚愕に目を見開くカズトを眺めて嗤いながら、更に一歩二歩と距離を取る。
「おおかた、あの女神とやらの言う事を鵜呑みにして、主人公にでもなった気分なのだろう? 自分の頭では何も考えずに、力に溺れて欲望三昧のミジンコが」
「ぐっ……でも、神様はっ――」
「私は、物事の正誤は自分の目で見て決める主義なのでな。少なくとも、何処をどう見繕った所で今のお前が正義には見えん」
切り捨てるように言い放つと、再びカズトに背を向けて歩き出す。
「待て。考えが合わないのはわかった。だが、せめて名ぐらい聞かせろよ」
ジャリッ……。と地面を踏みにじる音と共に、背に声がかけられる。もう振り向く必要も無いだろう。
「テミスだ。カズト、本当ならば今ここで処断してやりたいが、残念ながら今の私にその権利はない。二度と会わないことを祈っている」
「カズト・タケナカだ。今日の事、絶対後悔するぜ。アンタ」
朝日が照らす中、無粋な見送り文句を背に向けて、テミスは人間領を後にするのだった。
2020/11/23 誤字修正しました